※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年以降。再訪・写真撮影時期:2016年)
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>渉成園>本覚寺・上徳寺>河原院址碑
『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く
本覚寺
●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)
源実朝<鎌倉右大臣>の正室・坊門信子ゆかりのお寺です。
本覚寺の看板に ここは嵯峨天皇の皇子・源融の河原院塩竃(しおがま)の第があったところで、今この辺りを本塩竃町という。 と書かれておりここが「河原院」跡であることを記してあります。
源融は「河原院」に難波の海水を運ばせて陸奥(みちのく=奥州)の塩竈(しおがま)のような風情を楽しんだのだとか。
かつて本覚寺の境内に塩竈神社があったそうですが五条通の強制疎開によって取り払われ、そのご祭神・源融像は本堂に安置されているそうです。
こちらの写真は2009年に京都市下京区で開催された「源融が結ぶ塩竈の縁」というイベントで撮影させていただきました。
上徳寺<世継地蔵>
●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)
上徳寺は塩竈山(えんそうざん)と号し浄土宗に属し「河原院」跡に建つお寺です。通称「世継地蔵(よつぎじぞう)」として親しまれています。ご住職さんの姓が「塩竈」さんでいらっしゃいます。
世継地蔵
上徳寺の西裏の墓地は窪地になっており、「河原院」の池の跡とも伝わるのだとか。
墓地には徳川家康の側室・阿茶局の墓もあります。(実際に葬られているのは東京都内の雲光院だそうです)
現在、本覚寺や上徳寺があるあたりは「河原院」跡の北西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する「六条院」の図に重ねたとしたら、明石の君が住んだ「冬の町」にあたります。
『源氏物語』においては明石の姫君がのちの東宮を生んだ六条院冬の町。
そんな六条院冬の町にあたる場所に現在、上徳寺こと子授け・安産で信仰されている世継地蔵さんがあるのは不思議なご縁ですね。
本覚寺・上徳寺の近くにある見どころ。
市比賣神社(いちひめじんじゃ)
女人守護で知られる神社です。私たちがお参りした日も女性のご参拝がとても多かったです。
神社の近くの住居を見上げると仁丹の「六條通河原町西入 本塩竈町」が掲げられていました。
市比賣神社があるあたりは河原院跡の南西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、秋好中宮が住んだ「秋の町」にあたります。
河原町通を横断して住宅街の細い道へ。この細い道は御土居の名残りとも。
この辺りは河原院跡の南東部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、光源氏と紫の上が住んだ「春の町」にあたります。
次回の記事では、高瀬川沿いの道路にある「此付近 源融河原院址」碑をご紹介します。
「此付近 源融河原院址」碑へ続きます。
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く
本覚寺
●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)
源実朝<鎌倉右大臣>の正室・坊門信子ゆかりのお寺です。
本覚寺の看板に ここは嵯峨天皇の皇子・源融の河原院塩竃(しおがま)の第があったところで、今この辺りを本塩竃町という。 と書かれておりここが「河原院」跡であることを記してあります。
源融は「河原院」に難波の海水を運ばせて陸奥(みちのく=奥州)の塩竈(しおがま)のような風情を楽しんだのだとか。
かつて本覚寺の境内に塩竈神社があったそうですが五条通の強制疎開によって取り払われ、そのご祭神・源融像は本堂に安置されているそうです。
こちらの写真は2009年に京都市下京区で開催された「源融が結ぶ塩竈の縁」というイベントで撮影させていただきました。
上徳寺<世継地蔵>
●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)
上徳寺は塩竈山(えんそうざん)と号し浄土宗に属し「河原院」跡に建つお寺です。通称「世継地蔵(よつぎじぞう)」として親しまれています。ご住職さんの姓が「塩竈」さんでいらっしゃいます。
世継地蔵
上徳寺の西裏の墓地は窪地になっており、「河原院」の池の跡とも伝わるのだとか。
墓地には徳川家康の側室・阿茶局の墓もあります。(実際に葬られているのは東京都内の雲光院だそうです)
現在、本覚寺や上徳寺があるあたりは「河原院」跡の北西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する「六条院」の図に重ねたとしたら、明石の君が住んだ「冬の町」にあたります。
『源氏物語』においては明石の姫君がのちの東宮を生んだ六条院冬の町。
そんな六条院冬の町にあたる場所に現在、上徳寺こと子授け・安産で信仰されている世継地蔵さんがあるのは不思議なご縁ですね。
本覚寺・上徳寺の近くにある見どころ。
市比賣神社(いちひめじんじゃ)
女人守護で知られる神社です。私たちがお参りした日も女性のご参拝がとても多かったです。
神社の近くの住居を見上げると仁丹の「六條通河原町西入 本塩竈町」が掲げられていました。
市比賣神社があるあたりは河原院跡の南西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、秋好中宮が住んだ「秋の町」にあたります。
河原町通を横断して住宅街の細い道へ。この細い道は御土居の名残りとも。
この辺りは河原院跡の南東部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、光源氏と紫の上が住んだ「春の町」にあたります。
次回の記事では、高瀬川沿いの道路にある「此付近 源融河原院址」碑をご紹介します。
「此付近 源融河原院址」碑へ続きます。