俊惠云
五條三位入道の許にまうでたりしついでに、
御詠の中には、いづれをか優れたりと思す。よその人樣々に定め侍れど、それをば用ゐ侍るべからず。正しくうけ給はらんと思ふ
と聞えしかば、
夕されば野邊の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
(千載集 秋)
是をなん、身にとりてはおもて哥と思ひ給ふる。
といはれしを、俊惠又云、
世にあまねく人の申し侍るは
面影に花の姿を先立てゝ幾重越え來ぬ峯の白雲
是を優れたるやうに申し侍るはいかに
と聞ゆれば、
いさ。よそにはさもや定め侍るらん。知り給へず。猶自らは先の哥にはいひ較ぶべからず
とぞ侍し
と語りて、是をうち/\に申ししは、
彼の哥は、「身にしみて」と云ふ腰の句のいみじう無念に覺ゆるなり。是程に成りぬる哥は、景氣をいひ流して、たゝ空に身にしみけんかしと思はせたるこそ、心にくくも優にも侍れ。いみじういひもて行きて、哥の詮とすべきふしをさはといひ現したれば、むげにこと淺く成りぬる
とて、その次に、
我が哥の中には、
み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里は打時雨つゝ
(冬歌 588 俊惠法師)
是をなん、彼の類にせんと思う給ふる。もし世の末におぼつかなく云ふ人もあらば、「かくこそいひしか」と語り給へ。
とぞ。
○俊惠
(1113年~?)源俊頼の子。東大寺の歌林苑の月次、臨時の歌会を主催。鴨長明は弟子にあたる。
○五條三位入道
藤原俊成(1114~1204年)法号は釈阿。千載和歌集の撰者で定家の父。
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