前回のエッセイでも触れましたが、映画『容疑者Xの献身』を観ました。テレビドラマ『ガリレオ』の映画化ですが、なんや感慨深いなぁ。昨年10月に今期一番の目玉として紹介させていただいた作品がですよ、好評につき映画にもなったと。アタシの批評家としての勘も、捨てたもんやないね。周辺エピソードが増え、いっぱいいっぱいの感のある『踊る大捜査線』に、取って代わるシリーズになりますかどうか。キーパーソンは、おっちゃんやな。『踊る大捜査線』は中高年にも強いからねぇ。’正義’’社会’’組織’ こんなキーワードに、おっちゃんは敏感よ。
ドラマでは、ミステリーの要素が強い。物理学の准教授(福山雅治)が事件の謎を解く、その実証の華々しさが目を惹く。原作でコンビを組む刑事(北村一輝)は、ポイントのみの登場となり、代わりに新人女性刑事(柴咲コウ)をはめ込んだ。ファンの間には不満もあるようだが、福山と柴咲の掛け合い-とりわけ恋にまつわる-を面白く見ていた身としては、この設定もまたよし。福山に、しれっとした表情で「何故、女性はすぐに感情的になる」と言われた日には、ついテレビに向かって「ごめんなさい」と頭を下げてしまった。
男VS女という構図にしたのは、対立しているかのような二人の間に、これって恋?的な彩りを添えたがるフジのドラマ傾向にもよるだろう。が、こんな側面はないだろうか。論理的に事件を解き明かしていく湯川准教授に対し、そこにある感情をすくい取ることで違った角度から事件へ迫る女刑事。知VS情 男と女の捉え方の相違により、時に反発し、時に補い合いながら、解決へ向かっていく。女性ならではの味を出してほしいですねぇ。華があるとか、メス的な役割だけではなくね。
さて映画。今回湯川が挑む相手は、天才数学者(堤真一)。同じ大学出身で、学生時代の親友という設定。福山雅治と堤真一?似たような年代には見えんなぁ・・・などと、ツッコンではいけない。おまけにカッコよすぎ!くたびれた感じに仕立てようと、元来のオーラは消せませぬ。この堤さんの役がねぇ・・・切ないのよ。味気ない自分の人生へ灯りを点してくれた存在に、ぐーっと感情移入しまして。八面六臂の活躍ぶりです。ただ、’献身、それは一種のエゴイズムである’とも感じたよ 。彼の心をつかむのは、隣に越してきた妖艶なる美女。ホステス上がりの弁当屋松雪泰子。ソソル!ソソル!!男心を。せやけど、何で弁当屋やねん・・・
生活にちょいと疲れた雰囲気を醸し出しながら、健気に切り盛りしているんですよ。そら、堤さんやなくても陥落するわなー。お客さん、並んでましたもん。行列のできる弁当屋。そこへね、ガラの悪い、昔の亭主が現れる訳です。「一生つきまとってやるぜ。へっへっへっ。」殺してしまう前に聞きたい。あの男の、どこに惹かれて結婚したのか?(←こら)「かつては羽振りがよかったんだろ」とは、原作でおさらいをしてきた夫の弁。解説してくれるのはいいんだけどね、あなたの説明通りだと、堤さんがやってた天才数学者もこうなるね。
https://talent-dictionary.com/斉藤暁
東野圭吾(原作者)さんも、むちゃ言いよる。そら、想像の世界は∞ですからね。ストーリーをある方向へ進めるのに、こういう設定にしておかなければ・・・というのがあり、その為には多少の無理も冒すのでしょう。ホステス上がりの弁当屋て。(←まだ、こだわるか~)いや、このバランスね、非常に難しい。松雪さんじゃ、やはりホステスの比重が高いんです。「美人美人って言ってるけどサ、あの男性にとって魅力的であるってことで、もうちょっとフツーでいいんだよな。」「だけど堤さんがヤキモキするような男性が、周囲をうろついている訳だからサ。それにしても何なのよ!警察にマークされてる時に、目立つ行動とりすぎっ。何であんなに、あの男性へ寄っていってしまうの!!」原作者の都合です・・・。まぁこんな感じでツッコミ所があるものの、大まかには原作の雰囲気を尊重しているといった印象。テーマが重いんでね、それ故にドラマで魅力となっていた部分を、あえて排除したような作りです。人間ドラマに徹したとでも言おうか。コウちゃんが歌う主題歌も、切ないよ。
「何故、女性はすぐに感情的になる」泰葉もガリレオになら言えたかな。「どーも、すみません!」古すぎて・・・さっぱりわからない。(BYギャツビイくん)
ドラマでは、ミステリーの要素が強い。物理学の准教授(福山雅治)が事件の謎を解く、その実証の華々しさが目を惹く。原作でコンビを組む刑事(北村一輝)は、ポイントのみの登場となり、代わりに新人女性刑事(柴咲コウ)をはめ込んだ。ファンの間には不満もあるようだが、福山と柴咲の掛け合い-とりわけ恋にまつわる-を面白く見ていた身としては、この設定もまたよし。福山に、しれっとした表情で「何故、女性はすぐに感情的になる」と言われた日には、ついテレビに向かって「ごめんなさい」と頭を下げてしまった。

男VS女という構図にしたのは、対立しているかのような二人の間に、これって恋?的な彩りを添えたがるフジのドラマ傾向にもよるだろう。が、こんな側面はないだろうか。論理的に事件を解き明かしていく湯川准教授に対し、そこにある感情をすくい取ることで違った角度から事件へ迫る女刑事。知VS情 男と女の捉え方の相違により、時に反発し、時に補い合いながら、解決へ向かっていく。女性ならではの味を出してほしいですねぇ。華があるとか、メス的な役割だけではなくね。
さて映画。今回湯川が挑む相手は、天才数学者(堤真一)。同じ大学出身で、学生時代の親友という設定。福山雅治と堤真一?似たような年代には見えんなぁ・・・などと、ツッコンではいけない。おまけにカッコよすぎ!くたびれた感じに仕立てようと、元来のオーラは消せませぬ。この堤さんの役がねぇ・・・切ないのよ。味気ない自分の人生へ灯りを点してくれた存在に、ぐーっと感情移入しまして。八面六臂の活躍ぶりです。ただ、’献身、それは一種のエゴイズムである’とも感じたよ 。彼の心をつかむのは、隣に越してきた妖艶なる美女。ホステス上がりの弁当屋松雪泰子。ソソル!ソソル!!男心を。せやけど、何で弁当屋やねん・・・
生活にちょいと疲れた雰囲気を醸し出しながら、健気に切り盛りしているんですよ。そら、堤さんやなくても陥落するわなー。お客さん、並んでましたもん。行列のできる弁当屋。そこへね、ガラの悪い、昔の亭主が現れる訳です。「一生つきまとってやるぜ。へっへっへっ。」殺してしまう前に聞きたい。あの男の、どこに惹かれて結婚したのか?(←こら)「かつては羽振りがよかったんだろ」とは、原作でおさらいをしてきた夫の弁。解説してくれるのはいいんだけどね、あなたの説明通りだと、堤さんがやってた天才数学者もこうなるね。
https://talent-dictionary.com/斉藤暁
東野圭吾(原作者)さんも、むちゃ言いよる。そら、想像の世界は∞ですからね。ストーリーをある方向へ進めるのに、こういう設定にしておかなければ・・・というのがあり、その為には多少の無理も冒すのでしょう。ホステス上がりの弁当屋て。(←まだ、こだわるか~)いや、このバランスね、非常に難しい。松雪さんじゃ、やはりホステスの比重が高いんです。「美人美人って言ってるけどサ、あの男性にとって魅力的であるってことで、もうちょっとフツーでいいんだよな。」「だけど堤さんがヤキモキするような男性が、周囲をうろついている訳だからサ。それにしても何なのよ!警察にマークされてる時に、目立つ行動とりすぎっ。何であんなに、あの男性へ寄っていってしまうの!!」原作者の都合です・・・。まぁこんな感じでツッコミ所があるものの、大まかには原作の雰囲気を尊重しているといった印象。テーマが重いんでね、それ故にドラマで魅力となっていた部分を、あえて排除したような作りです。人間ドラマに徹したとでも言おうか。コウちゃんが歌う主題歌も、切ないよ。
「何故、女性はすぐに感情的になる」泰葉もガリレオになら言えたかな。「どーも、すみません!」古すぎて・・・さっぱりわからない。(BYギャツビイくん)