ーそもそも縄文に魅了されたきっかけは。
宗左近 「昭和27年に岡本太郎さんの「縄文芸術論」に出会いまして、その後たまたま縄文土器を手に入れて、急
性骨董病にかかったんです。
その頃は前衛美術に魅かれていたんですが、実は古美術こそが、一番強い衝撃力を持っているんじゃないか
と思い始めまして」
ーそして縄文精神の系譜をたどられてきた。
宗左近 「 日本史は、弥生人とその子孫によって作られて来た。しかし縄文の精神は、隠されてきた魂として生
き続けているんです。人に取り憑いて蘇えってきた。断絶して、連続している。死体にして、生体です。
-相反するものを内包しているんですね。
宗左近 「縄文ほど生と死、日常と非日常を表している世界はないんです。それが芸術の根源、僕の言葉で言うと
、「かなたへの誘い、こなたの破壊」かなたとは時空間を超えた非日常であり、こなたとは日常のことです。
そんな思いが、戦争で犬死としてせつ断された4人の戦友とダブって、縄文を問い直す作業にのめりこませたんです。
そしてもう一つ。空襲の火災の中で、母と逃げる途中、その手を離して死なせてしまった.....。
そういう体験も僕の中で縄文をよみがえらせたのでしょう。
なぜなら縄文の出土品には、戦闘による損傷の跡がないんです。現世的、好戦的な弥生に対して、縄文はあくま
でも超越的、平和的。その神は、"愛の神"という以外ないんですね。
宗左近 「昭和27年に岡本太郎さんの「縄文芸術論」に出会いまして、その後たまたま縄文土器を手に入れて、急
性骨董病にかかったんです。
その頃は前衛美術に魅かれていたんですが、実は古美術こそが、一番強い衝撃力を持っているんじゃないか
と思い始めまして」
ーそして縄文精神の系譜をたどられてきた。
宗左近 「 日本史は、弥生人とその子孫によって作られて来た。しかし縄文の精神は、隠されてきた魂として生
き続けているんです。人に取り憑いて蘇えってきた。断絶して、連続している。死体にして、生体です。
-相反するものを内包しているんですね。
宗左近 「縄文ほど生と死、日常と非日常を表している世界はないんです。それが芸術の根源、僕の言葉で言うと
、「かなたへの誘い、こなたの破壊」かなたとは時空間を超えた非日常であり、こなたとは日常のことです。
そんな思いが、戦争で犬死としてせつ断された4人の戦友とダブって、縄文を問い直す作業にのめりこませたんです。
そしてもう一つ。空襲の火災の中で、母と逃げる途中、その手を離して死なせてしまった.....。
そういう体験も僕の中で縄文をよみがえらせたのでしょう。
なぜなら縄文の出土品には、戦闘による損傷の跡がないんです。現世的、好戦的な弥生に対して、縄文はあくま
でも超越的、平和的。その神は、"愛の神"という以外ないんですね。