JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

ごくありふれた日記

2008年11月03日 02時41分00秒 | in the forest
 得意としていたテレビ番組評が書けなくなった。もう随分まともに向き合っていない。あんなに大好きだったドラマも、たかじんさんの番組も、ロクに見なくなっている。それでも時折、心を惹かれるドラマに出くわす。前クールの『四つの嘘』がそうだった。たった一つ、楽しみにしていた作品。それさえも夫は目の敵にし、CM予告を見ようものなら、「くだらんドラマ」と吐き捨てるようにつぶやいた。

 私は軽くため息をつく。放っておいてほしい。人が何に夢中になろうと、心の世界へまで介入してほしくない。この日記だって、どうせ見てるんでしょ?ブービートラップ、仕掛けとくね。

 うさぎ道まっしぐら。魅惑的に見えるにはどうしたらいいの?自分を研究し尽くした。買い物先で、ターミネーターのごとく服をサーチ。”人間の本質は、そんな所にない”という言葉が虚しく響く。はーん?そうおっしゃいますけどね、そんなものにでもしがみついていなければ、私は壊れるの。内面・本質、誰がわかるって言うの。

 ネタの為なら何でもやる。困ったお姉さんだと思っていたけれど、今誰より、中村うさぎさんの気持ちを理解できる、そんな心境。自分に自信、持てないんじゃないかな。その行動だけで決め付けるのは不謹慎なので、彼女の作品を手にとってみよう。

 『嫌われ松子の一生』を再読。彼女はね、認めて欲しかったのだと思う。父親を始めとする、好きだった男たちに。そのほとんどは、彼女へ屈折した愛を注いでいる。それが、どんなに彼女を傷つけてきたか。確かに自暴自棄かもしれない。それでも私は、そうなる彼女をわらえない。軽蔑もできない。彼女の人生を二度までも狂わせた男が、こんな自分を許し続けてくれた彼女は神だったかもしれないと思い当たる。ふざけるな!神な訳ないでしょう。人間だから彼女は苦しみ、そうして心を閉ざしてしまったんじゃないの。

 エッセイを書いてるうち、ふと東野圭吾の『白夜行』を、読み返したくなった。あのヒロインの感情-確か直接的には描かれていないと言う話だが-を追ってみたい。主人公の男性との哀しい結びつき、ある意味憧れだなぁ。中島みゆきの『空と君のあいだに』を思い出すよ。”空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる” この歌を聴くとね、泣き出したくなるの。私はそんな男性を、求めているのかもしれない。さぁ、このページから、みんなとっとと逃げ出すよ♪そして誰もいなくなった・・・ぷっ。

 止まっていた私の時間が、徐々に動き出そうとしている。一つ一つ、向き合えるもの、増やしていこうとしているけれど、まだ一進一退といった所かな。私ね、ある仕事をしているの。その業務に関わることで、しんどい思いをすることがある。責任の追及に絡むと、時間と労力、それに気も遣うのよ。結果、努力報われ嬉しくなる時もあれば、不当な嫌がらせの末、実害を被ることも。自転車の空気抜かれるわ、タイヤ傷つけられるわ、後のシート汚されるわ、今度は何をするんじゃ、バンビーノって感じ。先日は、重い荷物を前カゴに載せた途端、ガッターン、バランス崩して中の荷物が駐輪場へ散乱した。ふぅ~前カゴの留め付け金具、外されてるやん。

 私になら、何をしてもいいと思っているのかな・・・。こう感じたことは、今回だけじゃないけどね。まっこんな状態ですワ。という訳で、ありふれた愚痴日記でした~。

 https://www.youtube.com/watch?v=kTAs3mnDXOI