長崎県で被爆者された医師、秋月辰一郎先生が描かれた「死の同心円」という本です。
被爆した人達は、「吐気がする。身体がだるい。血便が出る。髪が抜ける。歯茎から血が出る」と原爆症の症状を訴え始めつぎつぎと倒れていきました。
発症が、今日は、爆心地から半径五百メートルで被爆者した人達、今日は一キロメートルの人、と同心円状に広まっていった恐怖感を表したことばです。
秋月先生が被爆したのは、爆心地から一、四キロはなれた浦上病院でした。
いよいよ半径二キロで被爆した人達が次々と倒れて行く中で、不思議なことに秋月先生とそこで働く看護婦達は、原爆症にならなかったのです。
それは何故か。
秋月先生にはふたつの体験がありました。
一つは玄米食によって生来の病弱を克復したこと、もう一つは長崎大学で放射線教室に助手席として勤務先していたことです。
「死の円心円」によると、秋月先生はご自身も含め、被爆した人達が訴える症状がx線治療法の後にレントゲン取り扱い技師たちが見せる「レントゲン宿酔」という症状に類似していることに気ずきます。
そしてその治療法は濃い食塩水を飲ませることだったと思い起こしました。
「ばくだんをうけた人には塩(注、精製されていないもの)が良い。玄米食にうんとしおをつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁を作って毎日たべさせろ。そして甘いものは避けろ。砂糖は絶対いかん」
秋月先生は、被爆した職員や周囲の人達にこう指導した結果、原爆症の発症をまぬがれたのです。
そして先生は八十九歳で亡くなられるまで医療活動や反核平和運動に献身的従事されました。
被爆した人達は、「吐気がする。身体がだるい。血便が出る。髪が抜ける。歯茎から血が出る」と原爆症の症状を訴え始めつぎつぎと倒れていきました。
発症が、今日は、爆心地から半径五百メートルで被爆者した人達、今日は一キロメートルの人、と同心円状に広まっていった恐怖感を表したことばです。
秋月先生が被爆したのは、爆心地から一、四キロはなれた浦上病院でした。
いよいよ半径二キロで被爆した人達が次々と倒れて行く中で、不思議なことに秋月先生とそこで働く看護婦達は、原爆症にならなかったのです。
それは何故か。
秋月先生にはふたつの体験がありました。
一つは玄米食によって生来の病弱を克復したこと、もう一つは長崎大学で放射線教室に助手席として勤務先していたことです。
「死の円心円」によると、秋月先生はご自身も含め、被爆した人達が訴える症状がx線治療法の後にレントゲン取り扱い技師たちが見せる「レントゲン宿酔」という症状に類似していることに気ずきます。
そしてその治療法は濃い食塩水を飲ませることだったと思い起こしました。
「ばくだんをうけた人には塩(注、精製されていないもの)が良い。玄米食にうんとしおをつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁を作って毎日たべさせろ。そして甘いものは避けろ。砂糖は絶対いかん」
秋月先生は、被爆した職員や周囲の人達にこう指導した結果、原爆症の発症をまぬがれたのです。
そして先生は八十九歳で亡くなられるまで医療活動や反核平和運動に献身的従事されました。