2004年12月26日にインドネシアのスマトラ島沖で発生した地震は、インド洋沿岸の国々に大きな被害をもたらしました。インド洋沿岸では過去200年間において津波による大災害を経験しておらず、津波に対する備えがなかったことが主な原因だと思われます。2004年以降、スンダ海溝における巨大地震・津波の履歴を今後の長期予測に役立てるため、国内外の研究者がインド洋沿岸で地質調査を行ってきました。
タイの沿岸に残された津波の痕跡
タイ南部にあるプラトン島では、2004年の津波の際にマレー半島で最大となる約20 mの津波浸水と2 km以上の遡上(そじょう)が観測されました(図a、b)。衛星による観察では、いくつかの海岸で、水路が300 mほど津波により浸食されたのがわかっています。この津波により、島の西半分に津波堆積物[※]が広く残されました。京都大学のグループは2005年10月にこの島で予備的な調査を行い、2004年のインド洋津波やそれよりも前の津波堆積物を見つけました[1]。私たちはさらに研究調査地域を拡げ、150地点以上のボーリング掘削とピット掘削から津波の痕跡の分布や詳しい年代を調べました。
明らかにされた「繰り返す巨大津波」
調査の結果、過去約2500年間の地層中から過去の津波堆積物を4層発見しました(図c)。最も新しい津波堆積物は、2004年スマトラ島沖地震によるものです。では、過去の津波はどのようなものだったのでしょうか。今回の調査では歴史記録にある1881年の津波に相当する津波堆積物は確認されませんでしたが、これは2004年のものよりも規模が小さく、地層に証拠を残すほどのものではなかったためと考えられます。同時に、過去3回の津波は2004年クラスの巨大なものだったことも意味しています。堆積物の年代は、植物化石に含まれる放射性炭素(14C)の濃度を計測することによって推定することができます。津波堆積物のすぐ下より得られた放射性炭素年代測定値から判断すると、過去の津波の再来間隔は、1500-1850年(最も古い津波とその次のものの間隔)と550-700年(2004年と最も新しい過去の津波の間隔)と推定されました[2]。このような長い再来間隔を持つ津波はインド洋沿岸の歴史記録では見つかっておらず、2004年の津波が歴史記録だけでは予測できないものであったことがわかります。
しかし、2004年の津波は地質学的には想定外のものではなく、2004年以前に古地震学的研究を行っていれば予測できていたかもしれません。
タイの沿岸に残された津波の痕跡
タイ南部にあるプラトン島では、2004年の津波の際にマレー半島で最大となる約20 mの津波浸水と2 km以上の遡上(そじょう)が観測されました(図a、b)。衛星による観察では、いくつかの海岸で、水路が300 mほど津波により浸食されたのがわかっています。この津波により、島の西半分に津波堆積物[※]が広く残されました。京都大学のグループは2005年10月にこの島で予備的な調査を行い、2004年のインド洋津波やそれよりも前の津波堆積物を見つけました[1]。私たちはさらに研究調査地域を拡げ、150地点以上のボーリング掘削とピット掘削から津波の痕跡の分布や詳しい年代を調べました。
明らかにされた「繰り返す巨大津波」
調査の結果、過去約2500年間の地層中から過去の津波堆積物を4層発見しました(図c)。最も新しい津波堆積物は、2004年スマトラ島沖地震によるものです。では、過去の津波はどのようなものだったのでしょうか。今回の調査では歴史記録にある1881年の津波に相当する津波堆積物は確認されませんでしたが、これは2004年のものよりも規模が小さく、地層に証拠を残すほどのものではなかったためと考えられます。同時に、過去3回の津波は2004年クラスの巨大なものだったことも意味しています。堆積物の年代は、植物化石に含まれる放射性炭素(14C)の濃度を計測することによって推定することができます。津波堆積物のすぐ下より得られた放射性炭素年代測定値から判断すると、過去の津波の再来間隔は、1500-1850年(最も古い津波とその次のものの間隔)と550-700年(2004年と最も新しい過去の津波の間隔)と推定されました[2]。このような長い再来間隔を持つ津波はインド洋沿岸の歴史記録では見つかっておらず、2004年の津波が歴史記録だけでは予測できないものであったことがわかります。
しかし、2004年の津波は地質学的には想定外のものではなく、2004年以前に古地震学的研究を行っていれば予測できていたかもしれません。