N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

ドラゴンネスト 追記

2010-06-14 16:19:32 | 日記
今日も2つ上げてます、長文だと分かりづらいので毎回書いておかないとな

さて、この名前を見てピンと来た人などほぼ0と思われる
2日前まで俺も知らなかったぐらいだ
簡単に言えばこのゲームはMMOアクションRPGでハンゲームという会社が
運営とかしているらしい、多分
ちなみにMMOというのは
「Massively Multiplayer Online」の略で
「多人数同時参加型オンライン」と言う意味だ
まあその後にRPGが来ると「多人数同時参加型オンラインRPG」
と言う風になる、今回の場合「多人数同時参加型オンラインアクションRPG」
という感じになるのだが
まあ今風に簡単に言えば「ネトゲ」ですね

俺はggrks(ググレカス、自分でgoogleでまず調べて来いって意味)という言葉はあまり使わない
なぜかと言うといちいち説明することが好きだから
だが同じことを何度も説明するのは好きじゃないぞ

俺は昔「RO(ラグナロクオンライン)」というMMORPGに
どハマリした時期(中学3年から高校卒業ぐらいまで)があって
だから友達が少な(以下略
っていうのは冗談だけど
ROをやりたいために高校を欠席したのは28日ある
これは今でもよーく覚えている
夏休みに10日連続で毎日10時間やってたら
流石に飽きてやめた事もあった

家の横に家族間で「きょうしつ」と呼ばれる昔小学生から高校生辺りまでの
塾を営んでいたプレハブ小屋みたいなのがある
親は両方とも大学教師なので、小中高生の塾の先生など魚が海を泳ぐ程の行為に等しい
もちろん淡水魚はNG
広さはどれぐらいかしらないが40畳ぐらいはある、気がする
なぜかと言うとそこはもう既にただの書庫―いやゴミ捨て場と言った方が正しいか―
になっていて、長さ2m、高さ2m程度の巨大な本棚が10程度あるにもかかわらず
そこに入りきらない本が床を埋め尽くし、埋め尽くすどころか山ができて
その上に更にダンボールの山があるので更に良く分からない
その本の上を歩かなければどこを歩けというのだ?という程の空間になっている
それが半分
もう半分は本気でごちゃっててもう完全に粗大ゴミ置き場と化して
椅子とかソファーとか椅子とか、良く分からないアルミ製の箱とか
なんか良く分からない物多数
健康器具一式、更にお父さんが購入したと思われる
一度も使っているのを見たことが無い、ジムにあるような本格的な筋トレマシーン
が所狭し、など生ぬるいほど乱雑に放置されている
昔人が本当にここで勉学に励んでいたのかどう見ても誰も想像すらしないような場所だが
ここが俺の格好の隠れ家になっていた
今はほぼ100%立ち寄らない場所だが
「いってくる」と言い家を出て
自転車に乗るふりをして即効で回れ右
俺が高校生の時点で既に家にはお父さんしか居なかったために
騙すのはたやすい
万が一自転車がばれると面倒なのでばれない様に裏庭に隠して
即効で教室にIN
そしてお父さんの車が出て行くのをひたすら待つ
出て行ったのを確認すると俺は当然のように家の中に戻り
PCの前に行く
たまに昼頃に帰ってきたり昼過ぎまで待ってても出かけないときは
「今日は昼までだった」
という嘘をついていた、これがばれていたかどうかは未知の領域
俺のお父さんは世間体を気にする人間なのでばれると面倒なのだ
他人に息子が「ニート」だの「フリーター」だのと言った事は唯の一度もない
「今勉強中」と言うのが一番言っているのじゃないかな
いやまあ間違ってないかもしれないが、お父さんは自分の息子がそんな愚かしい立場にいるなど
世間に知られたくないだろうが、その都度俺への重責が日を増すごとに重くなることを少しは考えてほしい
このままじゃ、総理大臣にならないといけなくなるんじゃないか
だからなるべく俺は真面目に学校に行っている風に装わなければならない
何も繕わない本当の俺を受け入れてくれる人は一体何人居るんだ?
へるぷみー

とまあ昔話はそこまでで
俺は別にこのゲームを褒める訳でも貶すわけでもないのだが
まあ友達と一緒にやるゲームと言うのは面白いわけで
最近はもう一人用のゲームに興味無いんだよ実際
が、俺の好きなゲームジャンルにシミュレーションは欠かせないし
シミュレーションは基本的に一人用なので完全に興味が無いわけではなく
れ、恋愛シミュレーションじゃ、なっ、ないんだからっ!
勘違いしないでよ、この変態っ!痴漢っ!詐欺師っ!
俺の一番好きなファイアエムブレムシリーズの据え置き版はいつになったら出てくるのか
ああ、俺は携帯ゲーム機も最近までそんな好きじゃなかったな
携帯電話ゲームは嫌だが
小さい画面でするゲームはどうもなーって感じな事に
でもPSPやDSで複数人でできる面白いのがポツポツ出始めて
まあ捨てたもんじゃないな、と思っている俺である
いや、小さいテレビが嫌なわけじゃないです、ほんとです、許して

山口県10人で3泊4日半の大旅行 2日目 お見舞い編その2

2010-06-14 11:28:41 | 旅行
車を降り車椅子の準備をして祖母を車椅子まで先導し、しっかり座った事を確認すると
病院の正門までいく、流石バリアフリー時代
車椅子用のスロープを見かけないほうが少なくなってきたな
透明な自動ドアを潜ると(自動ドアが不透明じゃないのは不安を与えないためであろうか)
目の前に受付兼ロビーらしきちょっとしたくつろぎ空間がある
病院内の案内板があり、「面会時は必ず面会簿にご記入願います」
という紙がべたっと貼り付けてある
そこに名前を記入する、と思いきやみちるさんは
「いいのいいの、こんな面倒くさいもん、どうせわからんって」
とか言い出す始末で
こういうのは万が一何かあったときのための証明というかアリバイというか
そういうのの為にあるのではないかなと俺は思っているのだが
例えば殺人事件があったとして、ここに記入してないのに俺達が病院の
入院患者棟に居た場合真っ先に疑われる矛先になるだろう
などとは考えすぎだろうか?
だが俺がこの人に意見するなど(以下略
入院患者棟と診察棟は、くっ付いてはいるが
入院患者棟は入って直ぐ左に行きまた直ぐ又左に曲がり数十秒歩いた場所にある
途中、斜度2%程のゆるーりとした20m程の上り坂を越えて
緊急治療室の入り口にあるような堅牢な自動ドアをくぐる
一部しか窓が無くあとはアルミでできている
更にL字路を右に曲がり直ぐ右にエレベーターがあるので↑ボタンを押す
来る途中まだ記入してないことを少し引きずりながらも
エレベーターに乗る頃にはその気持ちはどこかへ失せていた
今から会う人は千代子さんといい「祖母の兄の嫁」なのだが
元気が良かった頃は祖母も文通をしたり
山口に帰ったときは積年の人生を語り合ったりしていたのだが
アルツハイマーになってからぴたっと無くなり
みちるさん曰く「もう別人」と聞かされていたのでひっきりなしに
「会いたくない」だの「もういい、帰りましょう」だのと言っていた
じゃあ誰がここに行きたがったのかというとそれは母で
母が行きたいというか、祖母と面会させてあげたいという心情だ
本人が嫌がっているのに無理に行かせるのはどうかと思うのだが
これは俺の自分勝手な想像だが
祖母も本当の意味で会いたくないと言っているわけではなく
今まで普通にしていた人がいきなりアルツハイマーになり
それから連絡もせず次第に自我があるのかすら分からなくなった人と
会いに行くというのを自分の友達か家族に当てはめて
想像してくれれば気持ちはわかると思う、どう接して良いのかわからないだろう
そしてこのみちるさんと言うのは
千代子さんの事があまり好きではないらしく
まあ色々紆余曲折があるのだ
そして病室の前に来る
この病院の病室にはドアが無く
公衆トイレの入り口みたくコンクリートに穴が開いているだけの構造なので
部屋の前を通り過ぎるたびに他の患者さんが目に入る
とはいってもほとんどの人はベットに寝ているので良くは見えない
部屋に入るとベットが3つあり、全て埋まっていた
一番左奥がその人らしく、手前のカーテンが半分しまっていて布団を被っていたため
入り口からでは何も見えなかった
鉄パイプでできたベッドに近づくとその人は上を見てじっとしていた
点滴と思われる病院で良く見かける透明のビニールパックが吊るされていて
中に液体が入っている
その先は二の腕ではなく、どうやら腹部に位置している
パックを良く見ると判ったのだがこれは流動食を胃に直接流し込んでいるようだ
全く身動ぎもせず情緒のカケラもない二酸化チタンで色付けされた天井を
焦点を合わせることもなく見ていた
直ぐそばに来て分かったのだが寝息のようなものをたてていた
母が「寝てるのかしら」と俺に向かって疑問を投げかけたが
俺は判断ができなかった
みちるさんは部屋の端の方で既に違う患者となにやら話をしていた
母は顔のすぐ横まで行き、じっと顔を見つめるが
視線は固定されて動かず、寝息のようなものも継続してる
どうしたものかと暫くまごまごしていると母は
「千代子さん、千代子おばさん」
と優しく語りかける
祖母はまだベッドの足元の方で車椅子に乗って黙りこくり様子を伺っていた
何度も同じように語りかけ、千代子さんの左手が胸元にあったので
母はそれを手に取り優しく握る
握り返す事はしてこなかったようだったが
次第に寝息のようなものが消えていた気がする
祖母はゆっくりと車椅子から降り
母の隣まで来るとじっと千代子さんの顔を見つめ始めた
恐らく、元気だった時と今の当人が頭の中でごちゃまぜになっているのだろう
そして次に思い出すときは元気だった千代子さんではなく、今の千代子さんの姿が
思い出される事になる
人は、普遍的な日常の場面以外では最後に見たその人の姿を一番心に焼き付けるものだ
特に、もう二度とここには来ない祖母にとってはこの出会いがどれほどのものだったか、
二度と会わないと分かっている相手との最後の出会いなど
それを経験していない俺にとっては如何程のものなのか想像などできるはずがない
しかも、相手は自分のことを認識できていない
祖母の地元山口での中で最後の仲が良かった人なのだ
この人が亡くなったら友達と呼べる人はもう居なくなる
少し前から「遂に自分が一番年長になってしまったと」言っていた

人は歳を取ればとるほど別れの回数が増えてくる
俺の父など数ヶ月に1回はまた人が死んだから葬式やら通夜に行って来ると言っているほどだ
それは、一番最後に別れを告げる自分に対する「次はお前かもな」というメッセージなのかもしれない


ちょっと追記
暗い話になってしまったので明るくします

(かえるの歌風に)
今日は♪ジャンプの♪発☆売☆日♪、
にひゃく♪よんじゅう♪えんぐらい♪、
買う♪買う♪買う♪買う♪
買う♪買う♪買う♪買う♪くわっ!くワッ!!クワッ!!!

月曜日は本来
俺にとっての二度美味しい曜日のはずなのに
今は1つしか楽しみが無いじゃないか!
どうしてくれんねーーーーん!!!!
これは体で責任を取ってもらうしかないな、まったく