鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

6年物の焼酎

2024-04-12 18:53:54 | 日記

今日は待ちに待った日だった。

というのは、6年経った焼酎を開ける日だったのである。

孫が生まれて生後1年の頃に、孫のこれからの無事な成長を祈る意味で地元の焼酎の五合瓶を購入し、ラベルをはがして特別に作った孫の顔写真入りのラベルを代わりに貼り付けたのを開ける日だったのだ。

世界にひとつだけの焼酎。

息子のところに3人の孫娘、娘のところに2人の孫娘と男の子が一人、都合6人の孫がいる。

どの孫の時も同じように1歳時の孫の顔のラベルを貼り、我が家とそれぞれの家に贈って来たが、今回は初めての男の子ということでちょっと味が違うかと思ったが、さにあらず、やはり美味さは一入だった。

何にしても、孫6人は無事に育っているのでありがたいことだ。

息子の一番上の女児の孫はこの4月に中学校に入学し、5番目のこの孫が小学1年生となった。いよいよそれぞれの学校生活が始まる。

あと残るは女孫がひとり、今度1年生の男の子とは年子だから、来年は孫のすべてが学校に通うようになる。

もう一本の焼酎が棚の奥で出番を待っているぞ。

 


それを言っちゃあ・・・

2024-04-12 13:24:19 | 日本の時事風景

国賓待遇でアメリカに招かれた岸田首相は大統領歓迎の晩餐会で流暢な英語を操り、次のようなジョークを飛ばしたそうだ。

ーー一緒に招かれた妻の裕子が「晩餐会の主役が誰だか分からない(ほど著名人が多数招かれた)わね」と言ったので、自分は確かにそうだと思ったけれども、バイデン大統領の隣の席に座れたので主賓だと分かりました。

この発言は晩餐会に招かれた人たちの笑いを誘った。以前に国賓で招かれた安倍首相よりは受け入れられたようだ。

最近よくアメリカのスタンフォード大学フーバー研究所の研究者だった西鋭夫教授がユーチューブで発言している映像を視聴するのだが、西教授は岸田首相を評価して「あの人は外国に行くと生き生きとしてお金をばらまいていますが、日本国内では暗い顔をして下を向いている」と言うことが多い。

今度のアメリカ訪問でも全くその通りのようだ。安倍元総理も英語をしゃべるがさして得意ではなく、菅前首相に至っては全く話せないから、たしかに英語圏では岸田首相の面目躍如だろう。

アメリカが今度岸田首相を丁重にもてなしたのは、ウクライナ支援で疲労し、イスラエル支援でもうまく行かず、さらに最大の中国問題である台湾有事が差し迫っているという認識のもとで、日本に少なくとも対中国牽制の立役者(盾役)になって欲しいとの思惑があるからだ。

対中国軍事戦略をアメリカは最も重要視しているのは承知のことだが、日本の軍事的役割を安保を前提としてワンランクアップさせようと圧力を掛けてきており、その結果岸田首相が唐突に5年間で43兆円を予算化すると宣言したことを評価しての今度の招待だった。

これに加え、アメリカはいざ戦闘準備となった場合の指揮権を一本化したいようで、在日米軍司令部内の統合的な指揮系統を再編した。自衛隊も同様の動きを示し、米軍との連携強化を図っている。

「平時に居て、乱を忘れず」という精神論から逸脱して、すでに南西諸島では自衛隊部隊が進駐し、地下壕の準備を始めたり、避難住民の受け入れ先を鹿児島県本土に設定したりとキナ臭い。

岸田政権下でのそのような対中国牽制のための準備活動はアメリカへの忖度が半分にしても、中国にとっては実に目障りだろう。

岸田首相はそんな中国への若干の配慮があったのか、バイデン大統領との会談の後で開かれた「共同記者会見」の記者の質問に答える発言の中で思いがけぬ言葉を口にしてしまった。

――同盟国たる中国・・・、あ、失礼、同盟国である米国との強固な信頼関係のもと・・・

あらあら、おいおい、という感じである。

間違うにも程というものがあろうに、それを言っちゃあお仕舞いよ。せっかくのアメリカへの忖度が台無しではないか。

「もしトラ」だったら、「ああそう、日本は本心はアメリカとの同盟は望んでいないのだ。もう別れよう。自分の国は自分で守れ」と、こう言いだすかもしれない所だ。それを言っちゃってくれトランプ!

 

 


ソバカリとサシヒレ~隼人誅殺事件~

2024-04-10 18:49:47 | 記紀点描

ソバカリという人物は古事記の「履中天皇記」に登場する隼人で、いわゆる日向神話(天孫降臨神話)において隼人の始祖であると書かれた天孫二代目のホテリノミコト(書紀ではホスセリノミコト)の後裔である。

漢字では「曽婆訶里」と書くが、使用された漢字の意味からはこの人物の属性は読み取れない。

その一方で日本書紀の「履中紀」では同じ人物を「サシヒレ」と記す。漢字では「刺領巾」と書いている。

同じ人物なのに古事記と日本書紀では全く違う名前になっているのはなぜかという疑問が長い間あり、数年前から、どうもこうではないかという結論らしきものが得られたので記しておきたい。

古事記ではソバカリと呼び、書紀ではサシヒレと呼ぶこの人物が、どんな事績を以て登場しているかを若干述べておく。

この隼人は仁徳天皇の第二皇子である「住吉仲皇子」(スミノエノナカツ皇子)の近習であった。古事記では同じ皇子を「墨江中王」と書いて「スミノエナカツ王」と読ませており、漢字表記の違いはあっても皇子と王の違いだけなので、以降はスミノエ皇子と簡略化して書くことにする。

さて仁徳天皇の後継者をめぐって、皇后磐之媛に3人の皇子があり、長男をイザホワケ皇子、次男はスミノエ皇子、三男はミズハワケ皇子といった。

このうちまずは長男のイザホワケが履中天皇として継ぎ、そのあとにミズハワケが反正天皇が付くのだが、次男のスミノエ皇子は兄を差し置いて自分が跡継ぎになろうとして反旗を翻した。

イザホワケ皇子のいた難波宮に火を点けて兄を亡き者にしようとしたが、イザホワケ皇子は家臣の機転で大和に逃げ延びた。

そこへ三男のミズハワケ皇子が現れ、自分には天皇位を狙おうという野心はないことを示すため、スミノエ皇子を成敗しようと決め、近習の隼人ソバカリ(書紀ではサシヒレ)を呼び寄せてスミノエ皇子を殺害するよう言い含めた。

「スミノエ皇子を殺害したら大臣にしてやる」という甘言を信じたソバカリは、ついに主人であるスミノエ皇子を殺害する。

これに対してミズハワケ皇子は、

「反逆者スミノエ皇子を殺したソバカリの功は大きいけれども、それまで主人として仕えていた人物を裏切るとは不忠である」

とばかり、兄のイザホワケ皇子のもとへ行く途中で偽の「大臣就任祝いの宴」を催した時に、ソバカリを殺害する。

ソバカリはまんまと載せられて主人殺しの汚名を着せられたうえ、葬られたのであった。

この隼人をめぐる事績は古事記と書紀では登場人物やスミノエ皇子の反乱の描写などにかなりの異同はあるが、おおむね史実の反映としてよいと思われる。

ただしこの履中紀の隼人という名称の存在は史実としては無かったことで、隼人呼称は天武天皇時代以降の南九州人を指す言葉である。

したがってこの履中天皇時代以降に登場する隼人は、雄略紀・清寧紀・欽明紀・敏達紀などにも登場するが、それらは本来南九州人であり、私見では「曽津間人」(ソツマビト)という名称だったと考えている。

さて、問題はなぜ同一人物が古事記では「ソバカリ」と呼ばれ、書紀では「サシヒレ」なのかであった。

従来この名称の違いはほとんど注目されてこなかったが、私はこの名称は同じことを表現したものだと結論付けた。

まず書紀の表現の「刺領巾」(サシヒレ)から解釈してみたい。

「刺領巾」という漢字表記はそのものずばりの表現で、「領巾を腰に刺している人物(男)」という意味を表している。

「領巾」(ヒレ)は多くは「スカーフのように肩に纏う布」と解釈されるが、実は新羅から到来した「天之日矛(アメノヒホコ)」が持参した「八種(やくさ)の宝」には、「波振る領巾」「波切る領巾」「風振る領巾」「風切る領巾」という四種の「領巾」があった(応神天皇記)。

領巾がスカーフであったら、波も風も切ることは不可能である。領巾とはこの場合「剣もしくは刀」でなくてはなるまい。

こう考えた時、刺領巾とは「領巾を腰に刺(差)している人物」という意味になる。この名称であればまさに「近習者」にふさわしい。主人の傍らにいて主人を衛るのが近習の役割だからだ。

次に古事記の表現の「曽婆訶里」(ソバカリ)を解釈する。

こちらは漢字表記からその意味を引き出すことは難しい。そこでひらがな(訓よみ)で解釈することになる。

まず「そば」だが、これは「側」という漢字が引き当てられる。「あなたのそばがいい」の「そば」である。

次に「かり」だが、これは「刈」が引き当てられる。この「刈」は「大葉刈」(おおはかり)の「刈」だろう。

「大葉刈」とは、天孫降臨神話の内でも「国譲り」の段に登場する「剣(もしくは刀)」である。

書紀によると、天照大神が葦原中つ国を我が子に治めさせようと国中を見下ろすといたく荒れていた。そこで我が子たちを中つ国へ交渉に遣わすのだが、うまくいかない。

天若日子を遣わしたが中つ国の娘・下照姫を娶ってしまい、交渉は進展せず、高天原から下された矢によって天若日子は死んでしまう。

その天若日子とそっくりな国中の人物にアジスキタカヒコネがいたが、天若日子の喪がりにやって来た際に彼は天若日子と間違えられ、怒ったアジスキタカヒコネは「喪屋」(喪がりのための建物)を腰に差していた「大葉刈」(おおはかり)で切り伏せた。

(このあと高天原からフツヌシやタケミカヅチが下されて大国主の国譲りとなるのだが、それは省略する。)

アジスキタカヒコネが喪屋を切り倒したという剣こそが「大葉刈」という名であった。つまり「かり(刈)」とは剣(もしくは刀)を意味するのである。

したがって「ソバカリ」とは「側に剣(刀)を携えた人物」という意味であり、これは「サシヒレ」とほぼ同じ意味である。

イメージとして「ソバカリ」は大相撲の横綱の土俵入りに付き添う「太刀持ち」であり、「サシヒレ」は「腰に剣(刀)を差して主人の傍らに控える近衛兵」であるが、いずれにせよ主人の身近に仕える「近習者」を意味する。

そもそもなぜ古事記と日本書紀とで同じ「近習者」の名が違うのか、その由来を指摘するのは困難であるが、「ソバカリ」は和語本来の語順「側の剣(かり)」であり、「サシヒレ」は「領巾刺し」ではなく「領巾を刺す者」と返り点的な読みをするので、より漢語に近い表現であることだけは言えよう。

 

 

 


辺塚ダイダイの移植

2024-04-08 13:23:36 | 日記

4年前の冬、肝付町の知人から同町内之浦の辺塚で昔から栽培されている「辺塚ダイダイ」というみかんの一種を頂いたことがあった。

ポンカンよりは小ぶりで、温州ミカンよりは大きく、今や辺塚地方でも栽培が少なくなっているみかんである。

辺塚地方は内之浦でもっとも人口の少ない太平洋を望む海岸べりに展開する集落で、平家の落人の伝承がある所だ。壇ノ浦から九州の豊後・日向地方の海岸に沿って逃れて来た平家の一党が住み着いたと言われている。

平家の落人とこの辺塚ダイダイとの因果関係は明確ではないが、もともと辺塚にダイダイが自生していた可能性は高い。

魏志倭人伝で倭国の植生を列挙している部分があるが、それには薑(はじかみ=しょうがの一種)・椒(さんしょう)などと並んで「橘」(たちばな・ダイダイ)があるとしているからだ。

もっともその頃の自生の橘はごく小ぶりのすっぱいものだったろう。薑や椒と同列に挙げられているのは、橘の原種も「香辛料」的な役割だったからに違いない。ただし、倭人はそれらを「滋味と為すを知らず」、つまり活用していないと記している。

それを時代とともに品種改良とまでは行かなくても、甘いのを選抜したり、魚粕などの養分を施したりして今の食用の辺塚ダイダイに定着したのではないかと思われる。

4年前に貰ったのはもちろん食用に供したり、焼酎のお湯割りに絞り汁を入れたりして「滋味と為した」のであるが、その際に出た中の種を10個くらい乾燥させてから植木鉢に蒔いておいた。

芽が出てもう4年近くほったらかしにしてあったが、すくすくと育ち、30センチほどの苗が2本採れたので、今日の午前中、庭の一角に植えてみた。

スコップで植え付ける場所を30センチも掘ると、我が家の庭ではどこでも必ず淡い赤っぽい地層に遭遇する。おそらく俗に言う「アカホヤ層」で、これは約7500年前に薩摩半島の南50キロくらいの所にある「鬼界カルデラ大噴火」由来の火山灰層だ。

スコップの先に見えた「アカホヤ層」。

アカホヤ層というと、よく小高い丘辺で道路用に切り崩してちょっとした崖の断面が現れた時に観察される火山灰層で、そうした崖では層の厚さは1mくらいにもなり、色はかなり鮮やかなオレンジ色だが、黒土の下では鎮圧され、かつ水分にさらされて粘土っぽく、色はピンクに近い。

この層をさらに10センチ以上掘り進み、スコップで切り込みを入れ、そこに堆肥を落として混ぜておく。

さらに堆肥と掘り取った土を混ぜたものをその上に入れ、そこによく育った辺塚ダイダイの苗を2本植え付けた。

あとは支柱を建てて風に揺らがぬよう紐で幹の部分を支柱にくくり付けた。

この作業の最中だったが、2本目の苗を紐でくくっていると、地面がくらくらっと揺れるではないか。

「道路に大型のダンプカーでも通っているのか?」と、一瞬思ったが、それにしては5、6秒は続く揺れで、向こうに見える池の水面もゆらゆらと揺れている。

我が家から直線にして20mほどの所を県道が通っており、時折り大型のダンプカーが満載の土砂を積んで相当なスピードで走るような時、家にいるとゴトゴトっと振動を感じることがあるのだが、今のはゴトゴトではなくユッサユッサと振幅が大きい。

と、どこからか緊急地震速報の声が聴こえて来た。「居間のテレビは消して来たし、いったいどこから?」と思いつつ、急いで家に入り、居間のテレビを点けてみた。たしかに地震が発生していた。

(※外で聞こえた緊急地震速報のけたたましい音声は、近くのビニールハウスの中からのものだろう。ハウス内ではサツマイモ苗のツル取りの真っ最中で、ラジオを流していたようだ。)

震源は大隅半島東方沖で宮崎県日南市が震度5弱、大隅半島部では大崎町と錦江町が震度4であった。

少しすると地震の詳細が発表された。震源は大隅半島東方沖、深さは40キロ、マグニチュードは5.2と。

地図上の震源を示す赤い×点の位置は、限りなく日南地方に近く、大隅半島沖というよりは日向灘沿岸部であったが、気象庁の観点ではそこも大隅半島沖に属するようだ。

日向灘を震源とするとそこは例の南海トラフの一部らしいから、観測体制上は区割りをしているのかもしれない(日向灘沖だとトラフ由来の地震、大隅半島沖だと活断層由来というように)。

いずれにしても今度のはM5級の大きさで、津波の発生が無かったのは良かった。ただ、大地震の前触れでないことを願う。


「地上の星」が再び

2024-04-07 18:39:42 | 日記

昨日6日からNHKで新たに「プロジェクトX~挑戦者たち~」が始まった。

オープニングのテーマソングは昔の番組の時と同じ中島みゆきの「地上の星」だった。

以前の番組は約20年前の2000年から5年余り続いたのだが、ほとんどは欠かさずに見ていた(と思う)。

組の内容は大方忘れたが、中島みゆき唄う「地上の星」は強烈に印象に残った。

2003年の春に鹿屋市に引っ越してきてからカラオケボックスが身近になり、よく行くようになったが、男歌ではおおむね昭和歌謡を唄った。

女歌となるとせいぜい八代亜紀の「舟唄」か五輪真弓の「恋人よ」の2曲くらいをたまに唄うことがあったが、このプロジェクトXの主題歌が耳に入った時にはちょっとした衝撃が走った。

内容もだが、何しろ歌い方が男性的なのだ。当時は中島みゆきという女性歌手の存在そのものを知らなかったので、最初聴いた時は「男性歌手?」と思ったくらいだ。

しかし、聴く毎に関心の度合いが強まり、ついにカラオケボックスで唄うようになった。

女性歌手の歌を唄う場合、キーの上げ下げが重要になるのだが、地上の星はほぼ上げ下げ無しでも原曲を一オクターブ下げて唄えば何とかなった。

もちろん演歌ではなく、ポピュラーソングに入ると思うのだが、ポピュラーというには余りにも歌曲に近い歌である。

その後、今までのカラオケ歴の中で、女性の歌ではダントツによく唄った。同じ歌手の「時代」も好きな歌である。

これら2曲に共通しているのは、「忘れ去られた者への哀惜」だが、単なる悲哀ではなく力強く謳い上げる励ましだろう。内容は哀切だが、聴くものを励まし、前を向かせてくれる名曲だ。

再び「地上の星」が身近に聞こえて来る時がほぼ20年ぶりにやって来た。番組の内容とともにこの20年という時代と自分を振り返るよすがにもなろう。

ところでこれも昨日だったか、上に挙げた自分が唄える女歌「舟唄」「恋人よ」のうち、五輪真弓の「恋人よ」は今ベトナム人の間で大人気だそうだ。

ベトナムの人気女性歌手がカバーしているのだが、テレビに映されたのを聴いてみると「恋人よ」の日本語の歌詞をそのまま歌うのではなく、その人気歌手がベトナム語に翻意した内容で唄っているのだった。

ベトナム語に翻意したからと言って元歌の歌詞の内容には忠実であるらしい。それがベトナムの若者たちにも受けているようだ。

外国語の歌の場合、こういう翻意はよくあることで、内容に忠実であれば許されるだろう。もっとも元歌の作り手がその翻意の内容を聴いて「怪しからん、私の言いたいことと違う」とクレームを付ければ、話は別だが、著作権上、五輪真弓のOKは取ってあるに違いない。

古い話だが、日本の唱歌として学校で唄われて来た「旅愁」(明治40年。日本語の歌詞は犬童球渓。元歌の詞曲はJ.P.オードウェイ)の歌詞はオードウェイの原詞とは似ても似つかない意訳(というより新作)である。

明治政府の文部省がこの犬童球渓の詞を採用したから、今日まで歌い継がれて来たわけだが、当時の文部省がアメリカ人の原作者オードウェイに対してどう話を付けたのだろうか。

当時はまだアメリカでも歌に関しては著作権の規定は緩かったのかあるいは無かったのか、若干気になるところだ。