川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

川越芋太郎の世界へようこそ!
一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

理念や存在意義を見直す時期が来た!

2012-09-30 15:06:43 | 「美」発見
コンパスTVの番組で論じられた「日本の家電」
第二段として、愛読しているゲーテ誌上の各界
のリーダーの言動を抜粋・編集してお届けします。
詳細は雑誌を必ずご覧下さい。(2)

<Tod's ディエゴ会長>

以前姉妹グログで特集したトッズ
その時の記事から抜粋

創業の理念や存在意義
ルーツを熟知し、受け継ぎ、時代と呼吸する。
言葉を変えれば、
DNAを守り、未来へ伝える。
その道のりでモダニティを加味する。

(芋太郎)
伝統と文化を重んじる
それは、受け継がれた大切なものを暖め、
次の世代へまた受け継ぐ。
この重要性を意識したとき、新たな個性が人も
企業にも生まれる。
日本の企業は相して成長してきた。
だが、アベリカ主導のグローバルの名に踊らさ
れた結果が、今の現状ではないか。
今一度、日本の伝統や文化、自然へ戻ることが
求められるのでは。


同様なことを坂本龍一も語る

愛用品は道具以上のもの。
本人の思想を雄弁に語る。
日本の文化を感じるものを大切にしたい。
音楽を作るのも遊びと同じ。
創作こそ遊びだ。

平成24年9月30日 川越芋太郎

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上手ほど名も優美なり

2012-09-24 22:16:08 | 「美」発見
<上手ほど名も優美なり角力取>

力士のしこな、
最初は良いとは思えなくとも、
強くなると自然に定着する。

名より実を、努力と稽古が
成果だけでなく名をも高める

とでも言える。


<力士こそ紳士たれ>

力士は相撲取りではいけない。
力の紳士を目指さなければならない。

力が物をいう世界だからこそ、
心を磨こう。
力をつけたから物を言うでは。
最近の政治の世界でも言えまいか。


本日の新聞コラムから抜粋
日馬富士横綱昇進を記して掲載したものであろうか。

平成24年9月24日 川越芋太郎

個人の美:現代の美とは?

2012-09-17 21:00:59 | 「美」発見
最後に個人の美とは?

個人は言葉により表現されるものと
同じく、身体的に表明されるものと
同一視された。

現在では、「自分をどう見せるか」
という課題が重要とみなされる。

個人、すなわち、自己の存在のあり
方。
主体を完成させる作業の重要な作業
に美の演出がある。

どのような外見を演出するかは、
自分で決められる。
表現する個人へ

アイデンティティの中核に「美」が
居座った。

神の美という固定化されたものから
ついに、活動的な変幻自由な美へと
移り変わったようだ。

万人の、万人よる、万人のための美


平成24年9月15日 川越芋太郎


歴史から見た女性像・・・覚えてくと得策ですよ?

2012-09-17 09:00:28 | 「美」発見
歴史からみた女性像?

女性の持つ不安を喚起する力
暗い官能的な源泉
過度に細工された美しさ

男を破滅に引きずり込む。
この種の考え方が歴史的にも、
地理的にも、
現在になっても、ある意味で
引き継がれている。

監督者である男性の手から
すり抜けて逃げるかもしれな
い。
この主の感情が。

実は、これは女性の劣位性を
認める世界観でもあるのだが

女性の美、美しい女、
人としての主体であるよりも
、物体としての魅力、
それは、言葉を換えれば、
美しい女を貪り、快楽を得、
同時に不安を抱える男性像が
見える。


「彼女の肉体に付きまとわれ
たら、離れられなくなる。」
性的魅力という地下の力。

露出されだした肉体のライン

20世紀初頭の女性美の複雑性
が見えてくる。


川越芋太郎


19世紀の男性美としてのダンディズム

2012-09-16 20:56:31 | 「美」発見
19世紀の男性像

ダンディ、男性の美しさに変化

女性が力強さを表すとき、まさにその時
男性は優しさへの方向性が生まれる。

とはいえ、この頃は、男性=優しさとも
いえない。
次の言葉が男性の魅力を方言している。

「優しく優雅であるにも関わらず、棍棒
の荒業を習得している。」
優しさと力強さの同居

従来の粗暴や荒ぶれた男性像から、
鍛え上げた肉体(努力)と繊細な服装が
結合された。

今流のメタボなどは、論外の対象である。

そして、「ダンディ」の誕生

エレガントへの自己投資
平等概念を生み出したものの、いまだ現
実とならぬ平等
その中で、唯一、外見的イメージのみ、
自分を演出する手法として、現実化した。

誰の力も借りずに、自分が自分でいられ
る唯一の領域とも言える。
自らの美を養う

この意識の根底は今も面々と行き続けて
いると思われる。




目は無限へと開かれた窓

2012-09-16 15:19:36 | 「美」発見
目は無限へと開かれた窓

目が沈黙する意識との出会いを示唆
する。

上を見上げるあなたの目が、天上を
空にする。

挫折を知ることで、
物思いに沈む目
憂愁をたたえる目
夢見る視線
思索のひらめきを感じさせる目

どれもこれも、思考によって、
さらに気高くなった。

16世紀の神の存在を表現する美
18世紀の感受性を高めた美
そして、
19世紀の個人が自らを解放したとも
言える内面性を協調する美

そこには、従来の美に付加されて、
自らが望んでなる美がある。
そう、知性と知識でできた社会的な
美の誕生である。



敷島のやまと心を人問わば朝日ににほふ山桜花

2012-09-14 21:40:29 | 「美」発見
敷島のやまと心を人問はば
朝日ににほふ山桜花


この詩を知らない人は少ない。
どこかで耳にしている方は多い。
実は、本居宣長の代表作である。


有名であること=内容がよく
理解されているとは限らない。

知れ渡る原因が先の軍国主義を
連想させる為に、正確には、利
用されたが為に、先入観をもっ
て観られている。

朝日があたりほのかに桜が香る
山桜、黄金色と桜の調和する大
自然の姿を私は連想する。
そこには、軍国主義は微塵もな
い。

桜=散る、潔い散り方
をもってして、武士の心得を謳
うと解釈される。
さらに、それは、戦前のお国の
為に「散る」ことを潔しとする
考え方を賛美した。

だが、本居宣長の頃には、お国
のためなどという発想は微塵も
ない。
江戸時代は藩が主体であり、幕
府と藩の両輪体制。
百姓もそれなりの自由があった
とされる。
貧しい時代である故に、誤解は
多いが、世界の状況から比較す
れば、江戸時代のそれは、遥か
に優れた文化と社会基盤が存在
した。
下水道施設もその一例である。

さて、詩に戻れば、大自然を愛
し、自然と調和する心を大事と
したことは明白である。
このような詩を読めること、
それは優れた感性と知性が同居
していた。

同時に、日本の自然がそれ程に
美しいことを語る。

当時の西欧社会の汚い道路や
汚物まみれの社会基盤と比較し
たら、大自然を愛でる心がある
日本文化を優れたものと考える
は自然である。

それゆえに、維新後のパリ万博
で西欧の賞賛を得たのが日本の
芸術であったことは偶然ではな
い。

西欧の教養人からすれば、世界
で一番すぐれた文化と当時映っ
たはずです。
浮世絵、彫金しかり。
そのモチーフが語る日本社会。
ジャホネスク
印象派などと妙な訳名を与えた
が故に、彼等の本音が消えてし
まった。
一言で言えば、「驚異の日本」
であった。

さて、私たちもそろそろ、宣長
の本当の心を取り戻す頃合では
なかろうか。
大自然が少なくなり、乱開発が
なされた日本の国土、さらに、
化学汚染が日常的となり、原発
汚染まで重なり始めたといわれ
る。

今一度、自分達の生活から見直
し、何が必要で、何が不要かを
考える時期に来たと思う。

エネルギーが足らないから原発
ではあるまい。
エネルギー消費を減少させるこ
とが、限られた資源世界となっ
た地球の新たな生き方であるの
だから。
こういうと、白黒を得意とする
人々から批判される。
重要なことは「調和ある発展」
である。

爆発する人口と発展途上国の社
会発展はさらなる資源食料不足
をもたらす。
同時に、エネルギー不足ももた
らす。

存否は別にしても、世界闇政府
ならば、人口を10億に減少さ
せる方法を考えるのだろうが、
私たちは、共存を是としたい。

ならば、大自然と共存する社会
を目指したい。

その第一歩が、本居宣長の詩。

自然を愛でる精神の復活が大切
ではなかろうか。
イディオロギー重視の西洋観か
ら感性の日本観へ転換したい。


平成24年9月14日 川越芋太郎

体は生気を失い、衰弱・・・18世紀後半の西洋における美

2012-09-13 21:48:36 | 「美」発見
18世紀後半の西洋における美

ビュフォン曰く、
動物の外形は、脆弱さと家畜化により
退化する。
人間の外形も生活勇敢と怠惰によって
退化している。


我々の体は活気を失い、衰弱し、自然
から賜った美しい均整を失う。


さて、当時の厳しい西欧の社会状況が
原因でもある。
労働や不衛生がもたらす不健康は、
各種の病気を引き起こし、均整の取れ
た美から程遠い姿が目に浮かぶ。

小人、蟹股、せむし、・・・

など今では差別用語となる言葉が頻繁
に使われるぐらい、日常的に観られた
光景であったのだろう。

求められる美とは、どのような形であ
ったのであろうか。

平成24年9月13日 川越芋太郎

神から開放される美、個性化への道

2012-09-12 19:15:20 | 「美」発見
神から開放された美

神の美から感覚的な美へ
カミュは次のように宣言した。
「フォルムの美はこれ程までに肉欲と一体化されたことはかつてなかった。」

腕のまろやかさは世界を服従させるためにつくられ、
ほっそりとした胴は、きわめて繊細な欲望を告げ知らせ
小さな足はもっともお堅い男の欲望すらそそる。

美の基準は深いところから覆され、実用的で親しみやすいものとなった。

そして、主体は美しくなるための習慣を通して、以前よりはっきり自己主張する。
個人の好みに合わせておこなわれる美の探求へ


平成24年9月10日 川越芋太郎

背中で語る(背中と美)、子供は背中を見て育つ?

2012-09-09 09:00:00 | 「美」発見
背中を見て育つ
(背中と美とは相関関係?)


死語になりつつあるのかこの言葉
子供は親の背中を見て育つ
親は子供に背中で語る
こんなことはもはや絵空事か

さて、背中とは正面や表と対比し
て考えること。
人間背中を飾ることは難しい。
だが、目や表情、顔や胸などは、
現在装飾方に陥っていまいか。

目も顔も化粧の進化でかなり昔
とは趣がことなる。
胸周りも顔同様、整形から装飾品
で飾られて本人を大きく、時に
魅力的に引き立てる。
(自然に背き、化粧を拒否し、技
巧に疑義をはさむ:顔と胸に白粉
を塗りたくった娼婦を揶揄する。
:ヴェチェッリオ)

それだけではない。
眼力ならぬ口八丁という言葉もあ
るように、雄弁詭弁となり現代人
は、心の中さえも、人には見せず
装飾されているようだ。
本心を語る人物は少なくなり、
打算と懐疑が目線・表情・しぐさ
からあふれ出ている。

こうなると、子供は親の背中どこ
ろか前面の華美な装飾に目線が惑
わされるのは当然である。
人生経験(修羅場経験?)の少な
い子供にとり、親の本心を想像す
るのは、難しくなりつつある。

実は子供だけではない。
大人同士もに多様な状況である。

装飾ができない、その人の歴史を
そのまま表現する「背中」が今こ
そ重要視されるときではないだろ
うか。

背中で語る。
何故か、私には「高倉健」を連想
する。
彼が背中で語るというよりも、父
を知らぬ(早々に失くした身)私
には、父像に見える。
高倉健主演の映画が話題になって
いるようだ。

この映画、背中をテーマに見てみ
ても、面白いのかもしれない。
無言で語る背中が雄弁に語る人間
の心。

背中が絵になる年齢とはどのくら
いの人生経験を踏むと出来るので
あろうか。

少なくとも、しゃべりすぎの私に
は「非常に痛い」「苦手」な理想
形でもある。

これも無いものねだりであろうか


ところで、「美と背中」は相反す
るのであろうか

もし相反するのであれば、「美」
とは何んなのであろうか。

人の心を迷わせるもの。
それが美であろうか。

いやいや、美は神のしぐざである
とすれば、背中も美しくなくては
面白みが無い。

美しい背中とはなにか。
ご一緒に考えてみましょう。

そういえば、バラクーダに包まれ
た高倉健の後姿は絵になる。
絵というものが「美」であれば、
それは「美しい」とも言える。


平成24年9月8日 川越芋太郎

美は神に由来する?!・・・美しい魂の反映が美しい体?

2012-09-05 21:53:40 | 「美」発見
ミケランジェロ時代の美について

これを読んでから絵画を眺めると目線がまた変わる。


「美は神に由来し、善を中心とする。
悪しき魂が美しい体に宿ることは極めててであり、
外見の美は内面の美を表す忠実な印である。」

美しいものをじっと見つめることが天上に登る
ための唯一の方法である。

ミケランジェロのことば

現代の目戦からは意義があろうと思いますが、
これも時代性のなすことです。
寧ろ、その目線で作品を眺めると思わぬことが発見
できるというものですね。

平成24年9月3日 川越芋太郎

男の部屋には男の価値観が詰まっている!

2012-08-11 15:47:06 | 「美」発見
男の部屋はどうあるべきか

GO9月号企画を読んで


美意識を持って生きるおのれの、おのれだけの小宇宙であるべきだ。
こんな見出しで始まる。

「男の部屋」を男の部屋にする精神、つまり「価値観」がいる。
つまりは男の生き方そのものだ。

まず、日本の男で自分の部屋をもつ人がどれだけいるのだろうか。
贅沢な人かもしれない。
だが、次の言葉を考えれば、自立したときから結婚生活の初めの段階で確保したい。

「男の部屋」の原型は結婚当初で決まるようだ。
一生保有しかい方も、すぐに取り掛かる方もいる。
これは比較論ではなく、嗜好の問題である。

グレン・オブライエン氏によれば
男は必ず自分の部屋を持つべきである。
たとえ本棚一つでも書斎こそ男が所有できる重要な空間なのである。

アンディ・スペードが男の部屋に欲しいのの
自分の専用のグラスだという。
他の方々は、つぎの事柄を挙げている。

自由が有るべきだ。
古いものが有るべきだ。
遊びの道具が有るべきだ。
アートが有るべきだ。

いずれも、正確である。
実は正解があるようでないようなもの。
なぜなら、人それぞれの生き方が詰まった部屋なのだから。

芋太郎に言及させていただければ、
少し贅沢かもしれない。
実家(我が家)に一部屋、まるっきりの男部屋。
そして、今の宅に一部屋(男部屋まで行かないが自分の部屋の体裁を確保している。
いずれも共通点は、「本」と「ウィスキー」です。
テーマは「自由な空間、安らぎの時間」

私の最高の贅沢は「好きなグラスで好きなウィスキーを飲みながら、
本を読む。」思考は世界を飛び、体は夢を飛ぶ。
そう、趣味の小物は「絵」と「刀」です。
「絵画」を最初の夏のボーナスで購入し、冬のボーナスで机と椅子を買いました。
いま、その机と椅子でワープロしてます。
この机と椅子が私の人生における最長の友である。両親や妻子よりも長い付き合いとなっている。

苦節30年が経過し、本人同様痛みが激しい。
特に「椅子」は買い替え時期である。
しかし、いまだ手放せない。
ここまで利用したら、すでに商品としての元はとっくに取っている。
男の部屋に相応しい「もの」
それは、古めかしい仲間である。
仲間は時に「物」であってもいい。
友であってもいい。
この椅子に座りと机に向かった時、自分自身になれる。


平成24年8月11日 川越芋太郎


そうそう、忘れていた。
オーディオです。
ジャズ好きの私ですが、なぜかオーディオはマランツ社製です。
出張が多い若い頃はボーズ社のクワイエットカンフォート(ヘッドフォンも重宝しました。・・・スチワーデスからサービスをパスされてこともありますが。)
いまは、通勤列車の身分ですから、B&O社A8を利用中。
いずれも大好きな小物ですね。
すでに、何十年が経過しています。
男の部屋には大切にされた小物が似合う。
てな。

千文字より一枚の絵(失われた色彩の意味するもの)

2012-06-24 15:21:34 | 「美」発見
失われる色

ゲルニカ
著者アランセール

ピカソを主人公とした本書
千の文字よりも一枚の絵が雄弁に語る。
ピカソと言えば色彩の豊かさで有名である。幼少の頃から故国スペインで育った。色彩の溢れる故国の色色彩こそが真骨頂であったとも言える。

そのピカソから突然色が消えた。ピカソが描いた「色彩の無い世界」は何を表現したかったのであろうか。
本書を読むことで感じ取ることができるのではなかろうか。

1937年4月抵抗するバスク人の街ゲルニカへの爆撃、この年からピカソの絵から色が消えた。
色を消すことで色に満ちた明るい世界を被った政治の酷さを表現しているのであろうか。
美術とは何か芸術とは何か今一度考えてみてみたい。

ゲルニカ: ─ピカソ、故国への愛
クリエーター情報なし
冨山房インターナショナル


平成24年6月24日 川越芋太郎