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オバマ米大統領、自由切望するエジプトで「歴史が刻まれた」

2011-02-12 12:33:21 | 国際関係
2011年2月12日(土)

 エジプトでの大統領“辞任” ⇒ 失脚 情報の続きです。


     「この瞬間待っていた」カイロ市民歓喜
   ムバラク大統領の辞任が決まり、歓喜する反体制デモ参加者
         =小西太郎撮影(読売新聞)


 アメリカのオバマ大統領は、これを歓迎する声明を発表したそうです。

 今回の政変に対して、自らもアフリカにルーツを持つオバマ大統領の思い入れは

相当強いようで、言わば格調高い表現で民主化を評価しています。

 その最も典型的な部分を引用すると・・・

  そして何よりも、新しい世代が台頭するのを私たちは見ました。この世代は、自分たちの創意工夫と才能とテクノロジーを駆使して、自分たちの恐怖ではなく自分たちの希望を代表する政府を要求したのです。自分たちの無限の志に応えてくれる、そんな政府を求めたのです。1人のエジプト人がこう簡潔に言いました。ほとんどの人はこの数日で気づいた。自分には価値があるのだと。その価値は、二度と決して奪われることがないのだと。

 これが人間の尊厳というものの力です。決して否定されることのない力です。エジプトの人たちの姿に、私たちは感動し、奮い立った。エジプトの人たちは、正義は暴力で勝ち取るのが一番だなどという考えの嘘を暴いてくれて、私たちを奮い立たせてくれたのです。なぜならエジプトでは非暴力による道義の力こそが、テロでもなければ無意味な殺戮でもなく、非暴力の道義の力が、歴史の流れを改めて正義へと向かわせたのですから。

 私たちが触れた光景や音はどれもすべてエジプトのものでしたが、こだまして響く歴史の音を思わないわけにはいきません。壁を打ち砕くドイツの人たちからの響き、街中にあふれたインドネシアの学生たち、そして正義の道へ人々を導くガンジーからの響き。 ・・・
 



以下、goo翻訳(加藤祐子・訳)による全文を引用します。



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スイス、ムバラク氏一族の資産凍結指示 5兆円報道も(朝日新聞) - 2011年2月12日(土)13:09

ムバラク大統領失脚、イスラエルに衝撃(読売新聞) - 2011年2月12日(土)11:46

我々の新たな時代が始まる ムバラク氏辞任、歓喜の歌(朝日新聞) - 2011年2月12日(土)11:51

「この瞬間待っていた」カイロ市民歓喜(読売新聞) - 2011年2月12日(土)03:02



オバマ米大統領、自由切望するエジプトで「歴史が刻まれた」と 声明全文翻訳  
          (gooニュース)  2011年2月12日(土)09:50

 大統領退陣を求める市民の声が18日間にわたり高まり続けたエジプトで11日、スレイマン副大統領がムバラク大統領の辞任を発表したのを受けて、オバマ米大統領は「自由を切望」したエジプト市民の行動を称え、「エジプトは二度と元のようにはならない」と声明を読み上げた。1月25日に各地で始まった退陣要求運動を受けてオバマ政権は当初、漸次的・段階的な政権移行を支持したものの、ムバラク派による市民やメディアの殺害・弾圧が相次いだ後は、ムバラク大統領の早期辞任を言外に促していた。エジプトはイスラエルと隣接し、スエズ運河を抱え、北アフリカ・中東における地政学上の要と言えるだけに、歴代の米政権はムバラク政権を長年にわたり重要な同盟国として支援してきた。(gooニュース 加藤祐子)

ホワイトハウスが発表したオバマ大統領による11日午後の声明は次の通り――。

     ******************** 

「皆さん、こんにちは。歴史が刻まれていく様を目にするのは、人生において得難い特権です。これはそういう瞬間です。これはそういう時です。エジプトの人たちは意思を示しました。人々の声は届きました。そしてエジプトは二度と元のようにはならない。

退陣によってムバラク大統領は、変化を求めるエジプトの人たちの渇望に応えました。しかしエジプトの移行はこれで終わりではありません。これは始まりです。これから先、困難な日々が続くことでしょう。答えの出ていない問題もたくさんあります。けれども、エジプトの人たちは答えを見つけるはずだと私は確信しています。エジプトの人たちは平和的に建設的に、この数週間を貫いてきた団結の精神で、答えを見つけるはずだと。なぜならエジプトの人たちは、真の民主主義以外のなにものをも認めないと、はっきり意思表示してきたからです。

軍はこれまでも国を守るものとして愛国心と責任感をもって尽くしてきました。軍は今後も、エジプトの人たちが見て納得のいく政権移行を、保障しなくてはなりません。それはすなわち、エジプト市民の権利を守り、国家非常事態法を撤廃し、変化を不可逆なものにするため憲法やその他の法律を改正し、そして公正で自由な選挙への明確な道筋を示すことを意味します。何よりも、この政権移行にはエジプトのあらゆる声が参加しなくてはなりません。なぜならエジプトの人たちがこれまで示してきた、平和的抗議と不撓不屈の精神こそ、政権移行を後押しする強力な風となり得るからです。

アメリカは今後もエジプトの友人でありパートナーであり続けます。信頼できる民主主義への移行を実現するため、私たちは必要な支援を、求められれば、何でも提供する用意があります。それに加えて、エジプトの若者たちがこの数日の間に示した気転や創意工夫や起業家精神を使えば、この若い世代の素晴らしい可能性を羽ばたかせるだけの、仕事やビジネスといった新しい機会を作り出せるだろうと、私は確信しています。そして民主的なエジプトは、周辺地域だけでなく世界各地において、責任あるリーダーとしての役割を推進していくことでしょう。

エジプトは6000年以上にわたり、人類の歴史において決定的な役割を担ってきました。しかしこの数週間、エジプトの人たちが普遍的な権利を求めるに伴い、歴史の歯車はめまぐるしい勢いで回転しました。

本当の自由とはこういう姿なのかもしれないと子供たちに見せるため、お母さんたちやお父さんたちが子供たちを肩に担いでいる姿を私たちは見ました。

『生まれて初めて、自分がいることに意味がある。自分の声が意味をもつ。自分はたったひとりだけど、これが本当の民主主義の形だ』と言う若いエジプト人を、私たちは見ました。

『セルミヤ、セルミヤ(平和的に、平和的に)』と何度も何度も合唱する市民の姿を、私たちは見ました。

守ると誓った市民に向かって銃弾を撃たない軍隊の姿を、私たちは見ました。

傷ついた人たちを助けるために街中に飛びこんでいく医師や看護師たちの姿を、私たちは見ました。抗議する市民が武装していないことをひとりひとり確認するボランティアたちの姿を、私たちは見ました。

信仰する人々が共に祈り、『ムスリムとクリスチャン、私たちはひとつだ』と唱える姿を、私たちは見ました。信仰と信仰の間の軋みは未だに多すぎるほど世界の多くを隔てているし、たった一つの出来事がその溝をただちに埋めることがないことも承知しています。けれどもこうした光景を目にすると、改めて思いを新たにします。互いの違いが私たちの全てではないのだと。私たちは人間性を共有している。その共通点をよりどころに自分たちを語ることができるのです。

そして何よりも、新しい世代が台頭するのを私たちは見ました。この世代は、自分たちの創意工夫と才能とテクノロジーを駆使して、自分たちの恐怖ではなく自分たちの希望を代表する政府を要求したのです。自分たちの無限の志に応えてくれる、そんな政府を求めたのです。1人のエジプト人がこう簡潔に言いました。ほとんどの人はこの数日で気づいた。自分には価値があるのだと。その価値は、二度と決して奪われることがないのだと。

これが人間の尊厳というものの力です。決して否定されることのない力です。エジプトの人たちの姿に、私たちは感動し、奮い立った。エジプトの人たちは、正義は暴力で勝ち取るのが一番だなどという考えの嘘を暴いてくれて、私たちを奮い立たせてくれたのです。なぜならエジプトでは非暴力による道義の力こそが、テロでもなければ無意味な殺戮でもなく、非暴力の道義の力が、歴史の流れを改めて正義へと向かわせたのですから。

私たちが触れた光景や音はどれもすべてエジプトのものでしたが、こだまして響く歴史の音を思わないわけにはいきません。壁を打ち砕くドイツの人たちからの響き、街中にあふれたインドネシアの学生たち、そして正義の道へ人々を導くガンジーからの響き。

自分の国をより良いものにしようとしていたマーティン・ルーサー・キングは、ガーナの新国家誕生を祝ってこう言いました。『魂には、自由を切望して声を上げるなにかがある』と。タハリール広場から響いたのは、まさにその声でした。そして世界中がその声を受け止めた。

今日のこの日は、エジプトの人たちのものです。アメリカの私たちはカイロやエジプト各地の光景に感動しました。私たちがアメリカ人である所以(ゆえん)、自分たちの子供たちにはどういう世界で育ってほしいと思っているか。そこにエジプトの光景は訴えかけてきたからです。

『タハリール』という言葉は、解放を意味します。私たちの魂の中で自由を切望するなにものかに、訴えかける言葉です。今後いつまでも、エジプトの人たちを思い出す言葉となるでしょう。人々が何をしたか、何のために動いたか、いかにして自分たちの国を変えたか、そしてその結果いかに世界を変えたか、思い出す言葉となるでしょう。

ありがとうございます」

 



ムバラク・エジプト大統領が辞任、軍に権限委譲

      (トムソンロイター) 2011年2月12日(土)05:52

 [カイロ 11日 ロイター] エジプトのスレイマン副大統領は11日、ムバラク大統領が辞任し、大統領権限を軍に委譲したと発表した。

 同副大統領は国営テレビで声明を発表し「(ムバラク大統領が)辞任することを決定した」と述べた。

 また「国が困難な状況にあることを踏まえ」大統領は軍最高評議会に権限を委譲したと語った。

 軍関係筋は、タンタウィ国防相が軍最高評議会のトップに就いたと述べた。

 アルアラビアテレビが報じたところによると、軍最高評議会は内閣を解散、議会を凍結し、最高憲法裁判所長官とともに国政に当たる方針。 

 大統領の退陣表明を受け、タハリール広場に集まった民衆からは歓喜の声が上がり、涙を流す人の姿も多く見られた。

 9月には大統領選挙が自由かつ公平な形で実施される方針となっているが、軍がどれだけ積極的に真の民主化に向けて取り組むのか、一部では懐疑的な見方も出ている。 

 バイデン米副大統領は、軍部の役割を念頭に、エジプトは民主主義を確立すべきと主張。移行期間は「後戻りできない」ようにすべきであり、エジプトの政変は同国および中東諸国にとって「極めて重要な」瞬間だと述べた。 

 キャメロン英首相は、エジプト国民にとって、国を一つにまとめることのできる政府を持つ機会を手にした貴重な瞬間だと指摘。メルケル独首相はエジプト国民の幸福を共有するとの談話を発表した。

 一方、イスラエルは、ムバラク大統領の退陣により、両国間の関係が変わらないことを望むとの見解を示した。

 金融市場も中東産油国における対立の可能性が後退したとの見方から、退陣表明を好意的に受け止めている。またスイス当局は、ムバラク大統領のものと思われる資産を凍結したことを明らかにした。

 米原油先物3月限は一時、10週間ぶりの安値となる85.10ドルをつけた。終値は1.15ドル(1.33%)安の85.58ドル。 








ムバラク大統領が失脚  昨日の居直り宣言による国民の怒りのデモで

2011-02-12 02:23:19 | 国際関係
2011年2月12日(土)

 NHKテレビなどの報道によると、「金曜礼拝」の前日に国民の予想を裏切る

『居直り宣言』を行い、これが一層国民の怒りに火をつけていた。

 そして、現地時間で2月11日(金)の「金曜礼拝」の後のデモは、

これまで最高の規模に膨れ上がり、これを見たムバラク大統領は、

保養地に出向く振りをして、とうとう辞任を表明したらしい。

 しかし、昨日大統領の実務を事実上引継いでいたスレイマン副大統領

が権限を代行するのではなく、軍の最高評議会に権限を委譲したという

ことであり、軍から引導を渡されたのか、あるいは事実上の軍による

『無血クーデター』ではないかとさえ思わされる事態である。

 とりわけ、この辞任宣言がムバラク大統領本人の言葉ではなく、

スレイマン副大統領が代弁しているので、ムバラク本人はまだ辞任を

認めた訳では無いかも知れない。

 軍が実権を掌握するなかで、スレイマン副大統領に圧力を掛けて、

『ムバラク大統領辞任』を既成事実化してしまおうという戦術の

可能性も無きにしもあらずである。


 しかし、国民が本気で立ち上がれば如何に強権を持つ独裁的政権でも

平和裡に倒すことができることを証明できたという意義は大きい。

 チュニジアに続く政権崩壊であるが、エジプトの地理的位置や国の規模

また、アラブとイスラエルの仲介役をアメリカの勧めで買って出ていた

こと、スエズ運河所有権等など、チュニジアの政権崩壊とは比べ物に

ならないものであり世界的影響も大きい。

 さらには、湾岸諸国の王政や事実上の独裁政権などへ波及する可能性も

指摘されている。

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ムバラク大統領が辞任 エジプト軍の最高評議会に権限 

      (朝日新聞) 2011年2月12日(土)01:13
 【カイロ=貫洞欣寛、古谷祐伸】エジプトのスレイマン副大統領は11日、ムバラク大統領が辞任し、軍の最高評議会に権限を渡したと発表した。ムバラク氏は10日夜(日本時間11日朝)にテレビ演説し、大統領としての権限をスレイマン副大統領に移譲すると発表。同時に、大統領としての地位にはとどまる意向を示していた。だが、即時辞任を求める大規模デモが11日も起き、激しさを増したことなどから、辞任を決断したとみられる。 

 スレイマン副大統領は「ホスニ・ムバラク大統領は辞任を決め、国家運営のための権限を軍最高評議会に移譲する」と述べた。

 中東の地域大国エジプトで5期30年にわたり強権支配を続けてきたムバラク氏が大衆行動によって追いつめられ、退陣したことは、今後の中東各国の情勢に大きな影響を与えることになるとみられる。カイロ市内では発表直後、一斉に車のクラクションが鳴り、タハリール広場のデモ隊は歓声を上げて大騒ぎとなった。

 エジプト憲法では、大統領が辞任して空位となったり、永続的に職務執行が不可能となったりした場合は、人民議会議長か憲法裁判所長官が権限を代行する規定となっており、軍部が憲法を一時的に停止する可能性がある。スレイマン氏は、自らの処遇については触れなかった。

 ムバラク氏は10日のテレビ演説で、「憲法規定に従い、権限を副大統領に移譲する」と述べる一方、「責任を担い続ける」「(任期の)9月までの間に権力の平和的な移行を進める」と語り、今後も大統領の座にはとどまる考えを示していた。さらに「私はこの国で生まれ、この国で死ぬ」と述べ、メディアなどで取りざたされている「辞任後出国する」との見方を否定した。スレイマン副大統領も演説で、デモ隊は帰宅し、職場などに戻るよう呼びかけた。

 一方、エジプト軍最高評議会は11日、声明を発表し、(1)混乱収束後直ちに非常事態令を解除(2)総選挙の結果に関する不服申し立ての受理(3)憲法改正(4)自由で公正な大統領選挙の実施――を保証するとした。さらに、権力移行が完結するまでは市民の要求に真剣に向き合い、デモ参加者を訴追しないことなどを確約した。

 だが、ムバラク氏の即時辞任を求める野党勢力やデモに参加する市民らは大統領演説に猛反発。11日のイスラム教金曜礼拝後に「勝利の金曜日」と名付けた大規模デモを行った。退陣要求デモの拠点、カイロ中心部タハリール広場には20万人を超えるとみられる市民が集まり、北部アレクサンドリアなど各地でデモが行われた。

 スレイマン副大統領に対しては「最側近としてムバラク強権体制を支えてきた」との批判があり、辞任を求める声も強かった。スレイマン氏が今後も副大統領など政府の顔として残った場合、抗議デモが沈静化するかどうかは不透明。

 アルジャジーラなどによると、ムバラク氏は11日、家族とともにシナイ半島の紅海に面した高級リゾート地、シャルムエルシェイクに入ったという。シャルムエルシェイクはムバラク氏の肝いりで開発が進められ、各種の外交交渉や国際会議を誘致。ムバラク氏は昨春ドイツで「胆嚢(たんのう)の摘出手術」を受けた後、しばらく同地で静養していた。

 今年に入りムバラク即時退陣を求めるデモが続くようになってから、米国政府筋などの情報として「スレイマン副大統領に権限を移譲し、ムバラク氏はシャルムエルシェイクかドイツで静養生活に入る」との観測が出ていた。



ムバラク氏、首都離れ保養地へ 大統領権限を移譲(朝日新聞) - 2011年2月12日(土)00:58