ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝釣瓶落し〟とは?

2020年11月06日 | 俳句

 昨日も今日も晴れ渡った真っ青な空…ウッドデッキにあるベンチに座っていると、気持ちがよくてウトウト…。こうして惜しみなく降り注ぐ光に包まれているとうっとりとしてきて、まるで羽でも生えてきそう。〝羽化〟するってこんな気分かしら??? ということは、今私は〝蛹〟なの? アハハッ…

 洗濯物が気持よく乾いて気分爽快!でも、私は膝が悪いので、洗濯物を坐って畳めないんです。それで、立ったままウッドデッキのテーブルの上で畳むんですが、それは私にとってのささやかな至福の時。

 でも、最近は午後の3時を過ぎると急に気温が下がってきて、雲でも出てきて日が翳ったりすると途端に背筋がゾクゾクッとしてくる。やがて太陽がストンと…まさに秋の〝釣瓶(つるべ)落し〟ですね。

 この〝釣瓶落し〟は、秋の季語なんですよ。昔からよく「秋の日は釣瓶落し」と言われていましたが、それは秋の落日を、まっすぐに井戸に落ちていく釣瓶に喩えたもの。この喩えから、「釣瓶落し」だけでも秋の季題として充分通じるだろうとした山本健吉の説に、俳人が賛同して、新しく定着した季語なのです。だから、例句も昔の人のはなし!

  釣瓶落しといへど光芒しづかなり  水原秋櫻子

 新しいもの好きな秋櫻子先生のこと、「ナイター」という季語を初めて使ったのも秋櫻子先生だといいますから、きっとこの新しい季題にもすぐ飛びついたのではと思いました。そうしたら…やっぱりその通りでした。『秋櫻子俳句365日』(水原春郎編著・梅里書房)を調べてみましたら、10月29日の頁に載っていましたので、ご紹介しますね。

釣瓶を井戸に落とすように、まっすぐに早く落ちること、転じて、秋の日の暮れやすいこと、これが、釣瓶落としの意味であるが、この言葉を「季語として成り立つだろう」と、山本健吉が季語集に加えた。しかし、例句が載っていない。

 そこで、「よし!」と挑戦して詠んだ。

  稲架のひま釣瓶落しの日ぞとどまる

  釣瓶落しひとたび波にふれにけり

 以上の三句(※上掲の句を含む)を詠んだが、「といへど」が効果的なこの句がよい。

 昔から自然現象が、新しい季語として定着したのは稀で、山本健吉ならではの仕事である。新しい季語の中には、夏の「ナイター」もあるが、これは野球好きの秋櫻子には、使わずにはいられない言葉で、後には、「日本シリーズ」まで詠みこんでいる。(昭和46年作・句集『餘生』所収)

 さて、昨日は定期的な通院での病院の帰り、今日はリハビリでの病院の帰り、どちらも空一面の〝鰯雲〟でした。お昼過ぎまでは全くの青空でしたのに…。

 この〝鰯雲〟が出ると翌日は天気が崩れるというのですが、今日はまったくそんな気配はありませんでしたよ。明日も天気予報では一日中曇りのようでしたが…。

 この〝鰯雲〟にも秋櫻子先生が詠まれた有名な句があります。ではそれについて書こうかなと思って調べてみますと、過去のブログに、タイトル〝鰯雲〟で既に書いていましたので、それを下に再掲します。よろしかったらどうぞ。

 写真は、昨日の鰯雲(上2枚)と今日の鰯雲(下2枚)。時間的にはどちらも午後4時過ぎの空なんですが…。

〝鰯雲〟(2017年10月5日)

…(中略)…家に帰ると、鰯雲が広がっていました。もちろん鰯雲は秋の季語です。でもこの雲は前線付近に発生しやすく、降雨の前兆とされています。やっぱり当っていますね。

   鰯雲こころの波の末消えて

 昭和20年発行の、水原秋櫻子先生の句集『残鐘』の巻頭句です。この句集は先生にとって一つの節目になる大切なもので、発行元の竹頭社は石田波郷が創始した出版社で、紙質の選定、割付、校正等すべて波郷が手がけたんですって。随筆『残鐘雑記』には、本が出来るまでの経過と、出来上がりを手放しで喜ぶ姿が描かれています。秋櫻子先生はこの句を詠んだときの心境を次のように述べられています。

 「この句は、八王子の家から浅川の堤をぐるりとまわる散歩道で詠んだ。堤に立って、空を見上げると、高尾山から陣馬山にかけて、鰯雲が広がっていた。鱗のちらばりが次第に大きくなり、薄れゆき、やがて雲ひとつない青空に移っていく、そんな空を何日か眺めているうちに、人の離合集散で胸を波立たせることはないという心境に至った。」

 「叙法に気をつけて、柔らかく、平らかに詠んだ。」とも。(『自選自解』) 

 

コメント (4)
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