冬住みの里 資料館
○六合村の由来
ここは草津村でした。
明治時代、町村制の発布により、小雨、草津、前口、太子、日影、生須、赤岩、入山の8つの字(あざ)が合併して草津村となりましたす。
明治33年、草津村が2つに分村し、草津、前口の二大字は草津に、小雨、太子、日影、生須、赤岩、入山の六大字は六合になりました。
なお、六合を くに と呼ぶのは古事記の「天地創造の東西南北天地をもって国となす」に由来するようです。
草津町と六合村はもともと兄弟なのです。
○冬住みの里の由来
草津温泉は夏は避暑地、冬はスキーとシーズンを問わず楽しむことができます。
大正時代以前、草津までの往来は暮坂峠を通るのがメインルートでした。雪が降ると自由に通行できなくなり、湯治客も途絶えてしまいます。
そのため、その季節になると、草津で旅館を営む人々は、戸閉めして、小雨まで下りました。
小雨に降りる日は11月8日、草津に上がる日は5月8日と堅く守ることが決められていたようです。
草津湯畑の標高
小雨地区の標高は700m位。その差は400~500m位あることになります。
標高100mを上がると気温はおよそ0.7℃位下がると言われています。小雨は草津に比べて気温は3℃位高いはずです。
それに加えて、小雨は東斜面の陽当たりの良い場所。体感温度はもっと暖かく感じるかもしれません。
草津温泉の旅館の経営者は春から秋には草津で宿を営み、冬は小雨に移り、来るべき春に備えて、湯治客の生活用品の準備、土産品づくりをしていたのです。(以上は、冬住みの里資料館 で頂いた資料を参考にしました。)
市川館長は退職後、蔵に保管されていた先祖代々の品々を整理し、蔵とご自分の住まいの半分を冬住みの里資料館として一般に開放したのです。
市川館長は訪問者を付ききりで案内してくださいます。
展示蔵1
ここには冬住みの里の歴史が展示されています。
展示蔵3 展示蔵2
展示室2は主に輪島塗り等、調度品が展示し、展示室3は絵画、書を展示しています。
調度品の保存はとても良い。ご先祖が大切に保存していたことに加え、ここの蔵は温度、湿度等の保存環境が整っていたようです。
道路から見あげた展示蔵2
ここは美術品の展示。
冬住みの家
ここは旅館の経営者の家。草津にある旅館と同じ作りだそうです。
冬住みの家展示館は、市川館長が実際にお住まい家の半分を一般に開放しているのです。
ケヤキ大黒柱(60cm超?) ピカピカの板戸
大黒柱と桁
天井部は黒く変色し、とても重厚感があります。囲炉裏で集う家族・・・・どんな生活をしていたのでしょう。
おこたつでお茶を頂きながら、市川館長のお話を聴く。時間の流れは緩やかです。
*ザスパ草津U23の練習場である小雨グランドは、思ったとおり、六合村小雨に由来するものでした。小雨地区の草地だったようです。
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