今日電話しといた
ゆうじろう「お前今日大丈夫なん?」
俺「今日は無理」
ゆうじろう「なんや、今日は無理なんか」
俺「つーかお前、1回約束破ったから遊ぶの1回無しで」
ゆうじろう「いや、昨日帰ってきたの12時やで」
俺「そんなん関係ないし」
ゆうじろう「わるいわるい、わるいな」
俺「んじゃ」
という具合でした
もう、『わるいわるい』の部分が軽すぎて余計イライラする
あいつ今まで自分の思い通りに動く友達しか居なかったんじゃないか
ふざけんなよ、俺はお前の遊び道具じゃないし、暇つぶし用の人形じゃないんだぜ
多分こういうやつは回りにちゃんと叱ってくれる人間が居なかったからこんな奴になったんだ
本人のせいだけじゃないと思う(ちなみにこの考え方はお母さんに教えてもらった事)
だから俺はたとえ関係が無くなろうと厳しく接しなければならない
人間関係ってのはお互いが気持ちよく付き合えなければ意味が無いし、親しく『なってあげる』必要は無い
どっちかが無理しているのは親しいなんて言えない
まあ昔の俺なら我慢していたが、ここ数年でそれが言える様になった
『怒るのも愛情の一つ』なんだよ
怒るって事は愛があるから怒るわけで、どうでも良かったら無視すりゃいいんだ
家族以外の人間は自分から会おうとしなければ二度と会わないようにすることは簡単なのだから
表面上だけ仲良くしてるのは相手にとっても逆に失礼だ
それに言うことばかり聞いている自分にも嫌気が差すしね
だから大地震は起こすべきじゃないんだが
深すぎる亀裂はいくら土を埋めても永遠に埋まることは無いもん
人間一人がすくえる土の量なんて手のひらの分だけなだから
――――――――――――――――+1――――――――――――――――――――
ったく、俺が世話してあげないといけないガキが多すぎる
そう思わないか?
最近の教育が『ゆとり教育』って言われてる意味が分かったよ
良くも悪くも『表面上に出ているものが全て』じゃないんだよ
――――――――――――――――+2――――――――――――――――――――
ただ、いまは静かに一つの終わりに心を捧げよう
何かが終わると寂しい気持ちに陥る
それが何故だか分かるかな?
それは、『新しい何かを探したくなる』ように心が仕向けているんじゃないかな
お前自信ははまだ終わっちゃいない、と心が言ってくる
何かを始めたくなる、そういう意志がわいてくる現象なのだと思う
まあ、終わったといっても唯のエンターテインメントの幕なだけなのだが
――――――――――――――――+3――――――――――――――――――――
ずっと前に出した問いのヒントを出そう、それは
『自分の為じゃない幸せ』
あとは自分で見つけるしかない
いや果たして見つけることが出来る人間がこの世に一体何人居るだろうか
人はみな仮初の母親を追っている、もちろん悪いことではない、しょうがない事でもある
それがいつまで続くかは・・・