知られざる魯山人山田 和文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
「美の巨人たち:北大路魯山人」
今日の作品は、北大路魯山人作『銀彩緑釉文輪花鉢』。
参考:
魯山人といえば、書に始まり、篆刻(てんこく)、陶芸、絵画、そして料理に至るまで、
自分の世界を貫いた芸術家。
本日の作品は、その芸術家の晩年の作品です。
織部焼きに独自の特徴を織り交ぜた。
使われて価値を増す器。
すすきと秋の虫を描く事で、秋の空気を醸し出しながら、真中に描かれた書。
ゆがみも、銀の色合いも全てが味わいを醸し出す。
魯山人は織部焼で人間国宝の打診を受けるも断っている。
織部に拘ることなく、飽くなき「美」の探求を継続する意思の現れであろうか。
番組では、簡単に魯山人の出生を紹介する。
京都上賀茂神社近隣の貧しい家に生まれる。
父が自殺、母は出奔という境遇の中で、家族の愛を知らず成長した。
辛い日々の中で、一筋の光を見出した。
それが、「美」であった。
「美しいものをこの世に捜す為に生を受けた。」と思い、実践した。
丁稚奉公の合間に、看板から書を模倣し、釜戸の灰で練習をした。
古典に学び、師を持たず。
生活を高める為に、名前を次々に変え、スケールを大きくした。
海砂・・・大観・・・魯山人へ。
35歳で魯山人の称号に変更。
美術骨董屋を開設するも、不景気の煽りを受け、売れない日々。
打開策の一つが、うまい料理を盛って出す。
料理と器のコラボです。
彼の貧しい生活での不撓不屈の精神が役立ったのでしょうか。
42歳で会員制の美食倶楽部『星岡茶寮』を今の赤坂に開店。
料理の世界に新たな境地を見いだします。
43歳の時、北鎌倉に窯を開く。
多くの職人を雇い、備前、九谷など、様々な種類の陶器を作成。
本日の作品「銀彩緑釉文輪花鉢」もここで生まれた。
魯山人は、多くの職人に土捏ねや形を任せ、最後に自分で手を入れた。
魯山人の本領は、絵付けと色。
緑釉は、濃淡の味わいを出すのが困難ですが、彼は絶妙な濃淡を
生み出す天才でした。
魯山人はケチ?
失敗作ともいえる平坦な器を全部棄てないで取っておく。
銀とあわせる事で、銀とかれの緑が味わいのある風情をかもし
器が蘇る。
これを当意即妙というのであろうか。
光と色のリズムを心の赴くままに、場に応じて変化し、
他のものに仕上げる。
あらゆる美を知って本当の美が分かるとする魯山人らしい
いい感じのエピソードです。
まるで本当の美とは、生きていること。
飾りではなく、使うほどにますます美しく、味わいある美と
変化させることなのかもしれない。
魯山人の器 (NHK美の壺)日本放送出版協会このアイテムの詳細を見る |