晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
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【PICK UP】 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く 本覚寺・上徳寺

2018年11月24日 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年以降。再訪・写真撮影時期:2016年)
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く渉成園>本覚寺・上徳寺>河原院址碑


 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く
 本覚寺


●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)



 源実朝<鎌倉右大臣>の正室・坊門信子ゆかりのお寺です。
 
 本覚寺の看板に ここは嵯峨天皇の皇子・源融の河原院塩竃(しおがま)の第があったところで、今この辺りを本塩竃町という。 と書かれておりここが「河原院」跡であることを記してあります。

 源融は「河原院」に難波の海水を運ばせて陸奥(みちのく=奥州)の塩竈(しおがま)のような風情を楽しんだのだとか。


 かつて本覚寺の境内に塩竈神社があったそうですが五条通の強制疎開によって取り払われ、そのご祭神・源融像は本堂に安置されているそうです。


こちらの写真は2009年に京都市下京区で開催された「源融が結ぶ塩竈の縁」というイベントで撮影させていただきました。






 上徳寺<世継地蔵>

●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)

 上徳寺は塩竈山(えんそうざん)と号し浄土宗に属し「河原院」跡に建つお寺です。通称「世継地蔵(よつぎじぞう)」として親しまれています。ご住職さんの姓が「塩竈」さんでいらっしゃいます。






世継地蔵

 上徳寺の西裏の墓地は窪地になっており、「河原院」の池の跡とも伝わるのだとか。
墓地には徳川家康の側室・阿茶局の墓もあります。(実際に葬られているのは東京都内の雲光院だそうです)





現在、本覚寺や上徳寺があるあたりは「河原院」跡の北西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する「六条院」の図に重ねたとしたら、明石の君が住んだ「冬の町」にあたります。




 『源氏物語』においては明石の姫君がのちの東宮を生んだ六条院冬の町。

 そんな六条院冬の町にあたる場所に現在、上徳寺こと子授け・安産で信仰されている世継地蔵さんがあるのは不思議なご縁ですね。






本覚寺・上徳寺の近くにある見どころ。


 市比賣神社(いちひめじんじゃ)

 女人守護で知られる神社です。私たちがお参りした日も女性のご参拝がとても多かったです。
神社の近くの住居を見上げると仁丹の「六條通河原町西入 本塩竈町」が掲げられていました。






 市比賣神社があるあたりは河原院跡の南西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、秋好中宮が住んだ「秋の町」にあたります。




 河原町通を横断して住宅街の細い道へ。この細い道は御土居の名残りとも。
この辺りは河原院跡の南東部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、光源氏と紫の上が住んだ「春の町」にあたります。




 次回の記事では、高瀬川沿いの道路にある「此付近 源融河原院址」碑をご紹介します。


 「此付近 源融河原院址」碑へ続きます。





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【PICK UP】 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く 渉成園(枳殻邸)

2018年11月24日 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年以降。再訪・写真撮影時期:2016年)
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>渉成園>本覚寺・上徳寺


 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く
 渉成園<枳殻邸>


●所在地:京都市下京区下数珠屋町通間之町東入東玉水町
●交通 :京都駅から徒歩12分


 渉成園は真宗本廟「東本願寺」の別邸で、かつて周囲に植えられていた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。

 嵯峨天皇の第八皇子で『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとりともいわれる源融(みなもとのとおる)の河原院を意識して作庭されたものです。河原院の苑池では奥州塩釜の風景を模して難波から海水を運ばせて塩焼きを楽しんだといいます。

 現在の渉成園の庭園は1641年(寛永18年)徳川家光から寄進を受けた本願寺宣如上人が、1653年(承応2年)、石川丈山らとともに築いた池泉回遊式庭園です。




渉成園<枳殻邸>には、印月池(いんげつち)と呼ばれる大きな池があります。



塩釜
石組みの横穴が設けられ、底に井筒があります。
形が塩を製造する「塩釜」とそれを屋根で覆う「塩屋」の様子に似ていることから塩釜と呼ばれています。



塩釜の手水鉢


源融ゆかりの塔(供養塔)









渉成園<枳殻邸>の広大な印月池(いんげつち)にはふたつの大きな島があります。これらの島は豊臣秀吉の「御土居」の跡を活かした作りなのだとか。
※江戸時代には治水を目的とした新たな「御土居」が渉成園の東側に在ったのだそうです。

四季折々、楽しめる庭園です。




渉成園の近くにある見どころ。


 文子天満宮

 菅原道真の乳母だった多治比文子にゆかりの天満宮で「天神信仰発祥の神社」という碑や文子の像があります。御祭神は、菅原道真公。

 菅原道真もまた光源氏のモデルのひとりとも言われています。






 六條院公園

 『源氏物語』ファンが思わず足をとめてしまう六條院公園という名の公園があります。
 現在の六條院公園があるあたりは、平安末期、白河上皇とその第一皇女・郁芳門院媞子内親王が過ごした六条内裏跡です。六条院とも呼ばれました。





 さて、白河院と『源氏物語』の関係といえば…1119年11月27日に三条西殿(現在のスターバックスコーヒー京都三条烏丸ビル店があるあたり)にて白河院と待賢門院璋子によって「源氏物語絵」の制作が注文されたことが知られます。
この時、発注された「源氏物語絵」が現存する国宝「源氏物語絵巻」である可能性もなきにしもあらず!?



 宗仙寺(そうせんじ)

 六條院公園のお向かいにある、宗仙寺には「籬井(まがきのい)」と刻まれた井戸があるのだとか。
そして源融の念持仏をまつる社もあるのだとか。



※宮城県塩竈市には籬島(まがきしま)という島があるのだそうで、源融の河原院の池にはそれを模した島があったと伝わります。


こののち、五条通を西から東へと進みました。
このあたりには「塩竈町」や「本塩竈町」といった地名があります。



※六条院小学校は2010年に3月に閉校されました。



 次回の記事では源融の河原院跡に建つ本覚寺・上徳寺をご紹介します。



 本覚寺・上徳寺へ続きます。




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