書き忘れましたが、大きさは、手の小さい私でも片手の、掌に乗せて、指で支えられます。
年を取ると、だんだん小さな軽いものへ移行して行くようです。
Nikon D800も重いのでそろそろ、お蔵入りしようと、思っていますし
Ipad もminiにしたことですし、カメラを全て売り払って、軽いカメラ1台体制にしたいなと思う今日この頃です。
書き忘れましたが、大きさは、手の小さい私でも片手の、掌に乗せて、指で支えられます。
年を取ると、だんだん小さな軽いものへ移行して行くようです。
Nikon D800も重いのでそろそろ、お蔵入りしようと、思っていますし
Ipad もminiにしたことですし、カメラを全て売り払って、軽いカメラ1台体制にしたいなと思う今日この頃です。
昨日新しいIpadminiが届きました。
wifiはやめて、cellularにしました。
wifiを起動するのにかなり時間がかかるので、変更です。
驚いたことに、Ipad Proのデーターをそっくりminiに移せるのです。
しかも短時間で、もう一つ良いことに、データ移行後のIpadは工場出荷状態に戻せるのです。
手動でやると、メール設定など、ややこしくて嫌になりますが、全くそんな心配は要りませんでした。
「熱田神宮2」を打っている間に出来上がりました。
タッチIDは、スルーしました。
何やら分からなくなりそうですので今回は、パスです。
パスといえばあパスコードは設定しました。
パスしようとしたら、パスしないで設定してくださいだったので、設定しました。
miniの起動に早速要求されました。
パスコード忘れたらどうしよう?
交換したきっかけは、寝る時に、数独をやってから寝るのですが、眠気が強くなると、Ipadが顔の上に落下してきます。
あまりにも痛いので、少し小さければ、少しは痛さが減るかもしれないという理由が、交換したきっかけです。
機会があったら、miniで写真を撮って、投稿したいと思います。
熱田神宮の祭神のひと柱日本武尊
私の生まれた横須賀とも縁があるのでなんとなく気になります。
走水から房総半島に渡ったとされ、弟橘媛の入水もこの時のものとされています。
走水は、子供の頃よく行った馬堀海岸(今は埋め立てられ住宅地になっている)の隣の湾で水が澄んで綺麗な海水浴場でした。
女房と中学3年の時初めてのデートは、この海岸でした。
おそらく付録がたくさんついて来ていたと、思われますが、覚えていません。
さてさて熱田神宮です。
境内にきしめんがあったので、うどん好きのTBGは、見逃すことなくかき込みました。
思った通り美味しかった。
少しモチモチ感があって、吉田うどんよりは柔らかい
関東のスーパーに売っている「きしめん」とはだいぶ違った。
きしめんを食べて、満足している時に、参道はこんな状況が起きていました。
右の端は、参拝者のコートの端です。
カットすることもできますし、なかったことにもできるのですが、今回はそのままにしました。
今回は、容量の縮小のみに使用しました。
熱田神宮と言えば織田信長を思い起こす方が多いと思います。
天叢雲剣をご神体とする神社であり、日本武尊が祀られている神社でもあります。
神話の中の神社と言えましょうか。
私としては、ひまつぶしではなく「ひつまぶし」を食べにゆく大本の理由でもあります。
元々熱田神宮に初詣をしたくて、駐車場を探していたところに偶然、「ひつまぶし」の店の駐車場に入ることができてそこで「ひつまぶし」を知っていれば、食べたものを
無知であったため、再度食べに出掛けて来たのですから
ちょうど七五三の時期の最後に当たっていたようでした
これはおばさんです二人です
丁度いいところにいたので
今から26年前1995年1月17日午前5時46分に発生した「阪神・淡路大震災」
26年も経ってしまったんだと思っています。
私のとってはまだついこの間のように感じています。
朝起きたら「お父さん、神戸が大変なことになってるよ!」
テレビの画面には、何本もの黒煙が映っていました。
430Mhz SSB帯マチュア無線の仲間達が大勢いる阪神地区、他人事ではありませんでした。
震災から5日後現地に支援金、支援物資を満載して、ランクル80と共に到着しました。
神戸の仲間の無線誘導で、道路は予想通り寸断されランクルでも通行に支障をきたすほどでした。
ここは入り口近くです。
わかりにくいのですが、左角から出ている側溝の続きが、真ん中から右に向かって横になっている側溝です。
角度を変えると
南東側が南西方向に向かって1〜2m横連れ同時に南東側が0.5〜1.2m隆起して逆断層になったとあります。
青い印を基準に右から左にずれた
左の小さな看板には「液状化の後」と書いてあります
私の見た地震から5日後の現場は、この上の写真ほど綺麗ではありませんでした。
この写真の家は鉄筋コンクリート製のためかなり剛性があったようです。
私の見た友人の家は国道2号線上りに面していて、木造のかなり古い家でした。
2階が、1階に覆いかぶさるように崩れ2階の窓から入って、1階に行き1階の窓から出てきました。
中は真っ暗。
懐中電灯の光を頼りに見て回ったのですが、脱出する手前で平衡感覚がおかしくなって、感覚的には真っ直ぐ立っていられず倒れる寸前でした。
「見られるだけ見ていってくれ」という仲間達の案内で、神戸を歩き回りました。
アパートの2階では、トイレの柱だけが2階に残っていて他は全て崩れ落ちた建物。
地割れした道路。
倒壊して道路に横たわる大きなビル。
当時は写真をやっていませんでしたが、目に焼き付けてきました。
それだけに26年がすぐそこにあるような気がしているのでしょう。
2011年の東日本大震災においても、2011年当時宮城県栗原市に住んでいた無線仲間を見舞いましたが、電柱がバラバラに斜めになっているとか
道路が波打っている、縁石が勝手な方向に倒れている、墓石が、バラバラであったという印象があります。
地震当日の東京青山1丁目での高層ビルの揺れほど劇的には感じませんでした。
やはり広い範囲での被害状況と狭い範囲での状況の違い、また密集した都会と郊外との違いかなと思いました。
この保存館を見たくて、神奈川相模原から長駆しました。