ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝十年一昔〟とは言うけれど?

2021年03月11日 | 日記

 今日は11日、あの〝東日本大震災〟のあった日から10年目です。

 昔から〝十年一昔(じゅうねんひとむかし)〟といい、10年を一区切りと見て、その間には大きな変化のあるものだと。しかし、また〝十年一日(じゅうねんいちじつ)〟ともいい、長い年月の間少しも変わらず同じ状態であることをいうんです。果たして被災された方々にとっては、どちらなのでしょうか。そう、〝もう10年目〟ですか?私はきっと〝まだ10年目〟なんだと思いますが。

 私に限らず日本中の…いや世界中の誰もが、あの日の震災にはショックを受けたでしょう。特にあの衝撃的な映像をLIVEで時々刻々と見つめていた人たちは…。

 私と主人は義母の家に行っていたのですが、京都の義弟から、〝大変なことになってる…すぐにテレビを付けて見て!〟と電話が掛かってきて…それからはもう息が出来ないくらいビックリして、みんな何も言えずにただテレビを食い入るように見ていました。

 と、これを書いて主人に話すと、〝あの時は、職場にいたぞ。するとお前からテレビ見て!と電話が掛かり、それで見たんだよ…〟と。まあ、人の記憶って直接に関わらなければこんなにいい加減なものなんですよね。ホントに申し訳ありません。トホホッ…

 でも、こんなことはもう二度とない…と思いたいです!が、こればっかりは分かりませんよね。今回コロナのようなことが起ったのですから、これからは何が起っても不思議じゃない。しかし、私はあの映像だけは死ぬまで忘れないでしょう。

 父や兄・姉は何も知りませんので、母があの世へ行ってきっと話して聞かせたはず。でも今回のコロナのことは誰も知りませんので、今度は私が行った時に話して聞かせなくっちゃ…ね。(笑)

 昨日のメールに、〝Yahoo!ネット募金〟の募金プロジェクト情報が入っていました。いつも気持ちだけなんですが、早速募金に参加させていただきました。

 今年は、「桜ライン311」と「鎮守の森プロジェクト」へ。

 「桜ライン311」のことは、今朝のニュースでも取り上げられていましたが、ボランティアを募り、今年で48回目になる植樹を昨日終えられたんですって。これは被災された陸前高田市内の有志の方々が集まって立ち上げられたプロジェクトなんです。その思いを次のように…

あの日、ここまで津波が来たということを、未来の人たちに伝え残すために。
また大きな津波が来た時は、桜並木よりも高いところに逃げてもらうために。
もう二度と、私たちと同じような悔しい気持ちを繰り返さないために。

 また、次のようにも…

東日本大震災の前にも何度も津波は発生しています。その教訓を伝える石碑が、陸前高田だけでなく東北沿岸に300カ所以上あります。しかしその存在は広く知られていませんでした。教訓が活かされていれば、助かった命があったかもしれません。

もっと多くの人が覚えていたいもので語り継ぐことはできないだろうか? そこから誰からも愛される桜並木(桜ライン)を作ることに決めました。陸前高田市内の津波到達地点は約170kmです。10mごとに1本、合計17,000本を植えることになります。

震災を知らない世代が、どうしてこんなに桜がたくさんあるの? と、不思議に思うでしょう。それが、防災を考えるきっかけになってくれるはずです。

その桜はあなたが支援してくれた桜です。

 私の寄付などほんとに微々たるものですが、でも皆様の善意が集まれば、〝塵と積れば山となる〟ですもの。是非協力してあげて下さい。昨年はコロナで中止になったとか。でも2020年12月には、1,789本の植樹が完了して、昨日ので1800本になったと。でも、まだ1割ちょっとですから先は遠い! しかし、もし機会があればその〝桜ライン〟を見に行きたいなと思います。完成には絶対無理なんですから。

 もう一つの「鎮守の森のプロジェクト」とは、災害からいのちを守る森づくりで、東日本大震災を契機に設立されました。

 大津波後の被害調査で、長い間その地域を支えてきた「鎮守の森」の常緑広葉樹が大津波にも倒れずに残り、津波の威力を和らげ、背後のものを守っていたことがわかったんです。そこで、次のようなメッセージを…

この教訓を活かした災害からいのちを守る森づくりは、未曽有の大震災を経験した私たちが、次世代を担う子どもたちを守るために、残し伝えなくてはならない大切な知恵だと考えています。…(中略)…

東日本大震災から10年が経過した現在は、東北の沿岸部だけでなく、南海トラフ地震や東南海地震などに備えた防災の森づくりが始まっています。
多くの皆さまに、あの日のことを思い返していただくことが、次世代を守る森づくりの発展的展開につながるものと思っております。

 どちらのプロジェクトも永い時間を掛けないと、今すぐにどうにかなるものではないでしょう。が、未来の子どもたちのために出来るだけ協力したいと思います。もし、この趣旨に賛同できる方がいらっしゃれば、是非一緒に協力しませんか?よろしくお願いします。

 しかし、昨年から引き続き今年もまだコロナ禍が収っていませんので、復興を願ったり鎮魂の祈りを捧げるなどのイベントも思うようにならないようす。被災地の復興事業も資金ぐりなどの関係でまだまだのところもあるとか。更に福島の原発被害を受けられた地方の方々への解決も…。10年経っても前途多難なことだらけです。が、頑張りましょう!

 私たちは、この東日本大震災の教訓を生かして、図らずも犠牲になられたたくさんの方々の代わりに、かけがえのない命を守り、これからの明るい未来へ繋いでいかなければなりません。そのためにはせめて自分で出来ることを…みなさん、やるしかないっちゃ!

 ところが、…ですね。〝東日本大震災から10年、被災地への関心は?〟というアンケートの答えを見てビックリ!です。

 投票数:51,215票の内、大いにか、ある程度関心があるは86.2%でしたが、ほとんどか、あまり関心がないが13.8%もいたんですよ。ヘエッ…です!

 今の日本の状況からみれば、地震に限らず何であっても、〝明日は我が身〟というふうに考えられませんかね。せめて自分のことしか眼に入らないような人間にだけはなりたくないものだと…!

 写真は、ムスカリ。ユリ科ムスカリ属の多年草。約60種が地中海沿岸から西アジアに分布する観賞用の濃青色の花。

 花言葉は、ヨーロッパでは青い花は悲しみの象徴とされることが多くて、ムスカリも「失望」「失意」というネガティブな花言葉を持っています。しかし、その失意から立ち直るという意味をこめて「夢にかける思い」「明るい未来」という花言葉もつけられたと言われています。他に「通じ合う心」や「寛大な愛」なども。

 この東日本大震災の日に、とてもふさわしい花だと思いませんか。我が家にもやっと咲きました。

 次の写真は、先日(3月9日)の、これもう6時ですよ…夕空の雲が何ともいえなくて…。明日への〝明るい未来〟を感じられません?エエッ、感じないって…! それは失礼しました。


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4 コメント

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こんにちは (ミルク)
2021-03-11 17:59:12
きょうは、テレビで特集で見てましたが
町をさらっていく津波の様子に、息苦しさを覚えてます。

グタグタ言わず、しっかり生きなくてはと・・・
たいへんな災害。忘れられない記憶です。

ムスカリの色は、深い海の色。うちのは まだ何にも見えません。
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Unknown (ちわき)
2021-03-11 21:59:13
ミルクさん、こんばんは!
私はあまりあの時の映像を見ないんですよ。
ドラマとかで戦争中や災害の悲惨な場面を見ても、それはどこか現実感がなくて平気なんですが…
でも、この東北の映像だけはあの時のショックが蘇ってきて、平気では見ていられないんです。
こういうのも一種のトラウマと言うんでしょうか?
ムスカリ…この花は突然出てきますね。この色は本当に鮮やかで…やっぱり地中海の色かな。
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10年がたった・・・・。 (縄文人)
2021-03-12 11:20:36
昨日NHK P,7時のニュース
 家を空けて離れて、その間に大津波来る。
 家も流された、奥さんも流され、未だもって消息不明・・・・・。
    発見に至らず!自宅跡に行き妻の名を毎日呼び続けた。
     そんな画像が放映された。
   ・震災忌在りし家跡妻名呼び  (縄)

今朝新聞を広げ陛下のお言葉を読み通した。
    ・お言葉の「皆に寄り添う」震災忌 (縄)

町をさらって呑み込んでいく津波の様子に、最後まで見ていられない。
震災地に行って来ると人間の価値観が大幅に変わる・・・・そんな友からのメッセージでした。
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Unknown (ちわき)
2021-03-12 21:36:22
縄文人さん、こんばんは!
コメント有り難うございます。
本当に起ったことだとは今でも信じられない映像でした。
きっと被災された方々には皆それぞれにドラマがあったでしょうね。
誰もがあそこまでの津波が来るとは思わなかったのですから。経験が無かったから…いやあったとしてもまさか…ということだったんですね。
一昨年被災地の閖上へ行ってお話を伺い、その様子を見学してきましたからよく分ります。
そこに建てられた慰霊碑にもお二人の歌が刻まれていましたね。
陛下の〈寄り添う〉という言葉が温かいですね。
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