川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

川越芋太郎の世界へようこそ!
一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

五輪報道と首相官邸前デモの面白い関係

2012-07-29 18:00:33 | Twitterのまとめ
村上龍氏がゲーテ誌上で呟いていた
ロンドン五輪の記事に引き寄せられた。


五輪に興味がない訳でもないが、
今日本を覆う政治の荒廃もに
呆れるばかり。

公約を無視し政敵と手を結び醜悪極まり
ないプロセスで増税を画策し、
マスコミは小沢問題とスポーツで矛先を
誤魔化す。
これを権力者の民衆統治の三大方法の
一つを利用した技法であろう。
スポーツは新鮮であればこそ民衆の意識
を政治から反らす巧妙手段となり得る。

すでにその兆候は昨日のBSコンパス
TVの投稿意見量に反映されていた。
所謂裏番組に強力な五輪番組が存在して
た。

明確に、ニュース討論番組の視聴率は
低下したと思われる。

政治家や問題を抱える官僚・企業経営者
ならほくそ笑んだのではないだろうか。
まだまだ、権力者3つの法則は有効であ
ると。

橋下氏の場合は、女性問題。
小沢氏の場合は、金権問題。
いずれも、政治家を政治以外の要素で
失墜させるに有効な油断です。
国民の場合は、さきのスポーツ、娯楽
が二大方法でしょうか。

五輪も見たいが、生活に重要な政治活動
も見逃したくはない。
今の私たちには有効技術的方法がある。
そう、録画ですね。
私は、昨日は五輪を録画しました。
(笑)

GOETHE (ゲーテ) 2012年 09月号 矢沢永吉
クリエーター情報なし
幻冬舎


平成24年7月29日 川越芋太郎


薄桜記がパクリとは、五味康祐氏も呆れ顔か?若者の時代認識を垣間見た!

2012-07-28 09:00:53 | 知恵庫先生の講座
最近の話題に「薄桜記」と「薄桜鬼」がある。
BSNHKの時代劇シリーズ「薄桜記」がゲームの「薄桜鬼」
のパクリだという話題。
確かに、同番組がゲーム人気にあやかったかどうかは別
の話であるが、「パクリ」説を信じている若者が多いのに
は正直驚いている。

私の子供の頃の記憶であるが、五味康祐なる作家が描い
た時代物小説が人気を博していた。
その一つが「忠臣蔵」を題材とした「薄桜記」である。
1959年に新潮社から刊行。文庫は1965年に新潮文庫より
刊行された。(私が読んだのはこちらの古本です。)
2007年9月に改版、現在まで刊行されている。

今回は五味康祐氏の小説の話をするわけではない。
無論、時代小説としての名品の数々は魅力的です。
是非、若者に読んでいただきたい。

ゲームがパクリとはいいませんが、ゲーム作者のインスピ
レーションを刺激したことは明らかです。

私などは、ゲーム作者が五味氏の家族等へ挨拶したのか
少なくとも、作品の中で言及するべき「筋道」があると考え
るのですが。
中国のパクリには言及しても、日本人の日本人への同様
の行為には寛大なのであろうか。
無論、五味氏のことであるから、笑って「大いに結構」とい
ったかも知れない。(草葉の陰から)

実は、この小説はすでに映画化されている。
私は、映画を先に見ています。
この映画も無論、原作は「薄桜記」である。

高田馬場の決闘や赤穂浪士による吉良邸討ち入りを背景
に、2人の剣士・丹下典膳と堀部安兵衛の友情や、上杉家
江戸家老の名代・長尾竜之進の妹・千春をめぐる悲恋が
描かれるのはBS「薄桜記」と同じでしょうか。
(おっと種明かしはいけません。)

映画も原作を結構偏向しています。
無論、原作者五味康祐氏の了解を得ているらしいですが。
製作 三浦信夫
出演者 市川雷蔵(丹下)・勝新太郎(堀部)
配給 大映
公開 1959年11月22日
英語タイトルはSamurai Vendetta

2004年に角川エンタテインメントからDVDが発売されている
ので、一度見てください。

日本人の大好きな時代劇の原点がここにもあります。
判官びいき、男女の恋、武士の世界が描かれた物語。
最近のヘタな武士道の本よりも、武士の魂に触れられるか
もしれません。

平成24年7月27日 川越芋太郎


薄桜記 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

読書推薦:政治と歴史に興味がある方へ

2012-07-22 21:00:03 | 本を読む
政治の歴史の世界で推薦したい本がある。
読書推薦7月度(1)


以下の本は、私自身が皆様へ推薦する書である。
値段はまちまちであるが、誤った世界観や意識
を見事なまでに打ち砕いてくれる。
まずは、手に取り、お読みください。


1、
徳川幕府 懸治要略
徳川(江戸)幕府は、明治このかた本当の歴史
的評価を受けていない。
私がこう感じたのは、江戸の治水対策(上下水
道)や都市計画を除いてみて感じたことである。
なぜ、こんなに優れた政治が出来たのであるか。
私が幼い頃から受け付けられた江戸時代という
暗黒時代(武士が刀を振り回して、庶民を苛め
てきたというステレオタイプの評価)のイメー
ジとまったく受け入れがたい。
さらに、美の壺を初めとした美術芸術作品に思
い致すほど、江戸の芸術の偉大さを感じる。
明治開国後のパリ万博での評価は、想像以上に
いまだ縮小されている。
本当は、「驚き」よりも「圧倒的な驚異」とし
て西欧社会を揺さぶったのではないか。

だらか、あの印象派という訳のわからない言葉
で人くくりされる欧米の先端的人々の心を虜に
したのであろう。
単なる美術上の驚きでもない。
単なる細密描写でもない。
文化と政治とその国民の豊かさ・自由に、西欧
は打ちひしがれ、憧れた。
これが真実であろう。

そして、いま一冊の本が生まれた。
徳川時代のイメージをまた一つ、正確に私たち
に届けてくれる。
私たちが開国後、失った世界がここにある。
立ち返るべき理想国家があるような気がする。

もう薩長の捏造歴史には飽きました。
本当の徳川(江戸)を押してく欲しい。
そんな方にお高いが貴重な一冊です。

平成24年7月22日 川越芋太郎



すべての労働者へ贈る推薦書:それをお金で買いますか

2012-07-22 16:43:26 | 知恵庫先生の講座
それをお金で買いますか


川越芋太郎はすべてのサラリーマンや労働者の方々に本書を推薦する。
経済学の難しい本ではなく、私たち市井の人間が読み、理解するに十分な内容である。

最近の新聞記事にこんな事件がある。

「京大大学院辻本元教授、一企業との癒着発覚」

記事の内容は日常にありふれた内容である。
またかとうんざりするような記事である。

京大大学院教授(元とは発覚後退職したからか)
日本を代表する知的エリートです。
その彼がなした行為がなんとつまらぬ金権癒着です。
研究室を提供する見返りに、京大薬学部物品受注を一手に一企業へ引き受けさせていた。

無論、元教授側からの反論もあるだろう。
しかし、どう弁明しようとも本質は変わらない。
金権体質を必要悪として再認識するだけのことである。

重要なことは、「お金」が社会の至るところまで侵入し、もはや「お金」が万能の世界と成り果てようとしている。
世の中で「お金」で解決できないものはない。
そう豪語する輩が高らかに笑う声すらするだろう。

元京大教授は氷山の一角です。
かれには罪悪感が喪失していたのです。
理由は、「世の中そんなものだ。」とう声が聞こえてきそうです。

本当にそうでしょうか。
残念ながら、市場経済というモンスターでさえ、いまや商品経済という魔物にのっとられてしまった。
贈与経済も協業共同経済も姿をほとんど見かけなくなっている。
なげき悲しむ経済金融関係者はいないものか。

そんなことを考えていた矢先、先の一冊が紹介された。

本書紹介文から引用する。

現代の経済学はもはや経済現象だけを扱う学問ではなくなっている。
結婚や犯罪などの人間行動全般に及び、社会学や法学の領域まで入り込んでいる。
(お金がすべてと言い切れる状態まで悪化してしまった。:芋太郎)

人間行動の背後にあるメカニズムをより厳密に解明しようという試みへ発展しているという。
(なんてことはない、拝金教に毒された人々の心のうちを科学することではないか。:芋太郎)

サンデル教授は、次のように主張している。
「市場取引にふさわしくないものが経済的効率性の名の下、”金”でやり取りされている。人間行動の本来の価値が変質し、腐敗するとサンデル教授は考える。」
(同感)

こういうことを言うとすぐ反論する輩もいる。
腐敗は必ずしも市場を通して起こるものではない。
そうだろうか。
おそらく、「お金」に困っていない者がいうセリフである。
あるいは、市場以外のものの悪行を挙げてごまかそうとする。
家庭内暴力や施設内虐待などは、金銭的インセンティブとは関わりない。閉じた世界に生じたものだと。

本当だろうか。
実は、家庭内暴力の多くが元は金銭を原因としている。
金銭を稼ぐ力を崇拝し、させようとすることから発生する。
そこに気が付かない。
気が付きたくもないか。
先の汚職などは、その一例であろう。


市場には、3つの要素がある。
芋太郎として次のように考えている。
バランスよく3つが発展することが不可欠である。
贈与経済の復活と共同経済の拡張である。

無料で援助する活動が東日本大震災後息を吹き返した。
次は共同で物事を運ぶ経済の復活である。
道は遠いがはじめようではないか。


平成24年7月2日 誕生日前日 川越芋太郎


それをお金で買いますか――市場主義の限界
クリエーター情報なし
早川書房

「いじめ」の芋太郎流2つの定義打破から解決へ

2012-07-10 11:59:32 | 知恵庫先生の講座
いじめを考えるささやかな挑戦


「いじめ」、またもや社会の注目を掻き立てている。
問題視され始めてからも、歳月を重ねようとも、
一向に下火になる様子はない。
なぜだろうか。
自分の心の中に問いかけてみた。

以下、芋太郎のささやかな「いじめ考察」である。

まずは、いじめの定義づけ

1、[パワハラの変形である]
  「いじめ」を分類し、整理したことはないのだが
  (もし、データ分析をしている方がいたら教えて
   くださいね。)
  パワハラの変形と考える
  理由は、強いものが弱い者を見下すことから始ま
  るからです。
  弱いものが強いものを苛めた事例に遭遇しており
  ません。

2、[反復継続する行為が存在すること]
  単純な一過性での強弱対立は日頃から発生する。
  いわゆる喧嘩型です。
  「いじめ」のいじめたるゆえんは、その反復継続
  性にあると見る。
  

今回の滋賀県の事例は上記2つの要素を満たしている。
ついては、芋太郎式認定では「いじめ」が成立します



次に「いじめ」の心の襞(ひだ)を考えてみよう。

あくまでも、上記定義に沿います。
なぜ、人は弱いものを作り、見下し、搾取するのか。
この命題の前に、「弱い」との定義をしましょう。

「弱い」とは、力を得ていないことです。
それは、権力、金、名誉、地位、数などのパワーの源
泉と密接不可分です。
知識さえもこのパワーになりえる危惧があります。

こんな事例は、皆様の周囲に溢れていませんか。
仕事ができない。
ミスが多い。
不清潔である。(汚いとはかけないので。)
みすぼらしい。
愛嬌が悪い。
頭がとろい。
などの理由で、毛嫌いしておりませんか。
毛嫌いが人格否定に繋がっていませんか。
この毛嫌いが、パワーと継続性を有するときに
「いじめ」に変質する可能性があると考えます。

最初はからかいで始めるが、次第にエスカレートし、
数や力(権威、お金、地位、知識)などを頼りに、
継続的に見下し、搾取していませんか。
この場合の搾取とは、金品から人の名誉まで含みま
す。

実は、私たち一人ひとりが「いじめ」の加害者にな
る危険性があります。
同時に、「被害者」になる可能性もあります。
それゆえに、被害者に入りたくないばかりに、加害
者側に回ろうとする傾向が発生します。

今回の市教育委員会の対応は、事なかれ主義です。
しかし、その心理的なひだを見れば、次の事実に行
きあたるのではないでしょうか。

1、巻き込まれたくない。
2、被害者自身にも責任がある。(弱点を改めよう
 としなかった。)
3、自分自身が被害者になりたくない。
 加害者側から直接・間接問わず、影響力を受けた
 くない。
4、非を明らかにすることで、この問題をクローズ
 アップしたくない。(管理責任を負いたくない。)
 特に官僚の無謬性です。
5、「いじめ」を認めることで、自分自身の存在を
 危険にさらしたくない。

こんな心理が働いいたとは思いませんか。

加害者側の公開文章にも、その兆候の一端がありま
す。
被害者および被害者の両親を責める。
本末転倒の論理展開です。

上の、定義に全く当てはまりません。
被害者をいやしめても「いじめ」の定義から開放さ
れることはありません。
不法性・道義性・正当性は含まれないからです。

今回の事件は、その意味では典型的な「いじめ」で
しょうか。
そして、問題は、加害者を追及し、糾弾すること。
それ以上に、それがなぜ防止できなかったのか。
この2つの定義を防止する方法を実施しなったこと
を問題にすることが必要です。

罪は裁かれるべきです。

しかし、法治国家では裁くのは法律です。
今回の「いじめ」はまず、殺人罪で検証することが
道理です。その上で、殺人罪で検証できないことが
判明した時点で殺人幇助です。
芋太郎の個人的見解ですが、自殺は殺人罪です。
みずからを殺す殺人です。
罪を問う本人が不存在ゆえに、罪を本人には問わな
いとしたい。
法律的な見識を改める必要があります。
(異論は無論あると考えます。しかし、命は自分だ
けのものという考えに賛同したくありません。)

次に、周囲の生徒・先生や学校・教育委員会という
組織の対応です。
見てみぬふりをするのは同罪であることを認識する
ことが必要です。
一人でも反旗を翻していれば、また違う世界が開い
たことでしょう。
あなたの周囲の世界でももう一度、見直してくださ
い。
きっと「いじめ」に近い状態があります。

そのとき重要なことを申し上げます。
上記定義に沿い考えましょう。

「いじめ」がパワハラである。
「いじめ」が反復・継続性にある。

この2つを封じ込める必要が必要です。

力を過信してはいけませんが、力は必要です。
このように申し上げると、ある一部の団体から批判
されます。「暴力反対と」
しかし、暴力と力は違います。
ここではそのような初歩的な定義は省みません。

力の必要性をこの国は避けて通る傾向がある。
臭いものには蓋をしろ
羹に懲りて膾を吹く
でしょうか。
力は正義や勇気の裏づけは無論、「愛」という
要素も不可欠です。
被害者を守りたいという正義感
不当なパワーから加害者を救いたいという勇気
周囲の事なかれ主義を打破しようとする勇気
被害者を救いたいという愛
加害者を人の道へ戻したいという愛
これらが、欠けてしまっています。

現在の教職員にも、この3つの要素がかけています。
正確に言えば、3つの要素より上記のいじめを構成
する要素に負けていることでしょうか。

正義・勇気・愛<権威・権力・お金・知識・名誉・
         地位・数

という構図が成立します。
昔のように叱れる教師、それを支える組織や親が
不存在なのです。
応援団がいない教師は孤独ですね。

我々一人一人が応援団にならなければ、この問題は
解決しません。
勇気と愛溢れる教師を普段から見殺しにしない
こんな日常が「いじめ」防止に役立つと考えます。

後日、騒ぐことよりもさらに重要ではないでしょう
か。


ぜひ、この一文へのコメントをお持ちいたしており
ます。まじめなご意見をお願いします。
一緒に考えて、さらに考えを深めてゆきたい。

平成24年7月10日 川越芋太郎

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