西海よりとりし
折から備前の牛窓
にてかく
遊行六十世他阿
西の国へ下りて
登る舟の上は
車ならべ○
めぐる牛窓
他阿
(嘉禎3年(1237年)- 文保3年1月27日(1319年2月17日))は、鎌倉時代後期の時宗の僧。遊行上人2世。正しくは他阿弥陀仏と称し、他阿と略する。法諱は真教(ただし同時代史料にはみえず、初出は『本朝高僧伝』。燈心文庫に真教と署名のある文書があり、他阿に同定する説あり)。俗姓は源氏久我家ともいわれる。
以降、時宗遊行寺の住職は、他阿を名乗る。
【他阿一真】
1885年(明治18年)11月、宗制寺法の制定に伴い、時宗総本山清浄光寺管長に就任。遊行60世。藤沢上人43世。武田義徹。現代の時宗教団となる。時宗教団の礎を築くことに尽力した。明治20年に浅草,日輪寺独住。明治23年没69歳。
牛窓
岡山県にあった町で、現在は瀬戸内市。
ピピ様に教えて頂き一部修正
平成30年9月11日 壱/八枚