鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

高千穂の峰を遠望(2024.12.19)

2024-12-19 14:51:22 | おおすみの風景
12月9日の初霜以来、ちょうど10日続く朝の氷点下圏(零度前後)のために空気がぐんと冷やされ、土から立ち上がる湿気も乾燥した北西の風によって吹き払われて来た。

だから乾燥注意報が発令されて久しい。

こんな時に見られるのが、我が家のほぼ真北に位置する「高千穂の峰」のシルエットだ。

よく晴れて冷え込んだ早朝なら見えることのある高千穂の峰だが、そういう日に限って日中は気温が上昇して地面から陽炎のような蒸気が立つので見えなくなる。

ところが最近は空気が乾燥している上、日中の気温も10℃位しか上がらないので、地面から立ちの昇る陽炎のような蒸気がごく少なくなり、昼過ぎでもくっきりと高千穂の峰が見える。

そう急傾斜ではないが、中心のとんがり屋根ですぐそれと分かる高千穂の峰。我が家から直線距離にしてちょうど60キロだ。

霧島連山の東の最高峰で1594mもあり、言わずと知れた天孫降臨の山。

ただ同じ宮崎県の北部にある高千穂町の山に降臨したという説もある。

だが、明治維新政府で初代の内務卿だった大久保利通が鹿児島県出身だったため、天孫初代のニニギノ尊が下ったという高千穂の峰を、鹿児島県に近い霧島に比定したと言われる。

天孫の墓所についても、ニニギは薩摩川内の可愛山上に、次のホホデミは溝辺町の高屋山上に、その次のウガヤフキアエズは吾平町の鵜戸野の吾平山上に、という風にすべて旧薩摩藩領内に決定している。

政治的な偏向と言われても仕方がないだろうが、そもそも皇孫とはいえ「天から」降りてくるものだろうか?

倭語で漢語の「天(テン)」は「あめ」とも「あま」とも言うが、「あめ」は「雨」として最も普通に使われている。雨は気象用語であり、降雨にメカニズムから考えれば科学用語でもある。

天孫はもちろん雨ではないから、倭語としては「あま」のほうを重視すべきだ。

「天照大神」は「あまてらすおおみかみ」であり、「高天原」は「たか(あ)まがはら」、「天津日継」は「あまつひつぎ」というように天孫関係の用語ではすべて「あま」と読まれている。

ところが「あま」は海を舞台とした用語にも使われているから厄介だ。

「海士」「海女」はどちらも「あま」と読むし、中古の用語「海部」は「あまべ」である。尼僧も「あま・あまさん」だ。

薩摩半島の西南の方では「ニニギノミコトは海からやって来た」と言う所があるくらいだ。

「天地剖半説」では「澄んだものは天となり、濁ったものは地となる」(古事記)というが、では海はどうなんだろう?