終戦記念日ですが、私が中学生の頃、当時の学級主任の先生が戦争体験の話しをしてくれ、クラスター爆弾の話しを聞きました。
— ponko (@pontoran) 2016年8月15日 - 20:57
クラスター爆弾の子爆弾が散る間隔が畳一畳分くらいの間隔だったと聞いて恐ろしかったのを覚えています。
良く生き残った人がいたな、と言うのが正直な感想でした。
その先生は戦争当時その当時の私と同じ中学生だったそうです。
— ponko (@pontoran) 2016年8月15日 - 21:01
焼け野原の横浜を腰に付けた缶に豆を詰めてひたすら横須賀を目指して歩いたとか。
71年前にそんなことが本当にあったとは信じられないくらいです。
クラスター爆弾の火が迫る恐怖は相当なものだったと思われ。