法人化しないでいたいのは 何故なのかを説明出来ていないのです。
そもそも役割ってなんですか?
役立ってもいないのに誤解されていますよね。
なぜ辛辣な言葉になるのかと言うと結局抽象的な事は並べても具体的にこれが成果だと言うものがないのです。
学術会議の具体的な成果を検索しても
尊厳死に関する報告書(平成6年)の公表により、マスコミの注目を集める
これくらいしか出てきません。
これですら方向性すら危うい問題提起の手前です。
理論武装し過ぎて、具体的な検証やそのデータ収集をしない為か国民意見とのコンセンサスすら、検索しても出てきません。
もっとです、そんな事した経験が有りませんから。
国民意見を捻じ曲げるだけの努力をした事が無いのにどうして役立ったと言えるのでしょうか?
国民意見や行政の構想、政治家の理念等を変えてでも理論的に正しい姿に導くだけの力がないのです。
仕方ないのでしょう、これまで日本の決め事の多くは多数決か利益でしたから。
利益や多数派を超えて理論が学術会議の意見が通って日本が良くなった事例を上げるのは難しいです。
その前に災害などで言えば理論の進歩よりも災害が激甚化しています。
50年に一度が下手すると何度も来た感じがします。
また社会的進歩でさえ、完全に言いあてるくらいの精度があったかと言えばさにあらず例えばスマホにしてもアメリカが先行してましたよね。
日本はガラ携でした。
想像力もない、また社会的な諸事情にも詳しくないから著作権でスマホは日本では作ってもそう言う点で難しかった。
まさかこんな簡単にその著作権が軽んじられて扱われるとは思いもよらなかった。
AIにしても何か言ってましたっけ?
ましてもっと駄目なのはロシアのウクライナ侵攻で崩壊した国際的な秩序に何も言えていなかった気がします。
せめて6人の件以上に騒がれて当然のテーマです。
日本もロシアの隣国なのですから。
具体的に騒げなかった一番は新型コロナワクチンの件なのかと思います。
ワクチンの接種とか理論的な話を出来ないから反ワクチンにフェイクが多くなっています。
学術の権威が地に落ちたのも同然なくらいに非科学的な話がネットに載ります。
学術研究も必要ですが、その価値を無視するような情報の流し方に異議を問うべきです。
間違った情報を流すのをやめないのにコントロール出来ないのに情報量だけ多く扱う事への警鐘は鳴らすべきです。
無理ないと思うのはノーベル賞でさえ、その価値が必ずしも人類を幸福にしたかと具体的に記述すれば難しいのでしょう。
仮に国本体から切り離されたくないなら、貢献度をアピールする筈です。
こんなにも貢献したのに切り離すのは政治家が煙たがるからだとなります。
理論が邪魔して原発の再稼働が出来ないとか、憲法改正でも現実的な点を突かれて困るとかそう言うのなら国民のコンセンサスで切り離すのをやめられたと思います。
国立大学が独立法人化して困った事でもあるのでしょうか?
唯一は文系の価値を問われて廃止とか言われてしまった事でしょう。
しかし現時点でそんな野暮な行為に至っていません。
たとえ実際にアメリカの言うような生産効率(結果として利益)が上がらなくてもそれに耐えるような社会のままです。
だから格差や相対的貧困とかに悩まされていますよね。
簡単に言えばストをやっても賃金を上げるような社会にならないと結果として利益が抑えられて生産性が低いと言う評価です。
そう言うような話すらもたぶんしてこなかったと記憶しています。
していればもっと騒いでいたし、学術会議の後ろ盾で他国並みの最低賃金に固執していても良かったのです。
これなんておそらく理論と言うよりも社会科の教科書の一部の話では?
だって最低賃金が他国より安ければ国際的なインフレで生活が困るのなんて分かる話です。
学会で話しても有識者会議で話さないと効果ないのです。
それに結局、最低賃金を上げられないのでは政策の失敗と言うか想定外つまり検討不足なのです。
確かにロシアのウクライナ侵攻はそれまでのお約束、他国への武力侵攻は常識的に抑えるのが常でした。
例外はあれど、国際的に安定した状況なのに外交が破綻しても突っ切ったのは稀中の稀です。
国際的にも孤立して常任理事国でもなければ決定事項がそのまま通過していますから。
だから難しいのは難しいとしてもせめて後追いで良いから間違っている点を指摘してきちんとした国際社会の在り方を議論しても良かったのかと思います。
憲法9条の総括さえもしないままに結局、国民コンセンサスを刺激しないのですよね。
憲法改正の国民的な議論ってズバリ今回のロシアのウクライナ侵攻をまともに議論するだけで改正するしかないのでしょう。
そう言う組織でない時点で国民とは遠いやはり国から離すしかない状況です。
こんなに書いても現実の話だとせいぜい国立大学と同じで独立法人格だけど名称は残せるし、なんならそのプライドは保たれたままです。
おそらく、学術会議を法人化してもプライドは以前のまま、扱いもそれ相当のままです。
想うに成果と言うか実績も以前同様な穏便な議論で国民コンセンサスを形成させるに十分な理論武装はしないのかと思います。