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My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

桜桃忌

2009年06月16日 08時11分00秒 | 本と雑誌
 もうすぐね、好きだった人の誕生日なんです。なので、ちょっとしみじみしています。エッセイにも度々登場しているので、察しのいい方は、ああ、あの人ね・・・なんて思われるかもしれません。

 彼と出会ったのは、中学へ入学する頃かな。叔母の紹介でね。当時の彼は、その眼差しに、素直な明るさを湛えていました。それで、ごく自然に、私の心へ住み着いてしまったんです。ユーモアのセンスと、優しさと、その向こうに見え隠れする、ちょっぴり皮肉屋さんの面持ち。そんな所が魅力になる人でした。

 付き合いが続いていくと、周囲の雑音も耳に入り始めます。’暗っ!’ ’なんか気取ってない?’ ’自分だけが不幸みたいな顔してサ’ それは、私が知っている彼の顔と、少し違うものでした。最初から、その部分を目にしていれば、好ましく思わなかったかもしれない。けれど、伸びやかな空気と安定感を嗅ぎ取っていた私には、そういったマイナス面が、また別の魅力として映ったのです。気になる人の影というのは、時に、二人の距離を縮める要素となる。こうして私は、以前にも増して、彼に惹かれていきました。

 やがて多感な年頃になり、それまでにはなかった思いが、心の中へ、うっすらと溜まっていくのを覚えました。家庭の不和、学校生活への不満。そういう’今’に即した悩みではなく、閉塞感とでも言おうか・・・そんなものに包まれるようになったのです。一人っ子だった私は、常に母の拠り所。それは気持ちの上だけでなく、先の人生の保障という点においても。友人たちの親より上の世代だったので、老後のことがチラついていたのでしょう。娘を、身近な存在として留めておきたいようでした。

 その人生を、家族の為に捧げてきた母。こうしたスタイルは、結婚前も後も、変わることはありませんでした。しかし、捧げるモノが大きい程、相手への期待も高まります。無償の愛なんて、心意気だけで割り切れません。結果、私の将来をあれこれ決め付ける言葉を、口にするようになりました。たった17歳で、先々が見えてしまう。何と虚しく、そうして、つまらないことだろうか。いつかは、この家に戻ってくる。その為の結婚。その為の就職。一体私は・・・

 未来への翼を心置きなく広げられる環境を、羨ましく感じました。そんな同級生が輝いて見えました。到達点の状態がわかっている旅。背中に重い荷物を背負い、親が敷いたレールの上を、ただひたすら歩いていく。そう考えると、自分の可能性を探る気力も、萎えてしまいます。周囲から取り残されていく寂しさ。夢や希望など、果たして人生の中に見つけられるのか。ささくれ立った心は、彼を仲間のような存在として、受け止めるのでした。この心に寄り添ってくれる、数少ない友達。

 二十歳になると、好きな人のことを、もっと探りたいと思うようになりました。同じく高校時代、彼に傾倒していた級友は、こんな言葉を残して卒業していったけれど。「いい加減、まっとうになりな。彼も、それを望んでる。『津軽』って作品があるから、読んでごらんよ。」

 

 ごめんなさい。ここまでです。彼の誕生日までに間に合わせたかったのだけど、今日も夕方から帰省で。それまでは、役所に、学校に、会合。ちょっといっぱいいっぱいで断念しました。心を込めて仕上げたいので、戻ってきてから、残りをゆっくり手掛けたいと思います。また、読みに来てくださいネ。

 https://www.youtube.com/watch?v=AugHi4Fx1sI