25日夕方反転住宅へ帰ってきました。2週間の滞在でしたが有意義な日々を過ごしました。コンピュターを持参するのを忘れたのと、千恵子が風邪で熱が出たため初めの一週間は看病と犬の散歩、庭の草取り等の主婦と母親業をした為、雑用に追われましたが何かとても良かった気がします。コンピューターがないだけで頭が空っぽになり、自然に肩の荷が降りて行くの感じました。
後半の一週間は千恵子も元気なり、学校とアルバイトの時間の合間に色んな所へ連れて行ってくれ、今回はサンフランシスコ在住で、活躍されている日本人の大物人物を千恵子から紹介され、食事会や縄文心導の紹介をさせてもらいました。千恵子もやるなあ!
日本太鼓道場の創始者の田中誠一先生(64歳)は、アメリカの太鼓の父と言われています。日本の文部大臣から表彰されていられ、キタロウや、ジャズミュージシャンともジョイントしてアメリカでも有名です。その田中先生が縄文心導をとても気にいられていて、うちの道場のサンフランシスコで教えてくださいと言われ、「倉富さんのヒーリングはマッサージじゃなく、御祓いだ!」ともいわれました.
千恵子がアルバイトしている「もん」の広告会社の木村社長はサンフランシスコに来られて40年、若い頃は東映のニューフェイスであったとか、71歳になられてもその面影は今でも残られていて、ジャパンタウンの中にある寿司屋でお話を伺いましたが面白かったです。自分は顔が小さいので役者にはなれなかったお話で、その当時は顔が大きい人が良くて、役者は撮影の時は一歩足を踏み出し顔を前に出して映りたがったという事です。ローマ皇帝の塩野七重さんが皇帝を選んだ理由に歳とっても顔に35歳の若さを持った皇帝を選んで書いたと言われた ことを思いだしました。木村社長は今も35歳の若い顔を一瞬されていて、とても素敵な方でした。木村社長は人脈も広く、私のブログも見てくださっているとか、千恵子はここで営業の仕事を週2回のアルバイトで社長からノウハウを学んでいます。
学校や太鼓、ヒップホップのクラスなどで超多忙にしていたらしく私が訪ねたら、気が緩んだのか寝込んでしまいました。千恵子はサンフランシスコに滞在5年過ぎ、自分を磨きたいと考えている ようですが、若さに任せた時間の過ごし方もその時は元気を勘違いし、動けますが、後でガクッと来ます。ストレッチなどもっと生活に取り入れて、自分を大 切にして欲しいと願いながら帰国しました。