ドジの上塗りである。
震災と原発爆発当初の混乱状況を歴史に残したくなかったのか
忙しさにかまけて単に忘れていたのか?
いずれにせよ、歴史的災害に対する極めて貴重な記録
(たとえそれが適切な処置の記録であれ不適切な対応の記録であれ)
を残すことで、再び起こるのが確実な自然災害とこれに起因した
社会システムの被災(その最たるものが今回は原発であった)状況
と対応の漏れをなくす教訓を後世に伝える一助となるのに、
それらの記録を残さなかったということは、今後起こる「手落ち」
をあらかじめ認識しておく面でも残念なことであった。
いや、「残念」などという言葉では、到底言い尽くせない!
朝日新聞によると枝野官房長官(当時)は、すでに5月の段階で
議事録が作成されていないことを認識していたと云う。
【枝野氏は官房長官だった昨年5月11日の記者会見で「危機対応なので議事録をとるような場がほとんどなかった」との認識を示していた。ただ、その後も議事録は作成されないまま、昨年11月にNHKが情報公開請求した後、年明けになって再び問題化した。】(朝日新聞 - 2012年1月25日)
二重三重の「手落ち」であったと言わなければならない。
震災関連10会議、議事録なし 3会議は議事概要もなし
(朝日新聞) - 2012年1月27日(金)12:21
岡田克也副総理は27日の閣僚懇談会で、東日本大震災で政府が設置した15会議のうち、10会議で議事録を作成していなかったと報告した。このうち原子力災害対策本部と緊急災害対策本部、被災者生活支援チームの3会議は、議事録も議事概要も作っていなかった。岡田氏は、2月中をめどに事後的な記録を作るよう関係閣僚に指示した。
原子力災害対策本部と緊急災害対策本部はいずれも法律で規定され、首相が本部長を務める組織だった。このほか政府・東電統合対策室と、電力需給に関する検討会合の2会議も議事録はなく、議事概要も一部しか作成していなかった。
原子力災害対策本部が昨年末まで計23回開いた会議の議事録を作っていなかったことが最近発覚したのをうけ、公文書管理担当の岡田氏が全組織についての調査を指示していた。岡田氏は25日、記録が残されなかった理由について「どこが記録をとるのかきちんとした合意がなかった。忙しくて人手もなく、記録が残されなかったのが現実ではないか」と内閣記者会のインタビューで述べ、意図的な隠蔽(いんぺい)ではないと説明した。
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原発事故対応、議事録なし 政府対策本部、認識後も放置
(朝日新聞) - 2012年1月25日(水)03:07
枝野幸男経済産業相は24日、東京電力福島第一原発事故後につくられた政府の原子力災害対策本部が、これまでの議論を議事録として残していなかったことを明らかにした。経産省は事故後の混乱で手が回らなかったとしているが、事故対応を決める重要会議で何が話し合われたか検証できなくなるおそれがある。
枝野氏は官房長官だった昨年5月11日の記者会見で「危機対応なので議事録をとるような場がほとんどなかった」との認識を示していた。ただ、その後も議事録は作成されないまま、昨年11月にNHKが情報公開請求した後、年明けになって再び問題化した。
対策本部の事務局を務める経産省原子力安全・保安院は23日の会見で、「まだ議事録は作成していない。緊急事態では事後的に作成が認められており、会議の内容や決定は記者会見を通じて説明している」と弁明していた。しかし、枝野氏は24日の閣議後の記者会見で「事故発生後の緊急事態とはいえ、(手続きが)整えられていなかったことをおわびする」と話した。
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