鴨着く島

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沖縄全戦没者慰霊の日(2022.06.23)

2022-06-23 21:08:47 | 専守防衛力を有する永世中立国
沖縄で行われた太平洋戦争初の地上戦は、日本軍10万、アメリカ軍1万2千、そして沖縄の一般住民約10万の犠牲を生み、1945年6月23日に終結した。(※帝国陸軍沖縄根拠地司令官の牛島満中将と同参謀長の長勇が自決したのは前日の22日であり、実質的には22日に戦闘は止んでいる。)。

日本軍の中には沖縄人が軍人軍属あわせて約3万人いたので、沖縄人だけに絞ると、当時、約13万の沖縄県民が命を落としたことになる。

当時の沖縄は人口が60万に満たない数であったから、よく言われるように「沖縄県民の4人に1人が犠牲になった」のである。

ほかの多くの都道府県でも米軍による無差別爆撃によって数千から10万くらいの一般市民の犠牲者を出しているが、それぞれの都道府県で沖縄のように25パーセントの人口が失われたという自治体はない。沖縄が突出して多い。

摩文仁の丘に設営された「平和の礎(いしじ)」には全戦没者の名前の刻まれた石の壁が建立されているが、今年も戦没者の追加があり、今や総数24万を数えるという。地上戦による戦死者13万人よりはるかに多いが、この中には沖縄県民で太平洋戦争に志願あるいは招集されて亡くなった人や、米軍の潜水艦によって沈没させられた学童疎開船「対馬丸」の犠牲者(生徒と引率の教師など1400名)なども含まれている。

太平洋戦争中の軍人・軍属の戦死では沖縄県人が突出して多いというわけではないが、一般住民や子供が犠牲になった点では全都道府県ではトップだろう。

米軍従属の報道関係者が撮影した沖縄戦における米軍の攻撃では「火炎放射器」を使用し、それを一般住民が立てこもったガマ(洞窟)に向けて放っている様子が生々しい。

今度のウクライナ戦争でも、ロシア側が一般住民の住む町にロケット砲を撃ち込む映像が流されるが、沖縄県民のみならず戦争の持つ非人道性に改めて心の痛みを覚える。

摩文仁の丘の会場で開催された沖縄全戦没者慰霊の式典では、小学2年生の女児がそんな沖縄戦の映像に触れた感想をたどたどしく語っていたが、誰しも思わず涙を催さざるを得なかっただろう。

沖縄県知事の玉城デニー氏は式辞の最後の方で、沖縄語と英語とで「ぬちどぅたから(命こそ宝)」と述べていたが、5月15日の沖縄施政権返還記念日の式典で全国知事会の会長である鳥取県知事の平井氏が「てぃんさぐぬ花」という沖縄の唄を口ずさんだのと同様、感銘を受けた。


玉城(たまき)デニー沖縄県知事。62歳で、父はアメリカ海兵隊員、母は沖縄人。翁長(おなが)前知事の死去を受けて後任として当選した。翁長前知事は元は自民党であったが、知事就任以降は自民党を離れた人だが、玉城氏は生粋の非自民である。もう一つ言うなら「非米」でもある。

母は父親が海兵隊除隊後にアメリカに帰る際、一緒に行かなかった。その事情は知る由もないが、デニー氏は母のいる沖縄に愛着を持ち続けているようだ。思うに「ぬちどぅたから党」だろう。非戦・不戦を貫く根本理念だ。

いっそのこと沖縄独立ではなく沖縄の永世中立を宣言したらよいと思う。非核宣言都市というのがあるのだから、永世中立宣言県というのがあってもよい。そうしたら米軍の存在は不用になる。米軍の基地問題はすべて解決するだろう。

ただし口を開けば「アメリカとのより一層強固な同盟関係を」と言う日本政府が許さないし、他県からはそのツケが回って来るのでいちゃもんを付けられるだろうが・・・。

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