これが大阪山壕と入り口のある高台からの写真の最後になります。今年初めて行った、この場所は、慰霊祭が行われる硫黄島旧島民平和祈念墓地公園の入り口を、下りて入っていくのとは逆側に、上る坂道が作られていて、かなり急なその坂を上った場所にあります。真下方向に、公園の全体を撮ったのがこの写真です。 緑の中に公園の中の建物があって、その向こう側には隆起でできた砂浜と海が見えます。
これも、硫黄島の大坂山壕入り口がある台地から撮った釜岩付近が写っている写真です。昨日、載せた停泊している小笠原丸はこの写真のもっと左の方になります。この写真の重機や車が見える辺りが、私たちが上陸させてもらう場所で、その向こう側が戦前は硫黄島からは離れて海上にあった釜岩です。今は、隆起で釜岩は完全に陸続きになっていて、そのつながった部分が上陸する場所です。上陸地点から釜岩まで全体を見たのはこの大坂山壕に行けた、今回が初めてでした。
硫黄島での活動は、バスによる移動での班行動です。
今年は、三年ぶりに、1日目の夕方、皆での活動が終わった後の時間に、宿泊施設である祈念館に戻ってから夕食までの時間に、硫黄島を走りました。祈念館から北観音までの往復、約5キロを走りました。
ですが、基本的には全ての活動は集団行動になりますので、行程に入っていてバスで連れて行ってもらえる場所以外には行くことはできません。硫黄島の島内で、毎年のように行っている場所もありますが、一度も行っていない場所もありますし、あまり回数多く行っていない場所もあります。西大佐の碑には、まだ、二回しか行っていません。
この大阪山壕の場所は、今年から行けるようになった場所ですので、この地点から写真を撮るのも、もちろん初めてです。
大阪山壕入り口のある高台から、釜岩沖に停泊している小笠原丸を撮影した写真です。
この写真を撮った地点は、おそらく、昨年に来た時には、6メートルの高さの土砂をどける前で、その土砂の表面は他の箇所と
同じような森になっていた場所ではないかと思います。
今年は、三年ぶりに、1日目の夕方、皆での活動が終わった後の時間に、宿泊施設である祈念館に戻ってから夕食までの時間に、硫黄島を走りました。祈念館から北観音までの往復、約5キロを走りました。
ですが、基本的には全ての活動は集団行動になりますので、行程に入っていてバスで連れて行ってもらえる場所以外には行くことはできません。硫黄島の島内で、毎年のように行っている場所もありますが、一度も行っていない場所もありますし、あまり回数多く行っていない場所もあります。西大佐の碑には、まだ、二回しか行っていません。
この大阪山壕の場所は、今年から行けるようになった場所ですので、この地点から写真を撮るのも、もちろん初めてです。
大阪山壕入り口のある高台から、釜岩沖に停泊している小笠原丸を撮影した写真です。
この写真を撮った地点は、おそらく、昨年に来た時には、6メートルの高さの土砂をどける前で、その土砂の表面は他の箇所と
同じような森になっていた場所ではないかと思います。
逆光なのか分かりにくい写真ですが、紹介してきた大阪山壕の入り口がいくつも並んでいる場所の上の方の崖の面の写真です。
戦争の時の弾痕の痕が、無数にあります。
この場所は、近頃実施さらた発掘、ご遺骨収集作業より前には、この崖の面の一番上の線あたりまでいっぱいの土砂があったそうです。
壕の入り口から高さ6メートルほど堆積していた土砂を重機を使って大量に除いて、今の状態にしたそうです。この壁面のところどころには、
ユンボ(重機)の爪の痕が縦に何筋かついている箇所がありました。
一昨年は、震災の影響出の延期後の硫黄島渇水水不足で上陸できませんでした。二年ぶりの上陸となった昨年の6月に、多くの土地がならされてかなり巨大な重機が置いてあるというこれまでに見たことがない光景になっているのを目撃はしました。
6メートルの高さがある堆積土砂をどける作業をしたのですから、大型のユンボを使って、時間をかけて、ご遺骨収集ができるところまでしてもらったのだと思います。
戦争の時の弾痕の痕が、無数にあります。
この場所は、近頃実施さらた発掘、ご遺骨収集作業より前には、この崖の面の一番上の線あたりまでいっぱいの土砂があったそうです。
壕の入り口から高さ6メートルほど堆積していた土砂を重機を使って大量に除いて、今の状態にしたそうです。この壁面のところどころには、
ユンボ(重機)の爪の痕が縦に何筋かついている箇所がありました。
一昨年は、震災の影響出の延期後の硫黄島渇水水不足で上陸できませんでした。二年ぶりの上陸となった昨年の6月に、多くの土地がならされてかなり巨大な重機が置いてあるというこれまでに見たことがない光景になっているのを目撃はしました。
6メートルの高さがある堆積土砂をどける作業をしたのですから、大型のユンボを使って、時間をかけて、ご遺骨収集ができるところまでしてもらったのだと思います。
この写真は大阪山壕の内部です。硫黄島の他の壕の中で、たとえば、医務課壕などのように、私たちが中に入って見ることができるようにしてもらっている壕と同じく、外に置いてある発電機からの電気で、このように照明をつけてくれています。
全体ではどれぐらいつながって続いているのか分かりませんが、入れるのは、入り口近くの付近だけです。懐中電灯などを持っていっていますので、このような照明がなくても、ある程度は進めます。以前は、別の壕では、いくらか進んでいったことがあります。
ただ、それぞれの場所で見学が終わったら集合してバスで次の場所に移動しなければいけませんので、班行動のペースを乱すことができなません。また、たとえ時間があったとしても、ある程度までしか進むことができないのは、かなり急に、下方に下がっていく部分に出てしまうためです。さすがに、急に下っている場所の先までは進むことはできません。
全体ではどれぐらいつながって続いているのか分かりませんが、入れるのは、入り口近くの付近だけです。懐中電灯などを持っていっていますので、このような照明がなくても、ある程度は進めます。以前は、別の壕では、いくらか進んでいったことがあります。
ただ、それぞれの場所で見学が終わったら集合してバスで次の場所に移動しなければいけませんので、班行動のペースを乱すことができなません。また、たとえ時間があったとしても、ある程度までしか進むことができないのは、かなり急に、下方に下がっていく部分に出てしまうためです。さすがに、急に下っている場所の先までは進むことはできません。
これも、硫黄島の大阪山壕の写真で、いくつも並んでいる入り口の中で、この日、中に入れるようにしてくれていたのは二つで、残りはこのように入り口まで近づくことはできましたが、立入禁止になっていました。、中に入れば、それぞれつながっているはずです。中に入ってから進むとすぐに急な斜面になっている箇所もありました。
今年、初めて行けるようになって、見学した場所、大阪山壕の写真の紹介の2番目です。これは、この日は立ち入り禁止になっていた右の方の壕の入り口のいくつかです。かなり大規模な壕であることが分かる写真だと思います。6メートルの高さで土砂が覆っていたのをどかして、このおうに入り口に入れるようにしてから、遺骨の収集をしたそうです。