晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
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【PICK UP】 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く <京都市下京区>

2018年11月19日 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年頃)
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 『源氏物語』 光源氏の邸宅「六条院」を歩く

 『源氏物語』の主人公・光源氏は35歳の年の8月、秋好中宮が母・六条御息所から伝領した邸宅を含む敷地に「六条院」を造営しました。
 物語の中で登場するこの「六条院」は、平安時代前期に実在した源融(みなもとのとおる)河原院(かわらのいん)がモデルだといわれています。


 河原院は、平安前期に栄えた邸宅でしたが、のちに数度の火災に遭い荒廃していきました。平安時代後期には悪鬼が出没すると考えられていたようです。『源氏物語』で若き日の光源氏が夕顔と一夜を過ごした「なにがしの院」もこの荒廃した河原院が想定されていたと思われます。(夕顔は「なにがしの院」で亡くなります。「なにがしの院」については諸説あります。)


 光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。そして、春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影 六条院 模型>


 河原院は、北を六条坊門小路・東を東京極大路・南を六条大路・西を万里小路に囲まれた一画であったと考えられています。『源氏物語』作中の「六条院」も同様だとしますと以下の図のようになります。

 敷地の中には小路を含むため、約252メートル四方で、総面積約6万3500平方メートルの巨大な邸宅でした。






 さて、平安時代の六条坊門小路は現在の五条通付近。六条大路は現在の六条通にほぼ一致します。そこで京都アスニーで販売中の「平安京図会・復元模型の巻」平安京・市街地地図を参考に現在の地図に照らしあわせてみました。


で囲んでいる付近が河原院跡と思われる所です。

※六条院小学校は2010年3月末をもって閉校されました。



 次回の記事では、河原院を意識して江戸時代に築造された東本願寺の飛地境内地「渉成園(しょうせいえん)<枳殻邸(きこくてい)>」をご紹介します♪



 渉成園<枳殻邸>へ続きます





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【PICK UP】 『源氏物語』六条院 冬の町 

2018年11月19日 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年頃)
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>冬の町



 『源氏物語』 六条院 冬の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>


<宇治市源氏物語ミュージアム「六条院模型」 冬の町部分>



明石の君
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>

 「冬の町」は明石の君の住む住居があり、北には御蔵町がありました。「北大殿(きたのおとど)」・「戌亥の町」とも呼ばれました。

 寝殿を設けず、大きな二つの対があるのみの質素な住居で、庭は松の木を多く繁らせ雪景色を鑑賞するのを楽しみました。

 明石の君が産んだ明石の中宮は、紫の上が後見していたため「春の町」を里邸としていましたが、出産の折にはこの「冬の町」に移られました。


御帳台の中にいる明石中宮
※出産の際、調度品や衣裳はすべて白に統一されます。



【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行


 春の町
 夏の町
 秋の町



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【PICK UP】 『源氏物語』六条院 秋の町 

2018年11月19日 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年頃)
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>秋の町



 『源氏物語』 六条院 秋の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>


<宇治市源氏物語ミュージアム「六条院模型」 秋の町部分>



秋好中宮
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>

 「秋の町」は、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)が住んだ住居で、「中宮の御町」・「西大殿(にしのおとど)」・「未申の町」ともよばれました。

 もともと、「秋の町」は秋好中宮の母・六條御息所の邸宅跡地であり、それに手を加え、滝を造り広々とした秋の野のように造られました。

 また「秋の町」と「春の町」とは池でつながっていました。紫の上と秋好中宮は春秋優劣論をし、それぞれの使者である女童が廊を渡り、手紙のやりとりをしていました。


 明石の姫君の裳着(もぎ=成人式)は「秋の町」で行われ、秋好中宮が腰結役をつとめました。この時、秋好中宮と紫の上はここで初めて直接に対面します。



明石の姫君の裳の小腰を結ぶ秋好中宮


明石の姫君の育ての親である紫の上






【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行




 春の町
 夏の町
 冬の町




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【PICK UP】 『源氏物語』六条院 夏の町 

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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>夏の町



 『源氏物語』 六条院 夏の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>



<宇治市源氏物語ミュージアム「六條院模型」 夏の町部分>



花散里
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>


 「夏の町」は、花散里が住んだ住居で、「夏住居(なつのすまい)」・「東大殿(ひがしのおとど)」・「丑寅の町」ともいわれました。

 夏にふさわしい涼しげな泉があり、庭には花橘、撫子などが植えられていました。また、東側には端午の節句の遊び所として馬場殿があり、馬場は「春の町」まで続いている南北に長いものでした。

 花散里は、二条東院からこの六條院「夏の町」の東の対に移り住みました。花散里を母代わりとしていた源氏の子・夕霧はこの町を里邸として使用していました。


夕霧


 西の対には、京から筑紫へ下ったのち再び京に帰ってきて源氏の養女となった玉鬘が住んだ時期もありました。


玉鬘



左:玉鬘  右:夕霧

 夕霧と玉鬘はいとこ関係にあたりますので、ふたりの祖母である大宮の服喪中、御簾越しに対面する場面もあります。




 源氏の死後、花散里は二条東院を相続したため主不在となりましたが、夕霧が落葉の宮(夕霧の妻のひとり)をこの町に移り住まわせました。
 また夕霧は藤典侍との間に生まれた六の君を落葉の宮の養女とし、その婿として匂宮(今上帝と明石中宮の皇子)を迎えます。

 こうして、「夏の町」は、花散里→夕霧→落葉の宮→六の君へと伝領されていくのでした。








【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行


 春の町
 秋の町
 冬の町





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【PICK UP】 『源氏物語』六条院 春の町 

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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>春の町



 『源氏物語』 六条院 春の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>



<宇治市源氏物語ミュージアム「六条院模型」 春の町部分>



源氏・紫の上・明石の姫君
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>


 「春の町」は源氏と紫の上が住んだ住居で、「春大殿(はるのおとど)」・「南大殿(みなみのおとど)」・「南の町」ともいわれました。
 庭には、春の花が植えられ趣向が凝らされていました。

 「秋の町」とは池でつながっており、龍頭鷁首の船を行き来させて舞楽を楽しみました。早春の様子は生ける仏の御国のようでした。


 「春の町」は六条院の中心的存在であり、六條院行幸などの重要な儀式の際には「春の町」の寝殿が使用されました。


 紫の上は東の対に住み、明石の君が産んだ明石の姫君を養育していました。
(明石の姫君を養育していた期間のみ、紫の上は寝殿で過ごしたという説もあります。)


明石の姫君と紫の上



 源氏に降嫁した女三宮は、寝殿西面に住むことになりましたが、源氏の死後は父・朱雀院から受け継いだ三条宮に移り住みました。


出家した女三宮



 明石の姫君は入内し、中宮となります。里下がりした時にはこの「春の町」寝殿東面で過ごしました。つまり、寝殿は東西に仕切られて使用されていました。
 明石の中宮は出産の際は、「冬の町」で過ごしましたが、出産後は「春の町」の寝殿東面に移っています。

 紫の上・源氏の死後は、明石中宮の女一の宮が東の対に住み、二の宮(皇子)が寝殿を里邸としました。


 こうして「春の町」は源氏・紫の上の死後、明石一族の繁栄の象徴となりました。






【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行




 夏の町
 秋の町
 冬の町




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