国会での野次が問題視されたのはもう1ヶ月も前になります。
それから記者証が取り上げられたとか未だ聞いていません。
反省しているとは思えないような書き込みをしておられます。
記者として記事を書くなら少なくともご自分の意見よりも事実を優先して形にする事に真摯になるべきかと思っています。
ご自分の意見を優先したいならその看板に掛け替えるべきかと思います。
記者の称号から少なくとも主筆や編集者のような肩書きにならないと記者の論調を強くて東京新聞の記事だからと偏りを配慮する事になってしまいます。
テレビのアナウンサーがそうなのですが、偏りを一応排除して正確な情報伝達が使命でしょう。
それなのに新聞記者は偏ってもその新聞社の名前で配慮を加えないといけないのでは問題かと思っていました。
早い話が江川紹子さんのようになられるのでしたらご自由にどうぞと言うような感じです。
記者と論客の二つの草鞋を履くのは御法度ではありませんか?
記者を続けたいなら、斜に構えて悪を斬るのはどうなんでしょうか?
別に悪意の塊でジャニーズやビッグモーターが会見を躊躇していたのでなく、謝罪会見=白旗のような偏向報道でバッシング報道が正当化されているようにしか見えません。
不正を叩くのは正当でもその関係者の人達といるのですから、無関係な話を絡めて書くのはどうなのかと思われます。
特にジャニーズは誰が被害者なのかも公表されていないので下手すれば被害者が叩かれるような顛末になり兼ねますから要注意なのです。
謝罪会見を開くなら、本来は謝罪する相手を前にするもので記者会見とは違いますよね。
記者会見で謝罪するから記者の質問が深掘りの場になってしまいます。
ところが実際には世間に謝るよりも現実的な対応をさせる方が優先なのです。
記者会見は第三者の意見を取り入れただけに過ぎない、言わば存続を意識した最期の手法でビッグモーターの旧経営陣のように去るならそれで責任は果たした雰囲気は伝わるのでしょう。
ビッグモーターは会社存続により今後発生するかもしれない役所の調査、民事訴訟等に対処するのが社会的な話です。
ジャニーズも民事訴訟などを考えると会社がなくなった場合相手が旧経営陣とかになるしかないのでしょう。
つまりはどちらかと言えば、これまでの問題を再発させないようにする会見だけでなく、その処理や存続に関しても問われるような意義があるのかと思います。
未だ、日本だと勧善懲悪の単純な話がネット理解を得易く、それ故に悪者を晒して「晒し者」にする公開処刑のような形になっていないかが最近の思う所です。
それがバッシングで誹謗中傷への下地になってしまうような雰囲気が良くないのでしょう。
十把一絡げのネタ記事を書いてしまうと細部で違う点など情報の背景で問題が起きるような感じがしています。