昨年12月後半は仕事が多忙を極め、カメラを持ち出しての撮影ができませんでした。天気も悪かったような。29日には仕事納めの後、家族を連れて神戸へ一泊旅行。
神戸市立博物館でのマウリッツハイス美術館展を鑑賞。フェルメールの「真珠の首飾りの少女」にお会いしてきました。本物は薄暗い室内でやわらかなスポットライトに照らされて濡れた唇が白く光って、何かを言いたそうな、ガラスに囲まれて一人で寂しそうな。そんな感じでした。
新年恒例の日の出ですが、日本海側は天候に恵まれず、撮影したストックの中から、昨年撮影の2点を披露します。
まずは例によってキューピー山から出てくる朝日です。
Nikon Ai AF Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D
ViewNX2で画像を出力すると、時としてピンが甘くなります。原因は不明。
奥出雲後より流れきた斐伊川の水が有機物の形をした砂洲とともに宍道湖に混ざり合います。この境界あたりで汽水湖の恵みが始まる気がします。
朝日に輝く大蛇(おろち)の砂洲です。
Nikon Ai AF Zoom-Nikkor ED 18-35mm F3.5-4.5D (IF)
昨年は古事記編纂1300年でした。八岐大蛇退治は洪水で度々氾濫した斐伊川の治水事業であるとも考えられ、朝日の染まる砂洲は大蛇の鱗にも見えます。暴れ川は平穏になり宍道湖・出雲平野に恵みをもたらしています。
スサノオノミコトによって退治された大蛇の尻尾から出てきた剣は草薙剣だそうで、奥出雲でのたたら製鉄で玉鋼を生産していた事実を表現していると昔話に聞きました。斐伊川は奥出雲でいくつのもの支流を集めて一つの大きな流れとなります。中国山地から出雲平野に出ると、再び幾つかの支流に枝分かれしていましたが、治水事業によって今は1本の大きな川になり宍道湖に注ぎます。
飛行機で出雲平野を上空から眺めると昔の斐伊川の形が農村集落の並び方で見て取れます。
たたら製鉄で、砂鉄を生産するために奥出雲の山々は切り崩され、その砂が斐伊川下流に運ばれ、宍道湖を自然に、あるいは堤防を開削して意図的に湖面を埋め立てました。砂が流れてくる斐伊川は天井川であり、度々氾濫して洪水を起こしましたが、また、これが出雲平野の形成、江戸時代には農地の拡大、食料(米)生産の基盤になりました。
アニメ映画ではたたら製鉄が近代工業の自然破壊、公害に重ねあわせて描かれるようですが、実際は村下(むらげ)によって木炭生産のための森林伐採、砂鉄採取が計画的に行なわれ、荒廃したハゲ山はなかったそうです。下流でも人々の知恵は暴れ川を巧みに操り、上流から流れてくる肥沃な土砂を大地の恵みに変えてきました。
人の力は自然に抗することができませんが、利用することはできます。謙虚に利用する知恵が大切です。
今年こそ平穏なる一年でありますように。