川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

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一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

辻井 喬にみる「新祖国論」

2010-04-29 17:03:15 | 知恵庫先生の講座
辻井 喬にみる「新祖国論」  出版社:集英社
副題:なぜいま、反ゴローバリスムなのか



辻井 喬といえば、私の世代には2つの顔を持つ人物であった。
1つが作家であり、1つがセゾングループ総帥として。
辻井氏がセゾンの経営から遠ざかり、著者活動に専念されてから
随分と時が経過した感じがする。


さて、学生運動華やかりし時代の申し子である著者としては、
現代の時勢を見るにつけ、感慨深いものがあろうと感じる。
さて、本書は短編の随想を集約したものであり、読者の琴線に
触れるように(記憶にのこるように)ポイントの重複記載を
行うとても珍しい形式です。


ある意味では、ブログ的ともいえる文章です。
実は、本書は、2006年から7年にかけた新聞の随想を
集大成したものである。
あれから、3年以上が経過し、その後、日本も世界も
大きな転記を迎えている。


この書物にはサブプライムも経済恐慌も中国のオリンピックも万博
も記載はないが、それだからこそ、時代のうねりを敏感に感じた
著者の先進性といえる危惧が満載されている。
ぜひ、一度、お読みいただきたい。
経済(時代性)・詩(感性)の両方を理解された著者ならではの
鋭いそれでいて冷徹な目線が感じられよう。


今回は内容要約しません。
あまりにも多岐にわたると同時に、皆様に味わっていただきたいから。
無断ではありますが、本書から「あとがきにかえて」という詩を
紹介します。

===============================
辻井 喬 氏の祖国を憂いながら、詠む心境が感じられら幸いです。


三日月は服従の夜に懸る


征服者は走る
島の大通りを 海へ向かう道を
かかげる旗には褪せた金色の太陽が昇り
三日月は服従の夜に懸る(かかる)
彼は吼え 彼は彼方の空を指さす
私は彼を批判することができるが
倒す方法を知らない


征服者は語る
これは真実だ 国を救う道だと
しかし理由についても内容についても語らない
私は彼の嘘を見抜くが
新しい意見を出すことができない


征服者はいつも勲章をぶら下げている
部下や取り巻きに与えるためではない
これから尻尾を振らせるために
ほかの国は砂漠だ血で地を洗うならず者の国だ
ここは平和で緑したたるまほろばの国だ
彼は勲章を相手の首に懸けながら
優し気に そっと秘密を教えるように囁く


征服者のまわりで木々は季節を失って葉を落とす
私は寒い薔薇色をはじめて見た
その中にいるとなぜか目眩がして
矢印に従って行進したくなる
一糸乱れず脚を揃えて直線上に


征服者の指示はとても簡単だ
信じるか信じないかだけの問題なのだから
毎日を大切に身近の平和を願うのなら従え
支配の正しさを説明してくれる学者よ
お前らはいてもいなくてもいい道化だが
まあパレードには道化も詩人も必要だろう
そういわれた人たちが喜んで
パーティを開き栄誉と手を組んでワルツを踊る


征服者の夜がやってくる
ある者は無知から ある者は思想嫌いから
そしてある者は忙しすぎたために夜を受入れ
流れをせき止めようとしなかったのだから
ほんとうは誰かを責めることが出来ない
我慢してそう思っているうちに
夕暮れはどんどん夜に入っていき
いつか恋の唄は遠くなってしまった
正義の合唱が湧上がる 愛の二重奏に替わって
遠い過去からの 地崩れの音のような合唱が


時代が悪い用へ動いている危機感を擁く著者
戦争や非民主主義や格差社会拡大などの悪い方へ
国全体を強制と嘘、偽りの社会にする方向へ
年老いた身にできることは何か
著者の思いが感じられる


最後ですが、辻井 喬さん、無断で掲載をいたしましたことを
深くお詫び申し上げます。
本文を借りて、ご承認をお願います。
これも、国を思い、日本の人を思う気持ち故の愚考と
お許しください。


ゲゲゲの女房
武良布枝
実業之日本社

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美の巨人たち:葛飾北斎  「月見る虎図

2010-04-25 17:32:34 | 美の番組紹介
美の巨人たち:葛飾北斎  「月見る虎図」


本日の葛飾北斎は違うぞ。
違うって、なにがかい。
天才北斎の賛美の番組ではないから。


実は、北斎といえば、「富嶽三十六景」に代表される浮世絵師。
ステレオタイプの現代人はここまでしか知らない。
その先の北斎をご紹介いただける番組でした。


まず、結論からご紹介。
北斎は、約90歳まで長生きをし、筆をとっていた。
命の続く限り生きたい。
もって絵が書きたい。


あの富嶽三十六景は北斎が75歳の時の作品であるという。
ではその後の北斎の描いた晩年の作品は?
意外と知られていなかった。
本日の作品「月見る虎図」は、実は北斎85歳の作品である。


北斎は、晩年の称号として、「○十○老卍」という雅号を記載した。
○に年齢が入る。


さて、この月見る虎図をよくよく見ていただきたいと番組では語る。
北斎の時代、恐らく、彼は虎を見たことがないはず。
書物や語りで得た知識で虎を描いた。
しかも、単なる虎ではない。
月を見上げる虎。
その表情はなんともいえない安らぎの顔。
獰猛さは微塵もない。


筆の見事さは、別の解説に委ねるとして、番組ではその精神性を
語る。
この虎ことが、北斎であるという。
北斎は妙見寺妙見菩薩を深く信仰していたという。
北極星と北斗七星を奉る宗教である。
北斎の「北」もここから来ている。


この「月見る虎図」は、月を見上げる北斎が、宇宙と交信し、
宇宙から見られている小さな自分を意識することで、
一生懸命生きることを意識している。
宇宙から生かされている自分を感じ、感謝している。
そこには、飄々と生きる姿がある。


こう締めくくると、哲人北斎を感じると思う。
しかし、実は北斎はもっと人間臭い側面があった。
興味のある方は、北斎の人生を紐解いてみるといいかもしれない。


なんだ、オレと同じじゃないかと思う人がいるはずです。
そう、多少絵画の才能がありましたが、
葛飾北斎は、実は私達と同じ人間的な魅力のある先達です。


物語絵 (北斎美術館)
永田 生慈,葛飾 北斎
集英社

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猫の額ほどの小さな公園で

2010-04-23 22:27:47 | 日記
猫の額ほどの小さな公園で


川越芋太郎のインチキポエムです。


老女が一人たたずむベンチ
誰もいない猫の額ほどの小さな公園
ベンチに腰掛け、汗をぬぐう老女
遊具だけが寂しく見守る


年老いた眼には本を読むには辛い
携帯電話で話す相手もいない
メールを見る様子もなし
ただひたすら汗をぬぐう
目の前の公園には誰一人いない


子供はいるのだろうか
嫁はいるのだろうか
友人はいるのだろうか


20年前の公園には子供や父母がいた
大声で遊びまわる子供たち
楽しそうに見守る老人たち
20年の歳月は老女に何をもたらしたのか


ただ、今は一人ベンチにたたずむ
遊具だけがある猫の額ほどの小さな公園
老女の動作がなぜか涙をぬぐうように感じる
誰もいない公園
遊ぶもののいない猫の額ほどの小さな公園


この公園の20年後を思う
世界はどんな輝きをはなっているのだろうか


ニッキー~フォー・アナザー・デイ

ユニバーサルクラシック

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親父バンドという共感の場

2010-04-22 21:22:25 | 短編集バー物語
「親父バンドという共感の場」

副題:今求められているのは感性の共同体かもしれない?

最近は懐かしい人々がバンドの再結成を図っている。
加山雄三さんの“ザ・ロンリーハーツ・親父バンド」もその一つである。
川越芋太郎世代よりも少々上の年齢ではあるが、共感できる社会的背景を
持っている。


実は、親父だけでなく、若者もバンドが流行しているらしい。
一体感がたまらないと我が家の娘も言う。
まさに共感の場であるといえまいか。


人々はなぜ、今共感の場を求めるのか。
感性共同体といえば、わかりやすいかもしれない。


これは、戦後の歴史と関係が有るのでないか。
村落共同体が崩壊し、
家族共同体が核家族にて崩壊し、
職場共同体が昨今のグロバリゼーションで崩壊し、
人々が迷う姿が目に映る。


そこで、こうじゃ老若男女みな、感性の共同体を求めだしたのでは
ないだろうか。


情報化社会に助けられて、ブログもツイーターも、どうもこの感性と
関わりがあるような気がしてならない。
しかし、だれもその未来を知らない。
どのような社会が待ち受けるのか。
暮らし易い世界であることを希望したい。


僕らのワンダフルデイズ 通常版 [DVD]

キングレコード

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川越芋太郎メルマガ更新情報「食卓と家族の団らん」

2010-04-19 11:46:26 | 知恵庫先生の講座
川越芋太郎のマグマグを更新しました。
内容は、「食卓と家族の団らん」です。
無料ですので、ぜひ、お読みください。
下記からどうぞ。


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瀬尾 まいこ
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美の壺:大和路の仏さま を視聴して!

2010-04-18 12:29:12 | 美の番組紹介
「美の壺:大和路の仏さま」 NHK


今回の美の壺は、奈良平城京遷都1300年の節目として、
奈良の大和路を取り上げています。
特に、仏教美術に視点を置くものです。
先の大仏建立とテーマが関連付けられています。


時代別に仏さまの特徴を解説してくれます。
これは、非常に参考になりますよ。
これから古寺巡礼をされる折は、ご参考に。
では、壺を3つほど、番組後世に従い披露します。


<美の壺1:「気」が生み出す神秘の姿>


古代中国では世界は「気」によって作られているとする。
仏全体から立ち上がる「気」をどう描き出すか。
それは、仏師たちの課題でもあった。
光背や服・髪の毛にその工夫を見る。


例えば、本来重量から下に垂れる服や髪が「気」により、
立ち登る姿を形作る事で、仏像全体の気を表現しているという。
同時に、「気」を描き出す事は、目前の絵や像の細部への拘り以上に
全体像が生み出す神秘性を重視しているという。
目元に浮かぶ微笑は超越的な存在を表現したともいえる。
法隆寺の仏像も興福寺や中宮寺の仏像もなだらかでいて、
それでいて存在感がある。


<美の壺2:全身で表現する喜怒哀楽>


奈良時代になると、12神将に代表されるように、個性的なポーズを
とる仏さまが現れる。
仏像にも、開放感や躍動感が生まれている。
それは、仏像を作り出す技術の進歩も見逃せない。


心木と呼ばれる人間で言えば骨格となる心棒のつくりに
技術を見ることが出来る。
躍動感に耐えられるように、動きを取り入れる工夫が随所に
仕組まれている。
同時に、砂を込めた土を利用し、細工師の手感覚を直接表現できる
工夫をしている。


その結果、身近な存在おしての仏像が誕生した。
写実性に富んだ出来栄えである。
新薬師寺の仏像が代表例であろう。


<美の壺3:玉眼が生む仏さまのまなざし>


鎌倉時代になると仏像の眼に眼力が込められる。
玉眼という水晶を利用した技法が生まれ、目が輝いている仏像が
主流となる。
こんな言葉をご存知かと思います。
開眼:仏を造って魂入れず
この魂を入れる作業が、まさに眼。


武士階級の政権になり、仏教がより多くの人々の生活に入って行く。
同時に仏像がより人間に近づくという側面もある。
長岳寺や興福寺の仏像に見られる。
このころ高僧の像も作られだしている。
人により気持ち悪いという方もいらっしゃるだろう。
あまりに人間的であることから。
まるで、ミイラのようだと。
「むちゃく像」も「せしん像」も本日の美の壺番組を拝見したら、より
深く鑑賞できる気がする。

何時もながら、「美の壺」番組の関係者の皆さん、ありがとうございます。
鑑賞の壺は、楽しみの壺でもありますね。


推薦コーナー
サライ 「奈良特集」 美の壺と関連がありますね。ぜひ一読を。
また、CDが付録でついてきます。ショパンです。
お買い得でね。(笑)


サライ 2010年 05月号 [雑誌]

小学館

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「美の壺:中国の茶器」 

2010-04-12 21:25:23 | 美の番組紹介
「美の壺:中国の茶器」 NHK


今回のテーマは、中国の茶器。
正直に申し上げます。
芋太郎の苦手なテーマです。(笑)


という訳で、初心者として、本番組で学習するつもりで記載します。


<美の壺1:かたちに潜む物語り>

中国の茶器で最も重要なものが、茶壺(ちゃこ)。
形はバラエティにとむ。
特に紫砂茶壺(しさちゃこ)は、明末に登場し、素焼きの素朴な風合いを
常とし、中国の人々に愛され続けられてきました。


この紫砂茶壺は、一つ一つに思いが込められています。
故事であったり、主義主張であったりします。
それは、生活の中から生まれてきたものであり。
経験や考え方が反映されています。


私達日本人の茶の楽しみ方とは、また違う味わいもあります。


<美の壺2:道具一式で味わう悠久の時間>


日本の茶道も飲むまでに結構な時間がかかります。
同時に、その飲むという行為までの全ての時間・行為を楽しみます。
これは、中国でも根底は通じるものがありますね。
ただ、幾分に楽しみ方が違いますね。


番組から飲み方を学びましたよ。(笑)


熱湯を茶壺に注ぎます。
茶壺に外側からも注ぎます。
第1煎は、茶壺を暖めるだけで、捨てます。
第2煎は茶かいに注ぎます。
茶杯に直接注ぎません。
最後に小さな茶杯に注ぎ、香りを楽しみながら頂きます。


番組で紹介された面白い詩を紹介します。
中国の茶杯は小振りであり、6杯まで飲めるのですね。

1杯目:喉・口を潤す
2杯目:寂しさを和らげてくれる
3杯目:しぼんだ詩情が蘇り、時の中から五千巻の書物が
    湧き上がってくる
4杯目:軽く汗が出てきて不平不満が毛穴から出て行く
5杯目:肌と骨が清らかに
6杯目:仙人の魂が身体に入ってくる
7杯目:もうのめない(笑)


<美の壺3:肌つやに込められた(茶壺)ヤンフーの心>


古い茶壺ほど、珍重される。
紫砂は無数の窪みがあいており、ここにお茶の成分が入り込み
どことない風合いが生まれる。
手で愛でられて美しさが高まる。
茶壺(ちゃこ)を育てるという考えが生まれる。


店に預かってもらい、茶壺を利用してもらう。
つやを出すことを依頼する人々です。
釜から出た茶壺は、時間をかけて火気を抑え、より美しくなる。
時間をかけてとうとうとゆったりと構え、自らの心を大事にする。
どうやら、ここに中国人のもの考えたがあるやもしれない。


せこせことした現代社会への痛烈な一打。
そう、いまは中国茶のブームだそうです。
この辺に中国茶ブーム理由もありそうですね。
ストレスフリーの時間を求めて。


あなたも、参加してみてはいかがですか。
(でも、日本の茶道もいいですよ。)


極める紫砂茶壺―中国茶急須の選び方・愉しみ方
池上 麻由子
グリーンキャット

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美の壺:和風旅館

2010-04-11 17:03:15 | 美の番組紹介
「美の壺:和風旅館」 NHK


美の壺も草刈さんが定着してきましたね。
谷さんのイメージから脱却しましたね。
今回のテーマは、和風旅館です。


「宿泊」と言えば旅館ですが、今の世代はホテルだそうです。
私と同年代か少し上でしたが、知人にホテル好きがいました。
ホテルを渡り歩くという趣向ではなく、いつ何時の
宿泊もホテルではないと気がすまない御仁でした。


例えば、山間部の宿泊ときたら、大概は温泉旅館ですよね。
それが、ホテル。
都会やクラッシックホテルなら私もわかりますが、
違うのです。
ホテルが好き。それは、プライバシーの確保ができるから。

う~ん、そうでもない様です。
そう、かれは温泉が苦手。
裸で露天風呂が苦手。
いるんですね、こういう方がね。


さて、番組に話を戻します。


<美の壺1:部屋までの道行きに仕掛けあり>

和風旅館では、チェックインしたときから、非日常を体感できるように
工夫が施されています。
多くは、廊下をコ字型に配置し、庭園と建物を楽しむつくりになります。
楽しく過ごす為の工夫が散りばめられています。


番組では長野県の和風旅館を数件紹介されておりました。
一つは、廊下から眺める庭園の贅。
一つは、宮大工による伝統的な技法を用いた建物自体の魅力。
また、踊り場や電灯一つにも、宿泊客を驚かせ・楽しませる趣向が
随所に見られます。
ベンガラ色の壁に代表される建物観ですね。


<美の壺2:疲れを癒すほのかな明暗>


また、別の趣では、障子や縁側の日差しの工夫で、
滞在中の寛ぎや安らぎ感を演出します。
和風旅館の鍵はどうやら、この非日常にある「ほのぼのとした
安らぎ空間」ではないかと考えます。(芋太郎)


光の演出は、格子・障子・などを通し、光を和らげる。
風通や灯りを活用する棚間。
光の移ろいに人の配慮あり。
優しき気持ちを相互に感じあう。


<美の壺3:大広間は天井に風格あり>


和風旅館では一時期、部屋食が多かった。
最近は専用レストランや大広間の活用がされている。
無論、人件費の節約の側面もあろう。
しかし、大広間で食べるということが、最近また、
違和感がなくなりつつある。


芋太郎の子供の頃は大広間で食することが通例でした。
ここでは、お隣さんや中居さんとの会話も一つの楽しみでした。
同時に由緒ある大広間での文化的な雰囲気を味わう側面がありました。


ところが、芋太郎の成人後30年間は、逆に部屋食が多い感じでしたね。
プライバシーや高度成長下での豊富な中居さん達が理由でしょか。
最近の折衷案として、仕切りで隔てた和風空間もありますね。


いまは、先祖帰りですね。


<美の壺4:ふぞろいの客室に美学あり>


ホテルと根本的に異なるようですね。
ホテルはその画一性がテーマです。
同一料金同一サービス。サービスの中には同じ形態の部屋も含まれます。
和風旅館では、不ぞろいの部屋が人気だそうです。
ましてや、有名人の宿泊した部屋は看板スターのごとくでしょうか。
間取りが誓うだけでなく、部屋からの眺め、部材の違い、内装の違いなど
各種各様だそうです。


気が付いたのですが、今回の美の壺は3つではなく、4つでした。(笑)
前後編の番組意外では珍しいですね。


番外として、余計でしょうか、芋太郎の和風旅館感想です。
旅館好きの芋太郎ですが、最近の宿泊先の傾向として、
一つの大きな特徴が感じられました。

まず、改造旅館が多い。
(和風旅館で本館のみの営業は少数のお客様対応となる為、
料金は高額設定となる。)

多くのお客様を迎える為に、どうしてもホテル様式の別館を建てる
ところが多い。
チェックインしたら、自分の部屋がどちらのタイプが調べましょう。
意外と本館の和風旅館と繋がっているホテルが多いですね。
この場合、必ず本館をチェックしましょう。
本館こそ魅力的な場所が多いからです。
試してみてください。


変哲もない旅館にすごいものがあったりしてね。
広島のある旅館では、風呂への廊下が左右の庭園と池(鯉)を愛でる
絶好のロケーションでした。
同時に、その先のロビーに珍しい写真がありました。(内緒)


京都では、食事場所に本館が利用されていて、庭園と襖が時代ものでした。
これは、見事でしたね。
下手な会席料亭店より味わい深いものでした。


日本のどこかで、きっとあなたを待つ部屋がありそうですよ。
発見の旅へいざ旅立とう。


「極み」の日本旅館 (光文社新書)
柏井 壽
光文社

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繁盛旅館の謎―「和の物腰」という秘策
幾度 啓
三五館

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