晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
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【PICK UP】 『東風吹かば…』飛梅伝説を追え!<京都市・福岡県太宰府市> その1 

2018年11月03日 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年。写真は2014年以降撮影のものに差し替え。)
ホームページサービス終了により当ブログへ移動しました。
現況と異なる部分も含まれていることと思います。ご了承くださいませ。


 
 『東風吹かば…』飛梅伝説を追え!

 菅原道真(845年~903年)ゆかりの『飛梅伝説』をご存知でしょうか。

 概要は、菅原道真が、901年 大宰権帥(だざいのごんのそち)に任ぜられ、京を発つ際、邸宅(紅梅殿)に植えてあった梅に『東風吹かば・・・』と和歌を詠むと、梅は一夜で道真を慕って京から太宰府まで飛んできたという話です。


 福岡県にある菅原道真を祀る太宰府天満宮では、本殿の向かって右側に御神木『飛梅』があります。
 また、京都で、『東風吹かば・・・』の和歌が詠まれた紅梅殿址は現在、「北菅大臣神社」があり、紅梅殿址の南、白梅殿址(こちらも菅原氏の邸宅址)には「菅大臣神社」があります。
「菅大臣神社」にも同じく『飛梅』と記された梅があるんですよ♪


 さてさて。
 『飛梅』は、菅原道真を慕って、京から太宰府まで一夜で飛んできたと伝えられていますが…

 関西発の高速バスが一晩で福岡に到着するので高速バスと同じくらいの速度で飛んだのかも!?


 ・・・というわけで、(どんなわけだ?)

 『飛梅』を見に、京都の北菅大臣神社(紅梅殿跡)・菅大臣神社(白梅殿跡)と太宰府天満宮へ行ってまいりました♪





 『東風(こち)吹かば…』が詠まれた地
 紅梅殿址(北菅大臣神社<紅梅殿社>)

●所在地:京都市下京区菅大臣町
●交通 :市バス「西洞院仏光寺」バス停 下車




仏光寺通から北を撮影。

仏光寺通(=かつての五条坊門小路)をはさんで北に、『紅梅殿』址(=北菅大臣神社)、南に『白梅殿』址(=菅大臣神社)があります。

石碑には 菅家邸址 と書いてある下に小さく 紅梅殿 と書いてあります。

写真右奥に見える小さなお社が北菅大臣神社です。




北菅大臣神社 
ご祭神:菅原是善(これよし=道真の父)公

お社は南を向いて建てられています。

菅原道真が
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ(春を忘るな)」
と詠んだ地として知られています。

鳥居の扁額に「紅梅殿」の文字が。

清少納言は『枕草子』(第20段)家は の中で 紅梅(殿) を素晴らしい邸宅のひとつとして挙げています。





 白梅殿址(菅大臣神社)

●所在地:京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町
●交通 :市バス「西洞院仏光寺」バス停 下車





仏光寺通側の鳥居。

鳥居のそばには「菅家邸址」(白梅殿跡)を示す石碑が建っています。
(写真の矢印(←)部分)

「平安時代史事典」によりますと、
『白梅殿』は、菅原氏累代の第宅であり、『紅梅殿』という名称に対応して、『白梅殿』と呼ばれるようになったそうです。



左側の木が『飛梅』とされていました。
こちらの飛梅は赤い花を咲かせます。


菅大臣神社
ご祭神:菅原道真公

本殿は西向きに建てられています。
(九州、太宰府のほうを向いているのかしら?)


境内には菅原道真が産湯を使ったとされる井戸もあります。




  ・・・そして、私も太宰府へ!!!




 太宰府天満宮

●所在地:福岡県太宰府市宰府
●交通 :西鉄電車「太宰府」駅下車 徒歩約5分




 大宰府へ左遷された道真を慕って、京の「紅梅殿」から一夜のうちに飛来したと伝わる『飛梅』です。
 太宰府天満宮の本殿に向かって右前にあります。






 こちらの『飛梅』は八重咲きの白い花を咲かせます。

 菅原道真はこの本殿の下に葬られています。『飛梅』は道真公を慕うかのように本殿側から咲き始めるのだとか。



 菅原道真 歌碑は、太宰府天満宮の延寿王院前にあります。

<歌碑 看板より>

 菅原道真公 歌碑

 東風吹かばにほひおこせよ梅の花
  あるじなしとて春な忘れそ


 昌泰四年(九〇一)に大宰権師を命じられた菅原道真公が京都を出発される際に紅梅殿の梅に惜別の想いを込めて詠じられたもので、公を慕って一夜のうちに京より大宰府まで飛来したといわれる御神木「飛梅」(御本殿右側)の由来として有名である。



 上記の文などをご覧になって、
「ちょ~っと待ったぁ!!“春な忘れそ” じゃなくて “春を忘るな” じゃないの!?」
と思われた方もいらしゃることと思います。

 菅原道真が詠んだ和歌『東風吹かば・・・』が文学作品上、はじめて現れるのは、平安時代の勅撰和歌集『拾遺和歌集』です。
 『拾遺和歌集』では 第五句は“春を忘るな”となっています。この 『拾遺和歌集』が編纂されたのは、道真の死から約100年後のこと。

 個人的には、“春を忘るな”は梅の木に語りかけるような優しい印象を受けますね。

 そして、第五句が“春な忘れそ”と書かれるようになったのは、後世の説話集に飛梅のエピソードが収められるようになってからのようです。「な・・・そ」の《禁止》の表現が、和歌らしいカッコイイ感じがします♪

 『東風吹かば・・・』の歌とゆかりの菅大臣神社・太宰府天満宮で第五句を“春な忘れそ”と表記していらしゃるのは、ゆかりの地としての公式見解なのでしょうか。(笑)


ともあれ。
 『東風吹かば・・・』の和歌と「飛梅伝説」が現在まで語り継がれているのは素晴らしいことですよね♪



『東風吹かば・・・』が含まれる主な作品を次の記事にてまとめてみました。

 その2へ続きます





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