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ザスパクサツ群馬の応援、スローライフ、終活日誌、趣味、旅行

左眼:白内障+黄斑前膜 パート2

2020-08-29 16:26:35 | 爺の部屋
白内障:自分は極度の近視。裸眼では0.1の視力もありません。ソフトコンタクトでは矯正は難しい。だから、ソフトコンタクトレンズが普及した後もハードコンタクトレンズでした。
今は白内障手術では視力矯正レンズを入れるので、任意の焦点距離が選べるらしい。自分は車の運転を最優先に考えていたので、遠方優先の矯正を希望していました。
しかし、医師の意見は違いました。これまで見えていた近距離が見づらくなる。ある程度の近視は残した方が生活に便利。
遠くも近くもメガネを使いわければ良いと自分も納得し、医師にお任せすることにしました。

左目の手術は白内障の手術から行う。
自分は目の奥の手術、黄斑前膜から始めるのだと思っていましたので、質問しました。
新たに入れた曇りのないレンズを通して、目の奥を見て手術するのだと言う。なるほど・・・・

手術3日前より1日4回、目の滅菌のための点眼薬を投与しました。
他には日常生活に何の制約があるようなものもありません。アルコールもOK。

手術後は目に菌が入るのを防ぐため、洗顔、洗髪は暫くダメ。
体を洗うのは首から下のシャワーのみOK
入浴は当然ダメ。
今は猛暑中。このところ、1日最低2回のシャワー(洗髪も含む)は欠かせませんでした。
風呂も毎日のように入っていました。
なお、美容室が行う顔(保護メガネを掛け)を上にしての洗髪はOKだそうです。

手術当日は息子に付き添って貰いました。
病院からも万が一のために、付添人がいるとのことでした。事情によってはいなくてもOK。
緊急時の身元引き受け人の連絡先は必須のようです。
自分も、月曜日の右目の白内障手術は自分一人で向かいます。病院の了解済み。

一連の検査の後、術前オリエンテーションを受けました。
手術前の点眼薬投与。
点眼麻酔。
局所麻酔
白内障手術は目の上の3点の光源をぼーっとみつめている間に行われます。手術の経過が何となく見える。
眼前の3点の光源は太陽のコロナのようです。
続いて、院長による黄斑前膜手術。
先ずはグリッと注射による局部麻酔。その時、少し痛みが感じれれましたが、我慢できない痛みではありませんでした。
眼前に繰り広げられる手術の様子はさながら水中遊泳のようでした。
黄斑前膜が極細ピンセントで丁寧に取り除かれる。それを吸い出す。時折、赤い色の薬剤が注ぎ込まれる。
眼球内部を洗うと言う感覚に近い。

手術は無事終了。
手術時間:白内障+黄斑前膜合わせて40〜45分程度でした。
大きな眼帯を付けて終了。
眼帯を付けても外が明るく見える。

黄斑前膜は初期の発見、治療が重要なようです。
取り除かれたとしても、網膜の歪みが生じていれば、完全には元には戻りにくいでしょう。
光学カメラのフィルムが歪んだ場合、それを直すのは難しいのと同じ。永久歪みになって残ってしまいます。
自分の場合、以前から黄斑前膜であることが分かっていました。
治療が遅れてしまったと言う後悔はあります。

翌日土曜日、
8月29日朝8時半の予約。眼帯を付けているので、息子に送って貰いました。
眼帯を外して点眼、目の検査、視力検査を行いました。見えることはみえるけれど、目立った視力の向上はないような・・・
今は手術直後の回復期。次第に視力が回復されることを期待しています。

特に気が付いたこと。明るさが違う。これは当然として、
左右の目で同じものを見比べると、色の白さが違う。白内障の目を通して見ると、白色が黄ばんで見えることが分かりました。
白内障ではなく、色の見え方から言えば黄内障ではないか。
古い車のヘッドライトカバーは透明が黄ばむ。紫外線の影響なのでしょうか。目にも同じことがおきているのかもしれません。白内障は経年劣化?の一つかもしれません。

明後日月曜日8月31日、右目の白内障手術を行います。

当面、面倒なのは1日6回(3時間毎)の点眼薬投与です。内3回は4種類。内3回は2種類。清浄綿で手術目をぬぐい、点眼する。
忘れそうです。
アルコールはご法度。重作業も暫くダメ。眼圧が上がる可能性があるからです。これは控えるのは難しくありません。
問題は髪を洗えないことです。拭く。拭うのは良いのでしょう。ドライシャンプーも一応購入しました。
美容室に行くことも考えざるをえないか。

手術を前に髪をバッサリ切りました。多分、60年来の短さです。

内蔵疾患?で体調不良! そして、白内障+黄斑前膜

2020-08-29 06:17:33 | 爺の部屋
ザスパ2連勝。ホームでの初勝利も飾った。最下位脱出した。嬉しい。
チャレンジャーズの天皇杯出場はならなかったけれど、関東リーグ二部初年度としては先ず先ずの成績を挙げて、頑張っている、

以下は私ごとの忘備録

7月に入って3週間で体重が4kg減りました。左下腹部に違和感。
何を食べてもムカムカし、食が進まない。
毎日、酒を飲むのが当たり前、休肝日も設けていませんでした。
この間、一滴の酒も飲まなかった。飲めませんでした。
医者嫌い。この歳になれば、あっちこっち不都合な部分が出てくるのは当たり前です。痛いところを指摘され、気分が滅入るのは健康に悪い。
医者に行くのは精々インフルエンザ予防ワクチン注射位でした。

ケセラセラ、なるようになる。なるようにしかならない。
と言う生き方です。

自分だけなら事故があっても自己責任。それでもよいでしょう。
それが変わった。生への執着が芽生え始めました。

胃腸科内科で受診しました。
直腸直診:異常なし。
血液検査:異常なし?
一番気になっていた腫瘍マーカー異常なし。
肝機能正常。3週間ノンアルコールの効果もあったでしょう。
少し貧血気味。食欲不振だったから当たり前。
検便検査:異常なし。
胃カメラ検査:異常なし。*いつもゲーゲーし、大嫌いだけれど、我慢しました。
エコー検査:異常なし。
昔人間ドックで胆嚢ポリープがあり、要観察と指摘されていましたが。成長はしていない。

つまり、検査で異常らしいものは見つかりませんでした。
気の所為!? 生来の極楽蜻蛉だけれど、自分自身が気がつかない心身症?
 
検査で異常は見つかりませんでしたが、胃腸の違和感は依然として解消されませんでした。
しかし、現金なもので、徐々に食欲が戻り、体重も1kg位戻りました。
飲酒の量は減りましたが再開できました。

念のためにと、「ピロリ菌」の検査をしました。
住み着いていました。
1日2回、空腹時にお腹が一杯になる位の薬を1週間飲み続けました。
駆除できたかどうかの検査は11月に行います。

自分は極度の近視。ハードコンタクト装着歴50年。免許更新時、問題になったことはありません。
利き目は左眼。直線が波打ったように歪んで見えるようになり、7、8年前に眼科で検査を行ったことがあります。
診断結果:
白内障は年齢相応に進んでいる。いずれ手術した方が良い。
歪んで見えるのは網膜の前に幕が張り、網膜が歪んでいるから。
この手術は群大病院でしかできない。入院が必要。
既に現役ではありませんでしたが、当面の仕事に支障が生じる。
本音は「目にメスを入れるのは痛そうで嫌」と先送りにしてきました。
症状は徐々に悪化しました。
現在の矯正視力でも、次の運転免許更新も可能でしょう。
仮にダメなら免許を返納すれば良い位に考えていました。

そうも言っていられない。やりたいことが出来なくなる。
「終活」に支障が出る。
何とかしなくてはと言う思いは強くなっていました。

手術を検討していた矢先のこと。
手術の決断を後押しする出来事がありました。
知人が白内障手術をした。
「世の中が変わったように見える。」
「手術は痛くない。」

『痛くない!? 本当???』
「目の中に入れても痛くない」と言う例えがあります。
小さなゴミが目に入っただけで痛いのに本当に痛くないのか?
白内障手術は眼球の手前部分。
網膜は眼球の奥部分。同じ目の手術でもかなり違う。

覚悟を決め、恐る恐る、近くの眼科病院を訪ねました。
その病院を選んだ理由:
①出来て間もない。最新設備が整っている。
②自宅から徒歩で行ける。
③入院施設はないが、群大病院が近い。

受診結果:
左右両眼白内障、左目黄斑前膜。手術は片眼づつの日帰り手術。
手術時間:白内障約15分程度。白内障+黄斑前膜45分程度。
局所麻酔では痛くなくても意識がある。目の奥をグリグリされるのは耐えらるのか。45分は長いと思いました。

昨日(8月28日)、白内障+黄斑前膜の手術を行いました。
麻酔が効いて痛くはありませんでしたが、手術時間は長く感じました。
無事終了しました。今は大きな眼帯を付けています。
開眼式は今日(8月29日)、さてどうなりますか。
ドキドキしています。

削る 思いっきり削る

2020-05-04 09:57:36 | 爺の部屋
お買い物中毒小休止。

不安を紛らわすため?、買い漁る。
買いが買いを呼び、不必要なものを買う。
分不相応のものを買う。

自覚があっても止められないのが「お買い物中毒」なのでしょう。

このところ、「衝動買い」は薄れてきているようです。
先立つものがなくなったが大前提なのだけれど、気持ちが安定しているからのでしょう。
朝チャリ効果も少しはあるのかもしれません。

衝動買い
骨董品類は大分前に一段落。
最近は絵が中心でした。
新進作家ものもあれば、以前はとても手が届かないものも今は買える。

どこに飾るかも考えず、壁の空いた場所に下げてきました。

結果、
まとまりがない。落ち着かない。ウザい。

今は壁に合う絵を原則1枚だけにしました。
掛けてあった絵の多くを外したのです。

小品であれば、テーマを決めて、散らせて並べる方法もありそうです。

こんな至極当たり前のことに気付くまで、半年を費やしてしまいました。
相当な無駄遣いをしました。
実際にやってみて分かった失敗なので、仕方ありません。

壁から外した後、そこに合う絵がなく、ポッカリと空間が出来てしまったところもあります。



昨日まで、このレンガ壁には、5枚の油彩、水彩、蝋画、作家も画風も違う色々な絵が掛かっていました。


柔らかな秋の日差し 井上 護 油彩 F10

井上護画伯の絵の独特な空気感に惹かれています。

居間には、現在、井上護画伯の油絵が合計3枚掛けてあります。

瘋癲老人(カメック爺)の引き籠もり部屋の版画 

2020-04-22 19:42:40 | 爺の部屋
このところ、堰を切ったように絵を買っている。
若い頃は出来なかった。
興味もなかった。
美術館に行くことはあっても、画廊とは無縁の人生でした。

絵を買うと言う発想が出てくるのは想像するできませんでした。
少し前であれば、絵を買うお金があるのなら、
オーディオ製品の買い増し、車の買い替えに振り向けたでしょう。
どうした心境の変化なのでしょうか。
強いて言えば、年老いて、趣味・道楽が変わった。
価値観が変わったからです。

手の届く範囲で気楽に買っています。迷いに迷って買うことはほとんどありません。
その場の乗りで買っている。

歳をとってからの始めた道楽は底が浅い。
少し経って、振り返ってみると、あんなものよく買ったものだと自分でも思う。
それでも、懲りずに買っている。お買い物中毒患者の症状です。

小さく狭い家、絵を掛ける場所は限られる。
季節に合わせて、その時の気分に合わせて掛け替えれば良い?
それは売る側の常套句。真に受けてはいません。

引き籠もり部屋の版画を掛け替えるか思案中。

現在、掛かっている3枚はマチスの版画で揃えている。

音楽を聴く場所、居眠り場所なので、絵が主役であってはならない。
題材が軽く、抽象的なものが好ましい。








自転車再開します。

2020-04-15 15:48:48 | 爺の部屋
コロナ、コロナで人混みを避けねばなりません。

かと言って、引き籠もり飽きてきました。

散歩も兼ねて近くに出かける時は「折り畳み自転車」を使うことが増えてきました。

小ぶりのリュックを背負えば、買い物も出来る。

今日も暇に任せて、いつもより遠出したのですが・・・・・・・

通学用自転車に抜かれる。どんどん置いて行かれる。悔しい

幾つになっても、齢を重ねても丸くなれない。

ロード・バイクのサビ落としを兼ねて再開します。

取り敢えず、30km、2時間程度から始めます。

三日坊主まで持つかどうか。


生き方 それぞれの選択

2020-01-29 02:11:19 | 爺の部屋
goo blogのツールの一つには「アクセス解析」があります。
過去6時間以内に、自分の投稿のどれかにアクセスがあれば、それがどれか、どれだけのアクセスがあったかが分かります。

最近の書き込み項目別では、「爺の部屋」、「美術」、「スローライフ」が多い。書き込み直後は、ロボットによる自動閲覧はあるのだけれど、直ぐに消える。

このブログを始めたのは遥か昔、15年以上も前のこと。「ザスパ」の応援サイトとして立ち上げたものでした。
「ザスパ」の古い記事には時折アクセスがあります。ミスター草津 FW高田の人気は不滅です。
家庭の事情から「ザスパ」の応援は3年間のブランクが生じました。
「ザスパ」の古い記事には一定の需要がある。
今年はしっかり応援して、ブログに書き留めたいと思います。

それ以外にアクセスがあるのは、「オーディオ」。アクセスしているのは知人だったりして・・・・
「ジャズ喫茶」は忘れた頃にある程度。

「お気に入りの店」では、iijimaが一番多い。
パシェステ(菓子職人)飯島さんとは店を閉めた後も交流がありました。格別、尋ねたことはないのですが、普段の会話を繋げていけば、「前橋で開店した理由」、「止めざるを得なかった理由」もなんとなく分かって来る。
「理想と現実」の大きな壁。自分のような給与生活者を続けた者には分かりようがない。

自分のしたいことをするのが理想としても、現実との折り合いの中で、「踏み出すか、続けるか、止めるか」を選択せざるをえません。
作品を創造し、生活の糧を得る「作家」も脚光を浴びるのは一握りの人達。
踏み出す勇気、続ける勇気もあれば、止める勇気もある。

何を書こうとしたのか・・・・自分でも分からなくなってしまいました。

このところの日常

2020-01-26 07:57:48 | 爺の部屋
行きつけの店で「店員紛い」のことをしています。
無給。勤務時間は自由裁量。無断欠勤の常習者

店で主に販売している商品は日常使い品と作家物・骨董の類(言い換えれば中古品)。

骨董品と言うと貴重品と言うイメージがあります。
江戸時代の骨董品と思われるものも驚くような安価で売られています。
それでも売れないものもある。

需給のバランスでモノの価値、値段は決まる。
供給:親族の遺品、終活品・・・もの余り時代の不用品
需要:住宅様式の洋風化、世代交代、ゆとり世代の退潮、少子化、可処分所得の低迷、先が見えない世・・・理由はいろいろあるでしょう。
洋物を除き、骨董品の人気は落ちているようです。

今は美術品として、珍重される骨董・作家ものも、本来は実用品として作られたものも多い。
自分は実用品として購入する場合が少なくない。

作家ものの価値はネームバリューで決まる。
有名作家でもそれを証明するもの(共箱等)がないと驚くほど安価。
備前のように作家独自の陶印で確認できるものがありますが、それでも共箱がないと価値は大きく下がる。

転売目的でないのなら、その価値は自分が決めるもの。
自分が気に入ったものをがリーズナブルな価格で買えればそれに越したことはない。

自分の業務は展示担当。
店の方針の範囲内で、顧客目線で良品と思われるものを目立つようにレイアウトする。
自分の家に飾るのと同じ感覚で行う。
レイアウト行為が遊びです。

店員特権は商品をいち早く見ることができること。
その時点では価格は分からない場合が多い。
欲しいと思った商品も自分の懐と相談すれば買えない。

この品なら欲しい人も出てくるだろうな〜と思えば、買わずに我慢することもある。
「あ、売れちゃった」と残念な思いをすることもあるけれど、
見る目のある人に渡ったと言う喜びが大きい。
売れるようにレイアウトしたのは自分なのだから・・・

これは絶対お買い得と思って気負って、レイアウトしたのに、売れない品も出てくる。
どうするるか。
結局、自分が責任を取って、自分が買うことも多い。

作家もの、骨董品は一品もの。
「この間来た時に気になったものがあった。
あれはどうなった」と言うお客さんもいる。
「売れました」と言うと本当にガッカリするようだ。
その気持ちは良く分かる。
「一期一会」は大袈裟かもしれないけれど、縁がなかったと言うことです。

「店員紛いの行動」は遊びです。
兎角、「引き籠もり」になりがちな生活を少しは緩和してくれる。

個展、グループ展では作家さんと話をする機会がある。
自分の実生活とは程遠い話が聞ける。
色々な苦労もあるのらしいけれど、「楽しい!」らしい。
そんな冒険をしてみたことがない自分から見て、本当に羨ましい。

自分の懐の範囲で応援したいと思う。

「店員紛いの行動」は遊びです。
遊びにはお金が掛かるのは当然。
遊ばせて貰っているのだから、所場代代わりに、気に入ったもの(骨董・絵画)を買う。

もう一杯で飾り場所がない。

「いつまで楽しめると思っているんだよ〜」
「自分の歳をチョットは考えろよ!」
自問自答はしています。

有閑・偏屈爺のお買い物中毒は止まりそうにない。

カテゴリー「爺の部屋」新設

2020-01-20 10:51:00 | 爺の部屋
僕、カメックが主人公だった時は、親父は自分からみれば「義父(親父)」と言う立場でした。

今でもそうに違いないのだけれど、自分の歳を自覚して貰うためにも歳相応の「爺の部屋」にして貰う。

以前のブログは「親父の部屋」のままにして、最近のブログは「爺の部屋」に移させます。


十年一日の如し 未定稿

2020-01-20 10:48:37 | 爺の部屋
人生は過客の如し
あっという間に時間は過ぎ去る。
加齢と共にその速度は早まる。

子供の頃はそうではなかった。
毎日に新しい発見があった。驚きがあった。

同じことを繰り返す・・・・平々凡々が悪いと言うのではありません。
ストレスを避けるようになる。防衛本能みたいなものでしょう。

この処、変化がある。
二年前の妻の死があった。予見されていた死。ゴールに向かって、夫としての当然の役目を果たしたと言う安堵感があります。
周囲の環境にも恵まれ、家族の協力もあり、介護疲れとは無縁の日々。気負いはなかった。

妻との思い出の地、北海道旅行をしました。
思いもしない大地震に遭遇し、傍目には散々な目にあった。
そこで出会った「一期一会」
人の持つ優しさに触れたことは、その後の自分の生き方の変化の大きな転機になったように思う。

人付き合いは苦手です。
多分、誰も皆がそう言う一面を持っているのだと思う。

人の気持ちを推し量るのは難しい。
すれ違いも生じる。
関わりを断てば、面倒毎も起きない。

それを承知の上で、積極的に関わりを持つようになりました。
結果、いらぬ波紋を投げかけているように思う。

長年の道楽であるオーディオは基本的に「孤独を楽しむ」ことです。
同好の士と交流を始めました。

日常の些事を「ブログ」として書き留めることにしました。
カメックブログの起点は「ザスパの応援」でした。それは今も変わらない。
「終活」の一つとして位置付けることにしました。
「書く」と言う行為は、日常を意識し、自分に向き合うことです。

このところ、年齢を重ねる毎に早まるばかりの「時間の流れが緩やか」になったような気がしています。

毎日の生活に忙殺されて、それどころではないと言う方は多いでしょう。
それなりに恵まれた有閑・瘋癲老人の戯言です。

「起・承・転・結」 つれづれなるままに 未定稿

2020-01-19 05:03:53 | 爺の部屋
ブログを書く目的は、暇つぶし、終活の一つ・・・・最終的には自己主張、足掻きです。

面白い記事を書きたい。
とは思っても、自分の日常にそんなものは転がっていない。
お買い物中毒はネタ探しそのものなのです。

ブログのタイトルから外れました。

人間の思考回路はどうなっている。ブログを書く時の順序を追ってみました。

書きたいものをみつける。テーマを見つける。自分はこう思う。
つまり「結」が先になければ、何も書けない。

なんで、どうして が「起」

こうだから が「承」

そうだよね が「転」

と言う粗筋になるような気がします。

いずれにしても「結」に至るまでの過程の粗筋を書き連ねる。

思考は、言葉を反芻しながら組み立てられる。
言語によって、相当違うような気がします。
民族的な壁もある。
生まれ育ちの環境で大きく違う。

自分のブログは「取り敢えず」を乱雑に書き連ね、それを後で何度も修正する。
その過程で、書きたいことのフォーカスが次第に定まって来るようです。

ブログを書き連ねる行為
ボケの進行を抑えることは無理にしても、
瘋癲老人の楽しみと言う前向き姿勢には役立つのかもしれません。

終活 愁活 囚活 拾活 

2020-01-11 07:41:12 | 爺の部屋
終活
老を自覚し、後に憂いを残さないように、日々を生ること。

自分のような生臭爺には縁がありません。

老を憂いながら、やむなく、生きています。

明日は出来なくなるかもしれないことを今日にする。
後悔の残らない一日を送りたい。

と言うと
いかにも、後ろ向きのペシミストに聞こえるかもしれない。

ケ・セラ・セラ なるようにしかならない 
今出来ること、種々の制約の中でこれまで出来なかったことを 肩肘張らずに、気楽にやろう。
老を楽しもう。

周囲からみれば、ガラクタ、いや訂正、不用品、つまり同義語 を集めているとしか見えないだろう。

瘋癲老人のワガママを自覚していて、やっているつもり・・・・デクレッシェンド



手軽にできるブログは自分向き

2019-11-16 07:30:50 | 爺の部屋
ツィター、ブログ、ホームページ
何かを系統的に纏めるなら、ホームページが適していると思う。
トピックス中心ならブログ、ツィターが良いのでしょう。
サッカー応援ならブログでしょうか。

その3つを同時に使い分けしているマメな方もおられます。
読む側からみれば、ホームページ、ブログ、ツィターの順に軽くなる印象です。

トランプ大統領のツィターは例外で傍迷惑?

一時、ホームページを作ろうと思った時期もありましたが、整理整頓が苦手、ある程度の検証作業も必要なので面倒くさい。
ブログは短くすればツィターぽくなるし、丁寧に書いて、索引(例えば、スローラーフ)でホームページ的な使い方も可能です。
過去投稿を再編集し纏めることもできます。

人の記憶は想像以上に曖昧模糊。
ブログ日記にしておけば、過去を振り返り、現在を見つめ直すことができます。
同じようなテーマであれば、経時列で比較が出来ます。

いい加減な自分には向いていそうです。

断捨離

2019-10-22 04:50:18 | 爺の部屋
「断捨離」には、「整理整頓し、次代に禍根を残さない」と言う意味が強いように思います。

長い年月の生活の中で、物は溜まる。
好きで好きで大枚を叩いて買ったものもある。
先が見える年齢になれば、それらをどうするか。決断しなければならない時期が来る。

子供に問えば、「いらない。邪魔。処分して」、
残してくれるなら「現金」と、至極合理的な答えが返って来る。

「そのままで良いよ」と言える子供であって欲しいものです。

終活の一環として「断捨離」を選択する方もいるでしょう。

お買い物中毒

2019-10-14 17:24:54 | 爺の部屋
お小遣いの範囲でと安易な気持ちで始めた実物オークション。
入札参加を契機に実用品に近いものから、即押入れ直行のものまで節操なく買いました。

虚しさは物では埋まらないのに

お買い物中毒になってしまった。
中毒患者と言う自覚は少し残っています。
でも止められない。
逆終活と居直っています。
まさしく中毒患者の典型的な症状です。

迷いに迷って買ったものは後悔が少ない。
ガレランプは日常使い品。買って良かったものの代表です。

兎角、不人気のレッテルが貼られているのが和製品。
その名品に巡り会えたのは僥倖でした。
名品は時代を超える。
和とか洋とかの垣根を超え、息を飲むことがある。
一工夫をすれば、洋室にも十分溶け込みます。

その場の勢いで買ったものは後悔が多い。
オーディオ部屋用に買ったランプは奇抜なデザイン。
部屋に行く頻度が減り、点灯する機会がない。
さりとて、他の部屋には合いそうもない。

値段に惹かれて買ったものも多かった。
安物買いの銭失いは分かっていたつもりなのに・・・
シルバー色に燦然と輝く馬頭(外国作家もの)は大きく重い。飾り場所の見当が付きません。
仕舞うのだって、天井裏に持ち上げようがありません。

取り敢えず買うが増え過ぎて、置き場所に困っている。

ゴミ屋敷誕生?