歩道橋を渡ります。
右側の選手は、約26km 名古屋城へ向かいます。
左側の選手は、約36km ゴールのナゴヤドームへ向かっています。
ようやく細君を見つけました。
何しとんじゃ?
Qちゃんみたいにサングラスを投げている?
いえいえエイドステーションに有ったういろうを投げているんです
ちゃんと拾って細君に渡しましたよ。
ミニオン軍団 また会いましたね
じゃ、ナゴヤドームで
応援Naviを開けなかったんで、ゴールは見れませんでした。
日本トップ3位になった関根花観(はなみ)選手
ネットより借用
デイリースポーツより
女子マラソン界にまたも新星
初マラソンの関根花観(22)=日本郵政グループ=が2時間23分07秒で日本人トップの3位となり、規定をクリアし、GC出場権を獲得した。日本人2位(全体4位)の岩出玲亜(23)=ドーム、同3位(全体5位)の野上恵子(32)=十八銀行=もGC出場権を得た。優勝は2時間21分45秒のメスケレム・アセファ(エチオピア)だった。
進学先の仙台育英高校で被災地の強さ優しさ知った
女子マラソン界にまたも新星が現れた。初挑戦の関根が日本人トップの3位でゴール。中盤以降は一人旅となり「何度か心が折れそうになった」というが「最後は無我夢中だった」。粘りの力走で初マラソン歴代4位の好タイムをマークし、快晴の名古屋で“開花宣言”した。
活路を求めた42.195キロだった。昨シーズンは10000mでリオ五輪に出場するなど躍進したが、今季の日本選手権は同種目6位と不発。調子も上がらず、自信を失いかけた関根に「変わるきっかけを」と高橋昌彦監督が与えたのがマラソンだった。
陸上を始めた中学2年の頃から夢見続けた初舞台は、東日本大震災からちょうど7年の日。7年前、関根は卒業式を翌週に控える中学生だった。決まっていた進学先は、被害を受けた仙台育英高校だ。
寮があったのは、4メートルを超える津波に襲われ、約5000世帯が半壊以上の被害を受けた多賀城市。入学式は約1カ月遅れ、校舎はプレハブだった。クラスには親を亡くした友人もいた。がれきの山の間を走った日もある。それでも家族に愚痴をこぼしたことはなく、逆に「私はよそ者なのに良くしてくれる。すごく温かい」と語ったという。最終的には高校1年の3月、他の部員とともに豊川高校に転向したが「あの経験は、今の自分につながる」。関根の胸には、被災地の強さと優しさが今も刻まれている。
オフの日でも自ら2,3時間走るほどの練習の虫。高橋監督は「適正はある。潜在能力から考えると、まだ7割くらい」とさらなる成長を予言する。「去年の安藤(友香)さんや大阪の松田(瑞生)さんのように、私より高いレベルで走っている選手がたくさんいる。まだまだこれで満足しちゃダメ」と関根。満開の日を目指し、また走りだす。(國島紗希)
関根花観(せきね・はなみ)
1996年2月26日、東京都町田市出身。小学2年生から中学1年生まではソフトテニス部だったが、中学2年生から本格的に陸上を始める。仙台育英高校に進学も、東日本大震災の影響もあり、高校1年生の冬に愛知・豊川高校に転校。高校駅伝などで活躍した。14年に日本郵政グループに入社。16年日本選手権の10000mで2位となり、リオデジャネイロ五輪代表入り。本番では20位に終わった。