醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1340号   白井一道

2020-02-28 12:40:47 | 随筆・小説



   徒然草第164段 世の人相逢ふ時



原文
 
 世の人相(あい)逢ふ時、暫(しばら)くも黙止(もだ)する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益(むやく)の談なり。世間の浮説(ふせつ)、人の是非、自他のために、失多く、得少し。
 これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。

現代語訳
 世間の人が人と逢うと、一時も黙っている事はない。必ず、話している。その話を聞いていると多くは無意味な話である。世間の噂話や人の良し悪し、自他のためになるような話は少なく、大半が何のためにもならないものばかりだ。
 このような話をする時は互いに無意味なことだとは分からずにしているのだ。

日常会話のない都会生活  白井一道
 職場に着いても朝、誰とも挨拶を交わす事はない。黙々と自分の仕事の準備を初め、黙って始める。時間が来ると会議室に向かう。打合せ担当の者が、「お早うございます」と発言し、今日の日程を確認する。本日の出張、休暇、遅刻者の確認する。それぞれの部署で全職員に知ってもらいたいことを担当者が話す。司会者が確認する。打合せの時間はおよそ、10分弱である。打合せが終わると各人はそれぞれの部署に散っていく。一日中、異なった部署で働く者とは朝の打ち合わせの時間が終わると逢うこともない。誰も朝、挨拶を交わしている者はいない。職場において日常的な挨拶や会話はほとんどない。これが職場における実態である。
 仕事が終わり、誰にも挨拶することなく、黙って職場を後にする。夕暮れてネオンの付いた街中に出ると行きつけの赤ちょうちんの暖簾をくぐり、顔なじみがいると黙って隣に座り、「今日は寒かったね」などと挨拶らしい言葉を発する。日常会話に人の温もりを感じる。この温もりを求めて、行きつけの赤ちょうちんに通う。人は人との温もりを求めている。居酒屋の女将は何も言わずに、お燗した徳利を出す。客も黙って盃を出すと昨日と同じようにお酌をしてくれる。「今日はどうしたの。いつもの時間より遅いじゃないの」とどうでもいいようなことを言ってくれる。「うん、今日は問題があってね。特別の会議が入っちゃったんだ。それが少し長引いてね」。「あっ、そうなの」。客は日常会話を求めて居酒屋に通う。後に何も残らない会話を求めている。
 仕事している間には一切の日常会話がない。緊張した仕事の会話が続いている。仕事の会話の中には安らぎが何もない。日常会話がないのだ。不足する日常会話を提供する商売が赤ちょうちんなのだ。