先日の第3土曜日、令和5年度の〝きらら俳句教室〟第1回目がありました。今年で4年目、しかし辞められる方がいて、新しい方も入会されずに9人でのスタートです。でもレンジャーのAさんが加わりますので、10人…ちょうどいい人数かも。
もう全くの初めてという人はいませんので、今回は最初に季語の「連想力」について話しました。この日はちょうど雨が降っていましたから…例えば、「春の雨」と「春雨」のイメージの違いや「菜種梅雨」「花の雨」「木の芽雨」などの背景の違いなどいろいろと.…
俳句が17音の最短詩型であるという制約の中では、日本語の連想力をいかに生かすかということが重要だということを説明しました。みんな頷いていましたが、解ってくれたかしら。でも、口で言うほど容易いものではありませんので、私も日夜それで四苦八苦してるんですけどね。(笑)
さて、時間になりましたので傘を差しての吟行です。でもそれ程の雨ではありませんでしたので…中にはあの月形半平太の〝春雨じゃ濡れて行こう〟の粋人気取り(?)の方もいて…。それで〈男一人は濡れて行きをり春の雨〉などという句も出たりして…大笑い。
3月に野焼した蘆原が今月は完全に若葉になって、枯れたところとのコントラストが美しい。今日は小雨に濡れて一面靄がかかったようなのもまた風情があって良かったですよ。
早速こういう蘆原をどういえばいいのかと質問が出ましたね。同じ春でも野焼の後は〝末黒野(すぐろの)〟といえば初春。芽が出たら〝蘆の芽〟、それが角のように尖っているから〝蘆の角(つの)〟や〝蘆牙(あしかび)〟といって仲春。更にその芽がどんどん伸びて若葉になるので〝蘆若葉〟、これは晩春。ちなみに〝青蘆〟や〝蘆茂る〟といえば夏だし、〝蘆の花〟や〝蘆の穂絮(ほわた)〟といえば秋なんですよ。冬は〝枯蘆〟と…、全ての季節で詠むことが出来る都合のいい句材なんです。蘆原の風景というものも日本人好みで、琵琶湖などではそれに手漕ぎ舟などを取合わせたりと…ほんとに句材がなくて困ったときには重宝します。だからこのきらら浜の蘆原を散策して一年中詠んでも飽きないんですよ。有り難いこと!
さて、ここでちょっと添削教室を。今回の最高点句は〈春茱萸(ぐみ)の舌になつかし野辺の道〉で、これは全員が採って満票でした。
皆さんホントに上手くなったものです。初心者の句としてはこれで充分だと思います…が、やはり私として〈なつかし〉を削りたい!確か去年の秋にもここで茱萸を堪能していますので、この春茱萸もみんなしっかり食べました。秋茱萸よりもやや大きくて色もキレイ!〝これ、甘いよ!〟〝こっちのも甘いよ〟と、みんなで入れ替わり立ち替わりして、食べては種を…と、それを思い出して〈春茱萸の種飛ばし合ひ野辺の道〉と添削しました。そうすれば、誰もが茱萸を食べて童心に戻っている様子が見えてくるでしょう。要するに〈種飛ばし合ひ〉で、何人かで食べていること…更には昔よく採って食べていた田舎の道を思い出し…〈なつかし〉と言わなくてもみんな懐旧の情に浸れるというわけなんです。これが俳句の〝言わずに語る〟という連想力なんですね。
写真はどれもこれもボケていてスミマセン!決して雨のせいにはしませんので…
春茱萸の傍にはもう秋茱萸の花が一杯咲いていましたよ。三つ葉ツツジもキレイに…
雨も傘を差さなくてもいいくらいになって、教室に戻って句会。12時過ぎに第1回目も無事に終りました。私は急いで家に戻って猫に餌を…そう、自分にもやって(笑)、午後の句会へ。また、また相変わらずの忙しい1年が始まりました。
この時にもう一つ面白い話があったのですが、長くなりましたので次に…では、また。
ああ、やっぱり〝春茱萸〟は知りませんでしたか?
これには本州中部以西に自生すると書いてありましたが、本当だったんですね。それなら知らないのが当り前ですよ。
ちょうど苗代どきに紅く熟れますので、〝苗代茱萸〟とも言うんですよ。
秋茱萸は食べたことありますか?
味は似ていますが、秋のは小ぶりで色も白っぽく渋みが強いですが、春は写真の通り…大きくて甘く渋みがないのでいくらでも食べられますよ。
ぐみといえば、秋とばかり。思い込みはいけませんねぇ。
原作でも、十分素敵な句だと思いましたが
なるほどなぁ・・・深いですね~