JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

続 桜桃忌

2009年06月27日 20時57分00秒 | 本と雑誌
 太宰治と言えば、処女作である『晩年』から『人間失格』に至るまで、重苦しい影を引きずる作家のように見做されがちです。そうしてその人生は、自殺・心中・麻薬中毒と、不名誉なトーンに彩られています。女性関係もかな。目立つ部分を拾い上げれば、自堕落な男でしょう。ただ、そんな彼にも、慎ましく健康的な生活の中、ペンを走らせていた時代がありました。『富嶽百景』『走れメロス』『津軽』など、この時期にいくつかの良作を生み出していますが、私はね『ろまん燈籠』がすき。5人の兄弟姉妹でロマンスを綴っていく (リレー創作)、素敵なお話です。名の知れた作品ではないものの、軽みのある文体で、素朴な人間愛を描いている。それでいて、ぎゅっと、心をつかまれるんです。

 さて、就職活動をする年齢になり、決意したことがありました。親の意向に屈せず、人生を切り開いてみよう。母は、親戚や知人を通じて、神戸の企業へ就職させたかったようですが、その思惑は頓挫する結果となりました。 売り手市場という状況が、背中を押してくれた。採用になったのは、活動母体が東京になる企業で、こうして私は、自然に実家から離れていったのです。いつしか、彼に会うこともなくなりました・・・

 東京で暮らし始めて、しばらく経った頃。そうねぇ一年半位かしらん。ふと、こんな好奇心が頭をもたげたのです。通い慣れた道の、その先には、何があるのだろう。当時私は、武蔵野市に住んでいました。駅周辺こそ適度に賑わっているものの、少し奥へ入ると、緑広がる落ち着いたエリア。住んでいたアパートは、ちょうど境目の辺りにありました。お天気のよい休日の午後、散歩気分で未知の領域へと足を踏み入れる。ささやかな冒険のつもりでした。こんもりと木々が生い茂る箇所を通り抜け、柔らかな日差しを浴びながら歩いていく。ほどなく水辺に出ます。それに沿った道をしばらく辿ると・・・突然あるモノが目の前に現れ、息をのんだ。そこには、こんな案内板がありました。「玉川上水」彼が、最後の愛人と共に入水心中した所でした。

 クスリ。可笑しさが広がっていく。これが、二人の命を呑み込み、一週間近くも遺体が上がらなかった玉川上水・・・。にわかに信じ難い程の浅瀬になっていたのです。太宰らしいオチかもしれない。「これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース (茶番) というものだ。」彼の『グッド・バイ』という遺作の一文が甦ってきました。ホントその通りになってしまったのね・・・。’自ら命を絶つなんてくだらん。よせよせ。’彼は言っている。体を張った喜劇を通して。こんな風に解釈できるのは、ずっと後のことなのですが。M・C マイ、コメデアン♪

 それでも、このルートは、私のお気に入りの散歩道になりました。近くにいながら、どうして気付かなかったのだろう。今までの自分を、ちょっぴり悔やみながら。彼は、隣町にあたる三鷹に住んでいたんですね。私が武蔵野へやってきたのは、友人の導きだったのですが、彼の魂に呼び寄せられたかのごとく、不思議な縁を感じました。ところが、そんなご縁も長くは続かなかった。一刻も早く、住んでいたアパートから逃げ出したくなる事柄が、私を襲いました。精神的に参ってしまった私は、そのアパートからも、やがては東京という街からも、撤退せざるを得なくなりました。