鴨着く島

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片屋根倉庫の棟上げ(令和2年12月8日)

2020-12-08 14:35:38 | 日記
11月の初旬から掛かっていた片屋根倉庫は、今日、ようやくポリカーボネイトの波板屋根を乗せ、「棟上げ」に漕ぎつけた。

奥行3.5メートル、幅2.8メートルで、内部の広さは約10平方メートル(3坪余り)。

これまでここにパイプ車庫を建てていたが、入れていたミニバイクを廃車して久しく、そのまま倉庫に転用していたのだが、パイプ車庫仕様では台風のたびに覆っているシートを外さなければならず、もう何年も前から恒久的な倉庫をと思っていた。

11月に本(『投馬国と神武東征』)を出してから、各県の図書館や大学の図書館、友人知人などに寄贈し終わり、ちょっと余裕ができたので取り掛かることにしたのである。

柱も9本建ててあるので結構丈夫だろう。ただ柱の根石をすべて生コンを使って自家製の二枚羽根固定タイプにしたので、その分完全に固まるのに一週間くらい余分にかかってしまったが――。

固まった根石に柱を立てて六角ボルトで固定し、さらに桁を乗せてから垂木を打ち付け、そこに波板を固定するための五分板を直角に貼り付けたら、あとは屋根(波板)を乗せて打ち付ける。

屋根の長さがちょうど3メートルなので、業者にその寸法の既製品があり、切る必要が無いので作業的にはずいぶん捗った。半透明の「ブロンズ」という色合いの物を7枚使ったが、ちょうど7枚でいい具合に覆うことができ、それよりも何よりも最後の一枚を乗せた際にどんぴしゃり角の部分に数センチのずれもなく収まったのである。要するに、倉庫を上から見た時に、角のすべてが直角でゆがみがなかったというわけで、我ながら胸の中で「やった」と喝采していた。

ところがどっこい・・・。最後の一枚に笠釘を打ち付けてやれやれと満足げに来し方を眺めた時、この一枚の前の一枚に3箇所、笠釘の打ち忘れがあったのに気付いた。

疲労もあってひどくがっかりしたのだった。たった三本とはいえ、そこを打ち付けるためには最後の一枚をいったんすべて外しからでないと、手が届かないのである。

少し考えてから、屋根に上がってそこをどうにかしようと決め、それまで使っていなかった二連ハシゴを伸ばして屋根のでっぱり部分に掛けて屋根の上に登った。そしてどうにか3箇所に打ち付け終わり、さて降りよう、とした時である。

二連ハシゴが何と一連に縮むと同時に、地面に倒れてしまったのだ。

馬鹿たれが!――と、思わず叫んでいた。

今いる所から地面まで約2.5メートルはあるから、飛び降りるわけにはいかない。どうしようと辺りを見まわすと、屋根の一番低い部分が隣家の境界植樹のヒトツバ(高野槙)に接していた。そこからなら木を伝って降りられると思い、ポリ板を踏みぬかぬよう立ち上がらず、そろりそろりと体を滑らせて2メートルほど下の境界林の中の一番太そうなヒトツバの木に足をかけ、手で抱き付くようにして何とか地面に降りることができた。

転落しないように身体を滑らせて下に降りて行くときに、「雪国で屋根の雪おろしをしているうちに転落するというが、あれに似ているな。」とか「本当にここで転落したら、ニュースになるな。」などと頭をよぎったが、わずか数十秒の騒動劇でもいろいろ考えるものだと、今思えば苦笑するほかない。

「年寄りの冷や水」ならぬ「年寄りの冷や汗」だが、「生還」した時、昼食時間を過ぎていたが、吾平の温泉センターに行って「冷や汗」を流してきたこと言うまでもない。