この写真は、硫黄島の釜岩沖に到着した小笠原丸の係留作業が始まっている様子です。船尾側の右側で、奥に見えるのは硫黄島の沈船群です。この写真でいうと、もっと右側に摺鉢山がある角度です。係留作業が終わると、ここに写っている艀は、私たちを小笠原丸から上陸地点に運んでくれます。
硫黄島の写真の紹介に戻ります。
前日の夜に、硫黄島行きの専用便として父島の二見港を出発した小笠原丸は、明け方に硫黄島の西側の釜岩沖の停泊する場所に尽きます。例年、目を覚ます時間には到着するタイミングになっています。ぎりぎり近づけて、私たちを下船、上船させて、はしけで運びやすい場所に到着するのは非常に難しい操船技術が要るそうです。そこに着くと、これまた大変な係留する作業が始まります。ここでしか見られない作業の様子を見ようと、皆が甲板に集まってきます。
その後、下船の準備で慌しくなります。硫黄島での一泊二日に必要なもの以外はそのまま船室に置いて上陸します。
この写真は、到着してまもなく、小笠原丸の上から、硫黄島の摺鉢山を撮影したものです。
前日の夜に、硫黄島行きの専用便として父島の二見港を出発した小笠原丸は、明け方に硫黄島の西側の釜岩沖の停泊する場所に尽きます。例年、目を覚ます時間には到着するタイミングになっています。ぎりぎり近づけて、私たちを下船、上船させて、はしけで運びやすい場所に到着するのは非常に難しい操船技術が要るそうです。そこに着くと、これまた大変な係留する作業が始まります。ここでしか見られない作業の様子を見ようと、皆が甲板に集まってきます。
その後、下船の準備で慌しくなります。硫黄島での一泊二日に必要なもの以外はそのまま船室に置いて上陸します。
この写真は、到着してまもなく、小笠原丸の上から、硫黄島の摺鉢山を撮影したものです。
こちらは、聟島列島の大きな島が南北にあるうちの南側の島で、今回Google Mapで調べてみるまでは、長いこと、平らなところが広く見える南側のこちらが聟島(ケータ)だと思っていたのですが、どうやら、Google Mapでは、こちらが媒島(なこうどじま)のようです。Wikipediaによると、南北の両島は5キロ離れているそうです。 今は聟島と同様に無人島になっているこちらの媒島にも以前は、人が住んでいたという記録があるそうです。
小笠原丸が聟島列島沖を通過すると、いよいよ、父島への上陸の準備で慌しくなります。
小笠原丸が聟島列島沖を通過すると、いよいよ、父島への上陸の準備で慌しくなります。
こちらが小笠原諸島の最北端の聟島列島のうちの、大きな島が南北に二つある昨日紹介した写真のうちの北側のぎざぎざした島をズームして撮ったものです。どうやら、Google Mapで見ると、これが、聟島本島であるようです。西側から撮ったこの写真ではぎざぎざの櫛のように見えますが反対側の東側にまわると平らな部分があるのかもしれません。
この聟島はケータと呼ばれます。一度は行って見たいのですが、私たち6月の硫黄島慰霊墓参の訪島の日程では、硫黄島に行く前後にそれぞれ半日ずつの自由時間があるだけですので、ケータには半日では行って帰れないために、まだ、行ったことがありません。まる1日あれば、ケータ島1日コースというツアーがあるので、行って上陸することができるのですが。
私の母は硫黄島生まれで、その頃には祖父母は硫黄島の中心の元山地区で魚と雑貨の商店を営んでいましたが、祖母が生まれたのは父島で、送付が生まれたのが、ケータだったそうです。祖父も兄弟が多かったので、その中の誰たちがケータ島生まれなのかは聞いたことがありませんが、四男(兄弟姉妹の全体の中では6番目)の祖父は、この島で生まれたということは間違いなさそうです。
Wikipediaで調べてみると、1905年の調査では「初寝村という集落があって人口25人」だったそうなので、祖父は1909年生まれですから、輪足の曽祖父母は、当時、このケータの人口に入っているのかもしれません。曽祖父母が何時頃にケータにいて、その後、どのタイミングで硫黄島に行ったのかなど話は聞いたことがなく、これから調べてもなかなか分からないだろうと思います。
この聟島はケータと呼ばれます。一度は行って見たいのですが、私たち6月の硫黄島慰霊墓参の訪島の日程では、硫黄島に行く前後にそれぞれ半日ずつの自由時間があるだけですので、ケータには半日では行って帰れないために、まだ、行ったことがありません。まる1日あれば、ケータ島1日コースというツアーがあるので、行って上陸することができるのですが。
私の母は硫黄島生まれで、その頃には祖父母は硫黄島の中心の元山地区で魚と雑貨の商店を営んでいましたが、祖母が生まれたのは父島で、送付が生まれたのが、ケータだったそうです。祖父も兄弟が多かったので、その中の誰たちがケータ島生まれなのかは聞いたことがありませんが、四男(兄弟姉妹の全体の中では6番目)の祖父は、この島で生まれたということは間違いなさそうです。
Wikipediaで調べてみると、1905年の調査では「初寝村という集落があって人口25人」だったそうなので、祖父は1909年生まれですから、輪足の曽祖父母は、当時、このケータの人口に入っているのかもしれません。曽祖父母が何時頃にケータにいて、その後、どのタイミングで硫黄島に行ったのかなど話は聞いたことがなく、これから調べてもなかなか分からないだろうと思います。
今年の6月の小笠原、硫黄島の訪問の紹介をしていて、大阪山壕の写真の紹介を終わりました。
少し、硫黄島の紹介から、少し離れて、ケータ島の写真を紹介します。
小笠原丸がいよいよ父島に到着するまでもう少しとなってきたタイミングで、船内放送で、ケータ島の横を通過中だということが知らされます。このケータ島は聟島(むこじま)とも呼ばれて、聟島列島に属します。アナウンスは「ただいま本線は、小笠原諸島最北端の聟島列島沖を通過中です。」というような内容です。
この写真は航行中の小笠原丸から東方向にある、聟島列島を撮ったものです。
距離があって分かりにくいですが、写真の左半分と右半分とに島影が見えます。左が北で右が南です。左の方がぎざぎざと尖っている部分が並んだ島で、右側の方は、平らな部分が続いていて右端に尖った部分があるという形に見えます。これまでは、てっきり、人が住んでいたことがある聟島本体が、平らな部分が多い南側の島なのだろうと思っていたのですが、今、Google Mapで見たところでは、、北側のぎざぎざに見える方が聟島で、南側は 媒島(なこうどじま) となっています。 今、Wikipediaで調べたところ、聟島列島の中で、むこじま と よめじま(嫁島)の 間にあるので、 なこうどじま だそうです。 媒 = なこうど という漢字を覚えました。
少し、硫黄島の紹介から、少し離れて、ケータ島の写真を紹介します。
小笠原丸がいよいよ父島に到着するまでもう少しとなってきたタイミングで、船内放送で、ケータ島の横を通過中だということが知らされます。このケータ島は聟島(むこじま)とも呼ばれて、聟島列島に属します。アナウンスは「ただいま本線は、小笠原諸島最北端の聟島列島沖を通過中です。」というような内容です。
この写真は航行中の小笠原丸から東方向にある、聟島列島を撮ったものです。
距離があって分かりにくいですが、写真の左半分と右半分とに島影が見えます。左が北で右が南です。左の方がぎざぎざと尖っている部分が並んだ島で、右側の方は、平らな部分が続いていて右端に尖った部分があるという形に見えます。これまでは、てっきり、人が住んでいたことがある聟島本体が、平らな部分が多い南側の島なのだろうと思っていたのですが、今、Google Mapで見たところでは、、北側のぎざぎざに見える方が聟島で、南側は 媒島(なこうどじま) となっています。 今、Wikipediaで調べたところ、聟島列島の中で、むこじま と よめじま(嫁島)の 間にあるので、 なこうどじま だそうです。 媒 = なこうど という漢字を覚えました。
これが今年種まきをした硫黄島島唐辛子の中では、一番、最近、先月撒いた、一番小さいものです。まだ、植え替えをしていません。
よく熟した実から種を取り出して、浅く撒いておけば、ほぼ100%発芽します。 植え替えの失敗や、虫被害がなければ、大きくなります。小さい頃に葉を全部食べられるなどの被害でだめになってしまう芽もたまにあります。ある程度の大きさにまでなった時に、真夏を迎えるとどんどん大きくなって茎も太くなり葉も増えますが、10月あたりになると成長が止まります。今年はどこまで育てられるか分かりませんが、頑張ります。
よく熟した実から種を取り出して、浅く撒いておけば、ほぼ100%発芽します。 植え替えの失敗や、虫被害がなければ、大きくなります。小さい頃に葉を全部食べられるなどの被害でだめになってしまう芽もたまにあります。ある程度の大きさにまでなった時に、真夏を迎えるとどんどん大きくなって茎も太くなり葉も増えますが、10月あたりになると成長が止まります。今年はどこまで育てられるか分かりませんが、頑張ります。
敵は、なめくじ、だんごむし、あぶらむし たちだそうです。(私はあまり、除去作業はしていないので、それほど詳しくはないです。)
この硫黄島島唐辛子は、葉も美味しく食べることができます。何年か前に硫黄島の祈念館に宿泊できた時には、大勢で大量の葉を取ってくれたものを炒めた料理を夕食に出してもらいました。
この硫黄島島唐辛子は、葉も美味しく食べることができます。何年か前に硫黄島の祈念館に宿泊できた時には、大勢で大量の葉を取ってくれたものを炒めた料理を夕食に出してもらいました。
この写真の硫黄島島唐辛子は、昨年行った時に硫黄島で採った実からの種を今年になって撒いて育てている中では、一番、最初に撒いて大きくなっているものです。ここから暑い夏には、急速に大きくなると思います。何とか、秋までに実をつけるところまでいけるといいのですが。
続けいてる今年の6月の硫黄島訪問の時の写真の紹介は、少し休んで、今、我が家で栽培している、硫黄島島唐辛子の紹介をします。
硫黄島が原産のこの硫黄島島唐辛子は、小粒ですが、非常に辛いです。
今年は、硫黄島で、例年になく豊作で、宿舎である祈念館の近くや訪れた島内のスポットのあちこちで、発見することができて、採ることができました。前は、先輩の人にくっついて見つけてもらったのを、隣で採らせてもらったりしていましたが、慣れてきたこともあって自分で見つけることもできるようになりましたし、森に入らなくても道から採れる場所も、今年は多かったです。
同じ小笠原村の父島でも栽培されていて干したものがお土産で売っていたりもします。ただ、他の方々も、「やはり硫黄島で育ったのが一番辛い。」と言いますし、私もそう思います。
また、父島の方によると、「父島にもあるのだが、収穫する前にメジロに食べられてしまう量が多い。」とのことでした。
以前から、硫黄島で島唐辛子は採ってきて食べていましたが、採ってきた実から種を取り出して自宅で栽培を開始したのは昨年からです。それまでには、「硫黄島島唐辛子 しまとん」と書かれた札がついた苗を、オークションや大規模園芸店で見つけて買って育てたり、また、例年9月に川崎で開催される「島民の集い」でいただいた苗から育てたりすることはありました。
昨年は6月訪問から戻ってから、採ってきた種を撒きましたので、ちょうど、1年前の今頃に種を撒きましたが、今年は昨年の種をとっておいて
4月から6月にかけて種をまきました。
昨年は、秋からは自宅に入れて育てましたが、花はたくさん咲きましたが、実は小さいのがいくつか見える程度まで、というとこで冬に突入してしまって生育が止まりました。関東の気温では冬越しは難しいです。
冬の間も室内で育てたものを、春先に植えなおして外に出しました。
この写真は、今朝、撮影したものですが、つぼみ、花に混ざって、かなり大きくなって食べられる実が見えるようになった、去年、硫黄島で採った種から芽が出て昨年冬越しさせた硫黄島島唐辛子です。
先週、一粒、食べました(しょうゆに入れて、まぐろの刺身をたべました。)が、なかなか本格的な辛さになっているので、満足、安心しました。
暑い季節が大好きですので、これからの季節、どんどん大きくなっていくと思います。たくさん、収穫できるといいなと思っております。
硫黄島が原産のこの硫黄島島唐辛子は、小粒ですが、非常に辛いです。
今年は、硫黄島で、例年になく豊作で、宿舎である祈念館の近くや訪れた島内のスポットのあちこちで、発見することができて、採ることができました。前は、先輩の人にくっついて見つけてもらったのを、隣で採らせてもらったりしていましたが、慣れてきたこともあって自分で見つけることもできるようになりましたし、森に入らなくても道から採れる場所も、今年は多かったです。
同じ小笠原村の父島でも栽培されていて干したものがお土産で売っていたりもします。ただ、他の方々も、「やはり硫黄島で育ったのが一番辛い。」と言いますし、私もそう思います。
また、父島の方によると、「父島にもあるのだが、収穫する前にメジロに食べられてしまう量が多い。」とのことでした。
以前から、硫黄島で島唐辛子は採ってきて食べていましたが、採ってきた実から種を取り出して自宅で栽培を開始したのは昨年からです。それまでには、「硫黄島島唐辛子 しまとん」と書かれた札がついた苗を、オークションや大規模園芸店で見つけて買って育てたり、また、例年9月に川崎で開催される「島民の集い」でいただいた苗から育てたりすることはありました。
昨年は6月訪問から戻ってから、採ってきた種を撒きましたので、ちょうど、1年前の今頃に種を撒きましたが、今年は昨年の種をとっておいて
4月から6月にかけて種をまきました。
昨年は、秋からは自宅に入れて育てましたが、花はたくさん咲きましたが、実は小さいのがいくつか見える程度まで、というとこで冬に突入してしまって生育が止まりました。関東の気温では冬越しは難しいです。
冬の間も室内で育てたものを、春先に植えなおして外に出しました。
この写真は、今朝、撮影したものですが、つぼみ、花に混ざって、かなり大きくなって食べられる実が見えるようになった、去年、硫黄島で採った種から芽が出て昨年冬越しさせた硫黄島島唐辛子です。
先週、一粒、食べました(しょうゆに入れて、まぐろの刺身をたべました。)が、なかなか本格的な辛さになっているので、満足、安心しました。
暑い季節が大好きですので、これからの季節、どんどん大きくなっていくと思います。たくさん、収穫できるといいなと思っております。