まだまだ続く関西シリーズ♪今回は大阪を代表する女流作家、田辺聖子さんの作品から。
彼女の短編をまとめた本で『ブス愚痴録』というのがございまして、これが面白い!ほとんどの作品が、おっちゃんの目から見た’こんな女、どうかと思うわ~’。はっきり言って妻の悪口です。「アホか!」「ふんまに」「わからんか?」といった大阪特有の小気味いいツッコミで繰り出すので、嫌味なくサラリと受け取れます。しかし、かと言って安心していると、返す刀で男性心理もバサリ。その辺が実に巧妙&痛快な訳で・・・
中でも、男が女の顔の良し悪しをいうのは40代までというのが絶品。何でかて?”40代までは忙して鏡見ィひん。そやから自分のことも知らんと、オナゴにケチつけたり女房の不足いうたりしとる”もう赤線引っ張って夫に読ませようかと思いましたね。さらに、50代で己を知るというくだりで・・・”顔だけやあらへん、稼ぎも人間の程度も、おのれのヘチャを知らされるわい。ほたら、オナゴのヘチャばっかりわろうてられるかと反省する”なるほどねぇ。ちなみに70超えたら・・・”オナゴや、いうだけで可愛い。欲いうたらやさしいのがエエ。ヘチャでもおもろい女がエエ。おもろいオナゴはんはこの世のタカラじゃ”
大概の関西女性は、ここでガッツポーズやないでしょうか。私はね、それ程おもろないんで、まぁそこは小さくガッツポーズです。『ごくせん』の仲間由紀恵みたいに「ファイト~オゥ♪」ってな感じで。しかし、この言葉には勇気もらいましたねー。こんな事を言うてると、まるで私がえらいヘチャみたいですが、39歳ともなるとね、いろいろ思うところがある訳ですよ。そら見た目の輝きは、お若い方にはかないませんからね。はっきり言って、焦りもあります。けどこれを読んでたら目の前がぱぁーっと明るぅなって、そやね、この年ならではの自分の魅力をもっと信じんとあかんね・・・という気になってきた。何であんなに自信失くしてたんやろ。私を信用していなかったのは私やった。これじゃあ私が可哀想やって。お聖さんに、元気もらいましたワ。
個人的に好きなんはね、『波の上の自転車』いう作品なんです。阪急電車派の妻と阪神電車派の夫のバトルが描かれてますの。神戸と大阪の間には3本の鉄道が並行して走ってまして、山側から阪急、JR、阪神なんですね。で、阪急沿線には一種独特の文化圏がある。他所の地域の方にはちょっと理解し辛い世界ですが、そこを実に上手く表現してるんです。
妻は、阪神間は日本で最高に住み心地のいい場所だと信じ、中でも山手にある阪急沿線にこだわりをもっている。そやから娘の学校も沿線の女子学園、住むのも沿線のマンション。上流思考で鼻持ちならない人間に描かれていますが、あの空気を知っている方なら、決してこの妻を否定できないのではないかと。勿論、他の地域を小バカにする態度は×ですが、不思議な魅力があるんです。単にお金持ち文化と割り切れない何かが。一方夫は、そんな妻の態度を苦々しく思っている。”何ぬかしやがんねん。こちとら物価は安いし、気楽なええトコじゃ!”お互いが慣れ親しんだ文化や環境にまつわる諍いって、確かにありますよね。特に、実家が絡むと話がこじれてくる。新婚の頃なんか、もう文化戦争ですから。(最初からあなた色に染まります・・・なんて殊勝な心掛けのお嫁さんは別ですが。)こっちだってハナから我を張りたくなんかないけれど、向こうが「あったりめぇだろーっ」という態度だとカチンとくるんですよね。
さて、こうしてバトルの幕が上がります。「阪神の方が車体広うて綺麗やわい。」 「阪神愛用者の身びいきね。」「阪神は海が見えるわい。」 「阪急は山が見えるわよ。」さらに車体の色、それぞれの鉄道会社が所有している球団にまで火種が飛ぶという趣向。そう。この作品が執筆された当時は、阪急が球団を所有してたんです。だから甲子園球場(阪神タイガース) VS 西宮球場(阪急ブレーブス)という展開になり、夫が「客の入りが違うわい。野球も知らんくせに。」と言えば、「でも今年も阪神がやたら弱いというのは知ってるわ。」と返す。あの頃、阪神も弱かった~。この辺の応酬がホント巧みで、当時の野球界の状況が記憶に残っている方なら、爆笑間違いナシです。
そんな阪急、阪神も今や経営統合・・・統合が決定した時の友人の言葉「阪急には阪急の文化があり、阪神には阪神の文化がある。一緒にせんでよろし。」は、地元民の究極の本音かもしれません。確かにのっぴきならない状況だったのでしょうが、’そこまでして合理化や効率主義といった今風の波にのまれなあかんのかい。阪神は阪神のまま、ちょっとくらい不器用で隙ありの存在でええやん。’ などと、無責任な意見も述べたくなるんですよねぇ。それぞれのオリジナリティで別個に輝いていて欲しかったと。
『恋捨人』では、社会運動に奔走する妻をやりきれない思いで眺めている夫が描かれます。妻はそんな夫を、私の一切を許してくれる存在と信じているが、夫の胸の内は違う。”なんぞ勘違いしてへんか・・・一切許すということは、一切期待していないということや”文句をいうのは、まだ見どころがあると期待しているからだそうで。うちの夫もね、いろいろうるさいんですわ。私の家事のでき具合についてぶつぶつと。それでケンカになった時に、正にこの言葉が返ってきましたよ。「期待なんかしてくれるな!」って返しましたけど。
この作品を読んでたらね、そういうもんなんやーって。ここ数年の間に、私が気になっていた夫婦間の行き違いが、怖いくらいに描写されていました。”妻が薦める本なんか読みたくない。それが男心や!”って。私はね、夫がカワイクないからやと思てたんですよ。普段の言動がそうやから。でも、そういうもんやよって言われたら、反論の余地ナシです。”女は男心がわかってない。男は自分が女心をわかってないのを心得とる”って。はぁ~もう耳痛い。この一文は、収録作品に繰り返し出てきますね。お聖さんこだわりの言い分なんでしょう。男は何のために生きているか?なんて問いもでてきます。女のためと。じゃあ、女は何のために生きているか?男のためとは書いてませんでした。確かに私、ケンカの時に夫へ向かって叫びましたもん。「自分のためよー!!」そりゃ噛み合わんわな~。夫がトホホとなる気持ちも、少しはわかりました。
はい、これにて一件落着~ってか。それでは、今宵はこの辺で♪
彼女の短編をまとめた本で『ブス愚痴録』というのがございまして、これが面白い!ほとんどの作品が、おっちゃんの目から見た’こんな女、どうかと思うわ~’。はっきり言って妻の悪口です。「アホか!」「ふんまに」「わからんか?」といった大阪特有の小気味いいツッコミで繰り出すので、嫌味なくサラリと受け取れます。しかし、かと言って安心していると、返す刀で男性心理もバサリ。その辺が実に巧妙&痛快な訳で・・・
中でも、男が女の顔の良し悪しをいうのは40代までというのが絶品。何でかて?”40代までは忙して鏡見ィひん。そやから自分のことも知らんと、オナゴにケチつけたり女房の不足いうたりしとる”もう赤線引っ張って夫に読ませようかと思いましたね。さらに、50代で己を知るというくだりで・・・”顔だけやあらへん、稼ぎも人間の程度も、おのれのヘチャを知らされるわい。ほたら、オナゴのヘチャばっかりわろうてられるかと反省する”なるほどねぇ。ちなみに70超えたら・・・”オナゴや、いうだけで可愛い。欲いうたらやさしいのがエエ。ヘチャでもおもろい女がエエ。おもろいオナゴはんはこの世のタカラじゃ”
大概の関西女性は、ここでガッツポーズやないでしょうか。私はね、それ程おもろないんで、まぁそこは小さくガッツポーズです。『ごくせん』の仲間由紀恵みたいに「ファイト~オゥ♪」ってな感じで。しかし、この言葉には勇気もらいましたねー。こんな事を言うてると、まるで私がえらいヘチャみたいですが、39歳ともなるとね、いろいろ思うところがある訳ですよ。そら見た目の輝きは、お若い方にはかないませんからね。はっきり言って、焦りもあります。けどこれを読んでたら目の前がぱぁーっと明るぅなって、そやね、この年ならではの自分の魅力をもっと信じんとあかんね・・・という気になってきた。何であんなに自信失くしてたんやろ。私を信用していなかったのは私やった。これじゃあ私が可哀想やって。お聖さんに、元気もらいましたワ。
個人的に好きなんはね、『波の上の自転車』いう作品なんです。阪急電車派の妻と阪神電車派の夫のバトルが描かれてますの。神戸と大阪の間には3本の鉄道が並行して走ってまして、山側から阪急、JR、阪神なんですね。で、阪急沿線には一種独特の文化圏がある。他所の地域の方にはちょっと理解し辛い世界ですが、そこを実に上手く表現してるんです。
妻は、阪神間は日本で最高に住み心地のいい場所だと信じ、中でも山手にある阪急沿線にこだわりをもっている。そやから娘の学校も沿線の女子学園、住むのも沿線のマンション。上流思考で鼻持ちならない人間に描かれていますが、あの空気を知っている方なら、決してこの妻を否定できないのではないかと。勿論、他の地域を小バカにする態度は×ですが、不思議な魅力があるんです。単にお金持ち文化と割り切れない何かが。一方夫は、そんな妻の態度を苦々しく思っている。”何ぬかしやがんねん。こちとら物価は安いし、気楽なええトコじゃ!”お互いが慣れ親しんだ文化や環境にまつわる諍いって、確かにありますよね。特に、実家が絡むと話がこじれてくる。新婚の頃なんか、もう文化戦争ですから。(最初からあなた色に染まります・・・なんて殊勝な心掛けのお嫁さんは別ですが。)こっちだってハナから我を張りたくなんかないけれど、向こうが「あったりめぇだろーっ」という態度だとカチンとくるんですよね。
さて、こうしてバトルの幕が上がります。「阪神の方が車体広うて綺麗やわい。」 「阪神愛用者の身びいきね。」「阪神は海が見えるわい。」 「阪急は山が見えるわよ。」さらに車体の色、それぞれの鉄道会社が所有している球団にまで火種が飛ぶという趣向。そう。この作品が執筆された当時は、阪急が球団を所有してたんです。だから甲子園球場(阪神タイガース) VS 西宮球場(阪急ブレーブス)という展開になり、夫が「客の入りが違うわい。野球も知らんくせに。」と言えば、「でも今年も阪神がやたら弱いというのは知ってるわ。」と返す。あの頃、阪神も弱かった~。この辺の応酬がホント巧みで、当時の野球界の状況が記憶に残っている方なら、爆笑間違いナシです。
そんな阪急、阪神も今や経営統合・・・統合が決定した時の友人の言葉「阪急には阪急の文化があり、阪神には阪神の文化がある。一緒にせんでよろし。」は、地元民の究極の本音かもしれません。確かにのっぴきならない状況だったのでしょうが、’そこまでして合理化や効率主義といった今風の波にのまれなあかんのかい。阪神は阪神のまま、ちょっとくらい不器用で隙ありの存在でええやん。’ などと、無責任な意見も述べたくなるんですよねぇ。それぞれのオリジナリティで別個に輝いていて欲しかったと。
『恋捨人』では、社会運動に奔走する妻をやりきれない思いで眺めている夫が描かれます。妻はそんな夫を、私の一切を許してくれる存在と信じているが、夫の胸の内は違う。”なんぞ勘違いしてへんか・・・一切許すということは、一切期待していないということや”文句をいうのは、まだ見どころがあると期待しているからだそうで。うちの夫もね、いろいろうるさいんですわ。私の家事のでき具合についてぶつぶつと。それでケンカになった時に、正にこの言葉が返ってきましたよ。「期待なんかしてくれるな!」って返しましたけど。
この作品を読んでたらね、そういうもんなんやーって。ここ数年の間に、私が気になっていた夫婦間の行き違いが、怖いくらいに描写されていました。”妻が薦める本なんか読みたくない。それが男心や!”って。私はね、夫がカワイクないからやと思てたんですよ。普段の言動がそうやから。でも、そういうもんやよって言われたら、反論の余地ナシです。”女は男心がわかってない。男は自分が女心をわかってないのを心得とる”って。はぁ~もう耳痛い。この一文は、収録作品に繰り返し出てきますね。お聖さんこだわりの言い分なんでしょう。男は何のために生きているか?なんて問いもでてきます。女のためと。じゃあ、女は何のために生きているか?男のためとは書いてませんでした。確かに私、ケンカの時に夫へ向かって叫びましたもん。「自分のためよー!!」そりゃ噛み合わんわな~。夫がトホホとなる気持ちも、少しはわかりました。
はい、これにて一件落着~ってか。それでは、今宵はこの辺で♪