デジブック 『阿波踊りの里をゆく』
「徳島を行く、芋太郎蜂須賀の地を訪ねる!」
芋太郎、この一週間で徳島市を訪れました。
徳島といえば「阿波踊り」ですね。
阿波踊りとは無縁の今時分に訪れた理由は私用です。
初の徳島の町の印象を語ります。
内容については、あくまでも、芋太郎の印象であることを
お断りいしたします。
11時過ぎ、羽田から日本航空で徳島空港に到着。
日本航空といえば、つい最近まで新聞紙上を飾りましたあの
航空会社です。
よもや株価価1円になるとは。
思っていました。(笑)
当然1円の指値で買い、3円で売りました。
もう過去の話ですが。
日本航空のスチワーデス、今はキャビンアテンダントですか、
高年齢になりましたね。
ま、接客というサービスでは年齢はプラスでしょうが。
徳島空港はこじんまりしていましたが、立派なものです。
この空港も新築工事が予告されていました。
う~ん、採算性があるのかな?
徳島市内へ向けて空港からバスに乗りました。
時間が充分ありましたので、すべて経験です。
徳島駅まで25分前後、430円だったかな。
こんなもんでしょうね。
驚いたのは、道路の充実度です。
予想を越えた、道路規模と交通量です。
金曜日の昼であるにも関わらず、結構な交通量です。
片側3車線の立派な道が走ります。
市内へ入りましても、道路の充実度は高いです。
「徳島市は車社会なのかな。」
この印象は時間を追うごとに確信に変わりました。
駅前の賑わいや観光地への商店街をぶらぶらした結果、
人の行き交いが道路の交通量とアンマッチなのです。
これだけの交通量であれば、繁華街は大層な賑わいと思う、
われわれ東京人の常識はすんなりと覆されました。
駅前の人は少なく、どことなくのんびり。
若者は学生さんが主流。
東京で見られるマックやコンビニも心持少ない。
駅前そごうもパラパラ。
駅前のビル群や官庁街にかけてのビルは立派であり、
その対比がなんとも印象的でした。
芋太郎もご多分に漏れず、駅前の城址公園と眉山見学。
蜂須賀公の徳山城跡地の公園は立派です。
特に、石垣が多く遺されており、石垣の配置などの研究家には
お勧めです。
蜂須賀公といえば、若き秀吉の側近。
あの斎藤・織田の美濃取り合戦で有名ですね。
当時、秀吉の功労の多くが蜂須賀公のもたらしたのもとの評価が
高い。
蜂須賀小六なる人物は意外性があり、研究対象としても面白い。
歴女の皆さん、いかがですか。
話は城址公園に戻りますが、
木々は生い茂り、多くの野鳥や植物が生き生きと生息する
まさに都会のオアシスです。
枯れ木に止まる丹頂鶴?は遠目には、中国の風景と思われます。
石垣の巨大な岩は一体どこから運んだのでしょうか。
恐らく、吉野川を利用した水運?
はたまた、眉山周辺を崩した岩石でしょうか。
(勉強不足ですいません)
城址公園脇といっても、実際は続いているような感じですが、
武道館や体育館も立派です。
城跡との対比ができていて観光地としてはいいですね。
ここで思わぬ贈り物。
助任川沿いでさくら並木を拝見。
緑の木々と深い青の水面に、鮮やかな青をバックにした桜。
カメラのシャッターを切ったのは自然の成り行き。
そのまま、歩きながら、JRをまたぎ、逆側へ。
新町川水際公園は潮の香りがする水辺のオアシス。
徳島大学の学生さんかな、(距離的に合わないか?)
3人で女性談義(恋愛と卒業の話)をしておりました。
なんとも、まじめな会話でしたよ。
芋太郎は、ここでピクニックならぬ、簡易食事です。
新町橋で2つの発見。
1つは、ゴリラが登るビル。
1つは、阿波踊りの欄干。
ともに、面白かった。
天神神社にお参り後、阿波踊り会館へ。
丁度、雛人形が飾られていました。
多くの阿波踊りに使われる提灯が窓辺に変わられており、
祭りの雰囲気が醸し出されています。
ついでに高円宮からの勲章も拝見。
会館でいいもの発見。
阿波踊りの竹細工と芋焼酎。
里娘なる芋焼酎に目が止まりました。
市内をうろつく事4時間強、
多くのブロンズ像を拝見。
さすが、徳島阿波踊りの国。
天候が2時以降急速に悪化し、厚い雲が立ち込め、
眉山からの眺めは、今ひとつ。
どうやら、城址公園を先に見たのが裏目かな。
雨も予想される中、ホテルへ急ぐ。
夕飯はぜひ、徳島ラーメンを食したい。
ホテル着、5時前。
いきなり知人との出会い。
話の都合で、夕飯をご馳走になることに。
残念ながら、徳島ラーメンはお預け。
酒を飲みながら、徳島市内観光1日目終了しました。(笑)