川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

川越芋太郎の世界へようこそ!
一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

美の壺:ワイン

2009-07-30 18:36:02 | 美の番組紹介
「美の壺:ワイン」 NHK

ワインの歴史
ブドウを原料にしてつくるワインの歴史は八千年前にさかのぼる
といわれる。
古代メソポタミアで生産が始まりその後ヨーロッパに伝わる。
現在、西欧各地で造られております。

有名なところは、フランスのボルドー!
ワインをあまりたしなまない方もご存知の銘柄ですね。
子供の頃、フランスでは水の変わりに飲むといわれて、子供ながら
いいなと思いました。(笑)

日本のワインは、たぶん多くの人がご存知だと思います。
日本で本格的なワイン造りが始まったのは明治初期の山梨から。
古くから「甲州」と呼ばれるブドウを食用として栽培して土壌が
ありました。

明治政府は殖産興業の一環として、ワイン造りを奨励。生産者の
努力もあり、やがて日本人の生活に浸透していきました。
いまでは、全国各地に生産地は拡大し、世界でも評価が高いワイン
が生産されています。

では、美の壺流ワインのお話です。

<美の壺1:透明感ある色に宝石の輝き>
 
ワインにとって見た目の美しさは味や香りと同じくらい重要とされて
きました。何よりも美しい色がぜいたくな時間をつくり出します。
ワインは、豊かな香りと味わいで、食事のひとときを優雅に演出する。

色を決めるのは、ブドウの皮。赤ワインの原料は黒ブドウです。

果肉を皮ごとつぶして醸造すると、皮の色素によって赤く色づきます。
あまり色素が出ないうちに皮を取り除けばロゼに。
白ブドウからは白ワインができます。
ブドウを皮ごとつぶすし、皮に付着している天然の酵母が果汁を
アルコールに変えます。これを発酵といい、10日から20日程で
ワインが出来上がるそうです。

ワインは香りとか味わいも非常に大切ですけどが、その色の輝きは
重要ポイントです。ワインはいろんな宝石の色にたとえられます、
ルビーであるとか、ガーネット、白ワインであればトパーズのような、
宝石色にたとえて輝きをみることがあります。
どれだけきれいに澄んでいるというのがワインにとって非常に大切」

化学的に見れば、造りたてのワインには、色素やタンニンという渋み
の成分が結合した澱(おり)と呼ばれる不純物が浮遊しています。
濁りの原因となる一方でうまみを作り出す作用がある。
澱を沈殿させると、うまみと透明性を持つ上澄みができる。

樽の中で寝かせたワインから上澄みと澱を分ける作業を行ないます。
樽に管を取り付け、窒素ガスを送り込みます。
気体の圧力で、ワインの上澄みだけが押し出され、管を通って保存用
のタンクへと流れ込む。樽の底にたまった澱を取り除きます。
ワインを再び樽に戻し、熟成させる。作業を繰り返すことで透明感ある
ワインができる。
長い時間と手間をかけて生み出されるワインの輝き。
ワインは透明感と瑞々しさを讃える飲む芸術品(美の壺流)です。

<美の壺2:立ち上るきめ細やかな泡>

スパークリングワインをご存知ですか。
きめ細やかな泡を伴うワインです。泡の正体は、二酸化炭素です。
二酸化炭素のガスが嫌いだという人もいますが・・・。

フランスでは、一粒一粒の泡を「ペルル」、真珠という愛称で呼びます。
グラスの縁に集まってできた輪は、首飾りを意味する「コリエ」。
呼び方一つをとっても美しい飲み物。

スパークリングワインの発酵は瓶の中でなされます。
泡となる二酸化炭素は、アルコール発酵する時に出来ます。
発酵後の熟成も瓶の中でなされます。
瓶をさかさまに置き、底を少しずつ回転させながら、寝かせます。
瓶の首を冷却し、二酸化炭素のガス圧で澱を除きます。
樽での澱のとり方とは一味違うとり方ですね。
真珠のようなきらめきを持つ泡を眺め、次々と立ち上り、小さな音を
聴きながら、色と香を含めて、五感で楽しみましょう。

<美の壺3:小さなラベルがワインを語る>

皆さんは、ワインを選ぶとき、ひょっとして、ラベルで選びませんか。
ワインが持っている思いを表現したボトルに掛けられた小さな絵画。


実は、このラベルは、ご承知のとおり、有名な画家が作成している
場合がおおいのです。
コレクションをしている方々も多いですね。
カラフルでいて、優雅で、楽しいですよ。
以前はコレクションブック方式でしたが、今はデジカメがあります。
あなたも、試してみてください。

画像は、芋太郎が日々飲むワインです。

美の巨人たち:写楽

2009-07-26 14:48:01 | 美の番組紹介
「美の巨人たち:写楽」


今回の「美の巨人たち」はあの「写楽」
しかし、どこか違う?

東洲斎写楽といえば、デフォルメされた大きな顔が特徴です。
しかし、映像の写楽肉筆画は違う。

そえでは、番組と一緒に覗いてみましょう。


<従来の写楽>

まず、現在まで、その実態が不明瞭である。

説1:当時の有名浮世絵師の変名とする説
説2:斎藤十郎兵衛という阿波藩能学者とする説

など、が有力。

版画は総合プロディース業である版元の影響が大きい。
写楽の場合は、蔦谷重三郎という歌麿を排出した時の人。
18世紀の質素倹約の流れを受けて、財産の半分を没収され
起死回生のために、世に送ったのが写楽画である。

当為の質素倹約のお触れの影響は写楽画に見られる。
従来の浮世絵に対し、地味といわれる所以はこのあたりに
在るのかもしれない。
同系色の中に1点キメ色を入れ込むことで、粋を表現した。
これが、江戸前の「粋」!

文体というか画体は、大首絵の中に、役者の持つ個性をひたすら
描き、かの人生さえも描きだす。
大きな顔と手の動き(表現)に練り上げた特徴がありそうだ。
あまりの表現力に役者に嫌われたという説もある。


さて、こんな写楽がなぜ、ギリシャのコルフ博物館から出たのか。
本物なのか?
しかも、版画ではなく、肉筆画である。

グレゴリウス・マノスなる人物が鍵を握る。
ウィーンで評判となる浮世絵を彼は全財産をもって買い集めた。
それをギリシャ政府へ寄贈。
80年もの長き眠りから今覚めた訳である。

真贋は鑑定家に任せるとして、写楽の特徴を全て持つそうです。
われわれは、本物として、鑑賞しましょうか。

今回の四代目松本幸四郎
はその衣装から寛政7年5月の作品らしい。
大首絵の写楽が版画(10ヶ月で140枚程度の作品のみ現存していた。)
を止めた4ヵ月後の作品といえる。

御承知のとおり、版画は他人の手が必ず入る総合芸術である。
裏を返せば、己の意図が隅々まで行き渡る事は困難である。
売れる作品、見栄えのする作品・・・。

描く技術より全体的な描写を重視し、美しさよりそのリアルさを
追求した写楽が版画から遠ざかった理由もその辺にありそうに
気がする。
江戸の庶民の審美眼に絶えぬいた一級の芸術品としてご覧あれ。


我が家に写楽の肉筆画も版画もありません。
切手はあるか?
手元の団扇を変わりに掲載します。(笑)

写楽の画体に対する勉強をしたい方は、是こちらを参照してね。
:http://poirot2.hp.infoseek.co.jp/

現物を見たい方は是非訪れてください。
江戸東京博物館:http://sharaku.exh.jp/

写楽のDVD紹介します。
NHKアーカイブス ドラマ名作選集 NHK劇場「写楽はどこへ行った」 [DVD]

ポニーキャニオン

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美の壺:クラシックホテル

2009-07-25 13:45:08 | 美の番組紹介
「美の壺:クラシックホテル」NHK


本格的な西洋式ホテルが作られるようになったのは、
明治になってから。
日本政府の後押しで観光立国として、各数の名ホテルが誕生した。
建築家たちは、趣向を凝らした設計で個性を競い合いました。

そこには、透徹したマーケティングが施されている。
外国人宿泊客が満足する為の工夫。
生活様式は椅子とバスの世界。
それでいて、日本的な印象と記憶を持ち帰る事ができる圧倒的な空間。

誕生したのがクラッシックホテル!


<美の壺1:外観に織り込まれたニッポン」

頬浜の昭和2年創業のホテルニューグランド。
ロビーがある2階へと続く階段が劇的な空間を作り出しています。
人は、このホテルが人・調度品・空間・建物すべてを含めて一つの
一種のタイムマシーンのようになって、その、歴史を今に伝えて
きてくれるという。
それがクラシックホテルというもののおもしろさ。

宿泊したのは、ほとんどが外国人でした。
明治から昭和初期にかけて創業した「クラシックホテル」は、
文化財的な価値が注目されています。

三河湾を見下ろす高台に、巨大な屋根をもつホテル。
昭和9年に建てられた天守閣を持つクラシックホテルです。
名古屋城の特徴を取り入れたものです。
客は外国人ですから、西洋式のライフスタイルがまず可能である
西洋式にに影響されないような、外観・装飾の面で日本の物を
表現した。日本の建築文化、美術が結果として残りました。


多くの観光客でにぎわう箱根・宮ノ下。
目を引くのが、明治11年に創業した富士屋ホテル。 
正面玄関の上には、孔雀(くじゃく)と鳳凰(ほうおう)の飾り。
洋風建築に独特な彫刻を持たせた、和洋折衷の雰囲気をかもし出す。

芋太郎の記憶に残る昭和11年に建てられた花御殿。
鉄筋コンクリート造りにもかかわらず、木造建築のような暖かみが
あります。
城や寺などに用いられてきた装飾が、惜しげもなく施されています。

富士屋ホテルにある食堂棟は、外国人観光客を強く意識し、
ことさら和風を強調した造りになっています。
堂々とした風格をかもしだす唐破風。
日本建築の中で最も格式が高い装飾の一つ。
二階を囲むように取り付けられた高欄が、全体を華やかな印象にする。

極め付きが屋根から突き出した塔。
展望台として作られました。
日本建築の特徴を寄せ集めた独特の建物。

どれを取っても、
外国人観光客が思い描いたニッポンが凝縮されている。


<美の壺2:隠された珠玉の飾り>

明治6年の創業から続く日光金谷ホテル。
現存する日本最古のホテルです。 
時代を感じさせる木製の回転ドア。
頭上には豪華な竜の彫刻。
ダイナミックな曲線と彫りが、迫力を生んでいます。 

散りばめられた飾りのひとつひとつが、そのホテルにしかない美術品!
本物らしからぬどこかエキゾチックな表情をした飾り。

日光東照宮の雅楽奏者の金谷氏のホテルらしいですね。 
ホテルにあった飾りは東照宮の彫刻をイメージ。
金谷ホテルには、第二の東照宮がある(笑)
特徴的な木組みまでが施されています。 

ギリシャ建築風の柱を飾るのは、牡丹(ぼたん)の彫刻。
東照宮の彫刻の中で、最も数の多いモチーフです。
職人たちが伝統の技を駆使して彫りました。


クラシックホテルを訪ねて、あなたも隠れた飾りを見つけてみては!


<美の壺3:調度品に秘められた物語>

横浜のホテルニューグランド。
戦災をまぬがれ、創業当時の姿を今に伝えています。 
ェニックスルームと呼ばれるかつてのダイニングルームのテーブルに
並べられている食器は、創業の際、特注で作られたもの。

関東大震災の復興のシンボルとしてホテルニューグランドが建てられ、
不死鳥という意味合いを込めて、このフェニックスのマークを
現在でも使用し、見事に横浜が蘇りました。
「調度品に秘められた物語」

ロビーに置かれた家具の数々。
創業当時から使われた重厚な時代を感じさせるひじ掛けいす。
地元横浜で作られたもの。

横浜は明治初期、日本で初めて西洋家具が作られた町。
横浜家具と呼ばれ、優れた品質で知られました。

多くは戦災で失われ今では、ホテルの椅子は非常に貴重なもの。
横浜家具は、西洋風のデザインでありながら、木の接合にくぎを
ほとんど使わない「ほぞ接ぎ」という日本伝統の技を用いています。

客室にも記憶がつまる。
マッカーサーズスイートと呼ばれる315号室。 
マッカーサーが執務を行った横浜家具の机。
ここから日本の戦後が始まりました。
積み重ねられた時間が、調度品をより美しく輝かる。 


素敵ですね、クラシックホテル。
まタイムマシーンのように、ホテルを行き交った人々の足音や息遣い、
そして人生までもを記憶しているようです。


芋太郎も、独身時代はよく出かけました。
お茶をいただきながらの読書。
これが、最高です。
重厚な建物の中で飲むことは、自分に力を沸かせます。
当時は、何事も外見からでしたね。(笑)


横浜には最近足が遠のきましたが、避暑地である箱根や軽井沢・
志賀高原などのホテルには時々参ります。
今年はまだですが、去年富士屋・金谷やホテルに行きました。

富士屋ホテルで、お父さんがお子さんに一つ一つを説明していた
暖まる光景を思い出しました。
まさに、美の壺伝授の瞬間でした。
いい夏休みの勉強でしたね。(微笑ましくも懐かしい)


クラッシックホテル、それは美術館です。
マナーを学んだ場所でもありました。

ご照会を2つ。
ホテル建物編として
クラシックホテル案内
甲斐 みのり
ベストセラーズ

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もう1つはサービス・精神編
郷愁の時を訪ねて クラシックホテルの物語 (MG BOOKS)
中村 嘉人
エムジー・コーポレーション

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美の壺:滝

2009-07-21 09:30:04 | 美の番組紹介
「美の壺:滝」   NHK

今日の題材は、「滝」
滝といえば、夏。
涼しげな滝は、日本の夏の風物詩。
富士山の雪解け水が流れ出してできた「白糸の滝」。伏流水が、岩盤から噴き出し、
神秘的な景観を作りだしています。

同時に、「滝」は修験者が、滝に打たれる光景があるように、
滝にある種の神々しさを感じてきました。
激しい滝の水に打たれ、心身共にリフレッシュしようとする女性が増えています。

古より、日本では、森羅万象に神が宿ると考えてきました。
水は、いのちの源。
そのため、滝を神聖な場所としてあがめてきました。

山や森に恵まれた日本、落差が5メートル以上ある滝は、全国に、およそ2500ある
といいます。その形はさまざま。それぞれに個性的な美しさがあります。

美の世界でも、古くから滝を題材にたくさんの美術作品が生み出されてきました。
一直線に流れ落ちる滝を描いた国宝那智滝図。
威厳をたたえる滝を通して神の存在を描き出した宗教画です。
神秘的で生命力あふれる滝には信仰心や美への探究心をかき立てる、
とてつもないエネルギーが溢れているのです。


<美の壺1: 『滝格』 ある姿に注目>

その「流れる形」に注目です。

平成2年、国が選定した「日本の滝100選」。
兵庫県一の大きさを誇る「天滝」。落差98メートル。
その名のごとく、天から一気に水が降ってくるような滝です。
ここを訪れた弘法大師が、天に昇る白い竜に例えたことから、
この名が付いたと言われています。

「いい滝というのは、人に人格があるように、滝にも『滝格』というものがある」
とさえ言われる。

自然の造形物である滝に、品格を見る。
なんとも、日本的な視線です。

1、滝格を決める条件としては、「落口(おちくち)」に注目します。
  「落口は、滝がどこから落ちてくるかわからない。滝の後ろ側に理想郷・天の存在を想像させます。
2、流身、すなわち水が落ちていく姿です。
  落口から宙に放たれた水は、ただ一直線に落ちるのではなく、途中で岩盤に当たり、岩肌を滑り落ち
  て、様々に変化します。それが、より魅力的な姿を作るのです。

この2つのポイントを押さえた滝こそが、「滝格」を備えた名瀑となるのです。
「名瀑とは、やはり神々しさですね。

和歌山県熊野にある那智の滝。落差133メートル。那智大社の別院である飛瀧神社の御神体として祭られています。
落口は那智の原生林に囲われ、注連縄(しめなわ)が張られています。
水が3本の筋となって落下するのが特徴。


<美の壺:一瞬の表情を切り取る>


複雑な水の表情に注目。
江戸の浮世絵師・葛飾北斎は晩年、8枚の滝の絵を残す。「諸国滝廻り」。

水の表情を自由自在に描き出す北斎。
落ち口の向こう側には、小さな宇宙。
剣のような険しさで表現された水の動き。
線の強弱で、巧みに描く。
水を観察し尽くした北斎ならではの描写です。


現代の写真で滝を撮るコツを一言。
写真家の加藤庸二さん。
一瞬を捕らえなければ絵にも写真にもできない。
滝の前に立って、五感を働かせて、滝の水の粒とか、帯のように流れる岩盤をはむ水の流れ
そういうものをじっくりと観察してから描く。

栃木県日光にある霧降(きりふり)の滝。
複雑にうねりながら岩盤を這う水の流れが特徴です。
「諸国滝廻り」の中でも傑作と呼ばれている作品です。
本物の滝が持つ、水のうねりをみごとに表現。

カメラを使って、シャッタースピードを遅くすることで、水の流れを帯状の強い線でとらえる。
水が落ち、飛沫(しぶき)となる瞬間。北斎は、滝つぼからはね上がる細かな粒をいくつもの
点で描いています。

われわれも、北斎という天才絵師の視点で心のシャッターを押せば、水の表情をとらえた
滝を撮ることができるかもしれない。


<美の壺3: 自然を越えた自然を味わう>

文京区小石川後楽園は、水戸徳川家の上屋敷に作られた日本を代表する大名庭園です。
池を中心に設計されたこの庭の滝は富士山麓の白糸の滝を模したものです。

日本庭園に滝は欠かせないと言います。
「あくまで『自然をベースにしながら自然を越えた自然を作る』。
盆栽同様の世界。
日本庭園では、滝が一番メイン。
音と動きに注目です。

名古屋市にある徳川園。龍門瀧が再現されています。
これは中国の登竜門伝説になぞらえて造られたもの。
「急流を登りきった鯉は龍になる」という、立身出世の故事。
これから滝を上ろうとする鯉に見立てた石が置かれています。

対照的なのが枯れ山水の庭(大仙寺)。
枯れ山水とは、石や砂だけで山水の風景を表現した日本独特の庭園。
仙人が住む山には、三段の滝があり、やがて川となって流れ出します。
実は人の一生を表している。

ゴツゴツした滝の石組みを伝い、流れ出た水は、白砂に浮かぶたくさんの石、
数々の困難にぶつかり、いつしか、何の障害物もない大海に出て、おだやかに人生を
まっとうするのです。

水のない滝に水の流れを見、その音に耳を澄ます。
人の心に滝が流れているからなのです。


さて、日本には、四季があります。
同じ滝でも、四季を通して観る事により、違う感激を得ることができます。
番組では、哲学的に側面に説明がなされましたが、
1つの滝を4つのシーズンに分けて、観ることをお勧めします。

芋太郎流「滝」鑑賞の壺。
本日の3つの壺と落ち口・流身の2つの点に、ぜひ、四季の景色を加えてください。

ご照会:滝に関する写真集です。
日本の幻の滝
志水 哲也
山と溪谷社

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騒動買いのビードログラス!

2009-07-20 10:25:35 | 短編集バー物語
衝動買いしてしまいました。

コルソの中のお店!結構足を運びます。
アンティークや海外の小物から棚まで取り揃えています。
我が家では、このお店で購入したものが結構あります。(笑)


今回は、「夏」にふさわしい、ビードロのグラス。
昔ながらの懐かしくもかわいいグラス。
芋太郎の娘と奥にプレゼントです。

実は昨日のことでした。
昨夜は、このグラスで親子3人で乾杯!
芋太郎は昔プレゼントされたグラスを持ち出して。

皆さん、たまには、食卓で親子の会話をしましょうね。
「美」とは、外見だけでなく、美しきものを愛でる心の「余裕」でも
あると思いませんか。

美の壺:バイオリン

2009-07-19 12:58:53 | 短編集バー物語
「美の壺:バイオリン」NHK


今回の番組は、バイオリン自体を語るものです。
バイオリンが奏でる音楽と同じくらい私達を楽しませてくれます。

上記の写真は我が家のバイオリンです。
無論、安いものです。
娘が小遣いを貯めて購入したお稽古用ですから。


番組ではバイオリンの名器をとおして、その魅力を語ります。
バイオリンの名器は、音色は伸びやかで、繊細、それでいて迫力がある。
そのボディーはあでやかで、きらびやか。
60cmのボディーは完成された美術品とも言える。

17世紀以降、多数の名器が生まれた。
ストラディバリウス・アマディ・など。
年代物と市販の初物と比較すると、
その音色は、深い厚みのある音色。

楽器自体が生きているような錯覚を演奏者に与える。
姿は、均整の取れた美しさで魅了する。


<美の壺:優雅な曲線が最高のボディーを作る>

ボディの特徴は、それぞれの名器に特徴を与える。
本来の形は、演奏中に弓が当たらないようにした物である。
ボディ作成のそれぞれの過程に、熟練された技術が宿る。
アーチのふくらみ一つで、音が微妙にかわる。


<美の壺:fが表情を作る>

f字孔は、物理的には
弦の振動⇒こま⇒板⇒共鳴⇒f字孔⇒空気⇒渡した地の耳
と響く。
このfの位置は、ボディの黄金比(1:1・6)に一致する。
ミロのビーナスに代表されるベストプロポーション。
そこには、計算し尽くされた美が隠されている。

デザイン性にも優れ、フォルテシモをイメージする。
女性を意味するfemaleに由来する説明もある。
バイオリンのボディー自体がまろやかな女性の体を想像させる。


<名器に近づく模倣力>

先端技術の利用で、名器模倣が行われている。
キズやヘコミさへも写し取られる。
ニスの塗り方一つにも、研究がし尽くされる。
日本の技術力で次世代の名器誕生なるか。


今回は、バイオリンのボディを中心に構造と製作を通して、
その魅力を紹介しておりました。

ゲストに千住真理子さんが来ておりましたので、是非、
演奏のポイントなども紹介していただきたかったですね。
ちなみに、芋太郎は、女性のバイオリニストが好みです。
所蔵のCDのジャケットを見たら、千住真理子さん、寺井尚子さん
、川井邦子さん、などなど。

美の壺:木造校舎

2009-07-18 09:43:30 | 美の番組紹介
「美の壺:木造校舎」


長野県の塩尻市立木曽楢川小学校は、平成3年に木造校舎を新築。
地元のひのきをふんだんに使った、地元の人々による手作りの
木の香り漂う空間。


最近の環境保護を推進エンジンに、実は、木材が見直されている。
木には音を吸収したり、湿度を調整したりする働きがある。
昭和30年代以降、校舎といえば鉄筋コンクリートが主流でしたが、
木のもつ安らぎが見直され、木造の校舎を建てる学校が増えてきています。


今回の番組では、 明治から昭和にかけて建てられた学校を紹介する。
ほとんどが木造で、その土地の木材を使い、地域の人々の手によって
建てられたものも少なくありません。

今では、地域のシンボル的な存在になっている。
長い間使われてきた木造校舎の美しいたたずまい。
木造校舎は、人々の記憶が宿る、ふるさとの原風景です。



<美の壺1: そびえる塔は新時代のかたち>


明治9年に建てられた長野県松本市の旧開智学校。
西洋風の縦長の窓、バルコニー、天使のレリーフ、龍(りゅう)の彫刻など、
和と洋が入り混じった不思議なスタイル=擬洋風(ぎようふう)建築です。

明治のはじめ、外国人居留地などに建つ擬洋風建築の塔は、強い印象を
与えました。
上品で整った感じをかもし出す、新時代にふさわしい塔のある擬洋風建築
の校舎を見よう見まねで建築ました。

塔の内部には、舶来のステンドグラス、天井には授業の開始を告げる鐘
(太鼓の校舎も)、ペンキを塗り、石づくりのように見せた土台、
その上で、八角形の塔が異国風の姿など、西欧への憧れと、追いつき追い越せ
という時代の空気が凝縮している。

日本や世界の地名が記されている塔もある。
子どもたちはこの塔に登り、まだ見ぬ広い世界に夢を描いたのかもしれない。

旧開智学校の建設では7割を地域の人たちが寄付しました。
教育への熱い思いが、この校舎に込められています。


<美の壺2: 窓がとりまく 光の空間>


明治の中ごろ、学校建築のスタイルがわれわれの時代様式に変わります。
南向きの教室が一列に並ぶ細長い建物。
60~50歳の世代が思い浮かべる木造校舎です。

日本の学校は、窓が多いことが大きな特徴です。
教室の南側一面にとられた窓、廊下の窓、さらには廊下と教室を隔てる壁
にも窓。
木造校舎は窓に取り囲まれた空間なのです。
日本建築の伝統として、日本家屋の特徴を受け継いでいます。
障子をガラス窓に置き換えた様式です。


「窓がとりまく 光の空間」


開放的で光に満ちた教室は、日本の木造校舎独自のものです。
ハリーポッターに観るように、西欧の教室はどこか権威的です。
光りをたっぷりと確保した日本式の建築様式は、学校全体をゆったり
感じさせている。



美の壺3: ハレの舞台は天井を見よ


講堂は、学校では特別のものでした。
入学式や年次式を行う特別ないわば公式の格式ある場所でした。
明治初期に建てられた旧開智学校の講堂の天井には、シャンデリアや鳳凰
の彫刻などが飾られています。

岡山県高梁市の吹屋屋小学校は、古くから銅の産地として知られた地域で、
現存する木造校舎の中では、日本でもっとも古いものです。
講堂の壁と天井の境目がカーブを描いています。
寺院や城の天井に用いられてきた天井を高く豪華に見せる折上手法。
二重折上格天井の校舎も岡山県真庭市の旧遷喬尋常小学校で観られます。

吹屋小学校の講堂は広さ百畳あまり。この広い空間を支えているのは、
トラス構造という当時の先端技術でした。
トラス構造は、木材を三角形に組み合わせて強度を高めるもので、
橋などの建設に用いられます。
その技術が講堂の天井に使われ、大きな空間を支えている。


現在、木造校舎の運命は多種多様です。
廃校後、国の重要文化財に指定され、今も地域の行事などに使われている。
地元の木を使い、技巧を凝らして作り上げられた木造校舎は、
今も地域の人々にとってかけがえのない宝物なのです。


そう、大切な宝物。

アルミサッシに替える計画が頓挫したのも当たり前です。
長年使われ続け、磨かれた木の床。
木枠の窓を開け閉めするときに聞こえる音。
“時”が作りあげた独特の味わい。


しかし、壊されてしまった木造建築の方が多いのです。
芋太郎の小学校もそうでした。
安全という名前で、伝統文化に対しあまりにも無関心でいた昭和の時代です。
明治の校舎だけではなく、もっと伝統のある建物に対しても。

手間もお金もかかるけど残してゆこうとする精神が文化を育み、日本という
国を誇りに思うことにつながると考えます。

お金は使って何ぼのものです。
今の平成時代は、勝ちある投資をしているのでしょうか。
そのな危惧を思う番組でした。


上記の写真は、芋太郎の奥が通学した鹿児島県出水市の小学校です。
建物は別に、城門がすごいでしょう。
昔は、男子生徒しか通れなったと聞きました。
島津藩に関わる建物です。
時代の融合もまたいいでしょう。

写真集の紹介をします。関東編です。別に関西・中四国も
あるみたいです。
木造校舎の思い出―芦沢明子写真集 関東編
芦沢 明子
情報センター出版局

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NHK日曜美術館 クリムト

2009-07-17 19:44:56 | 美の番組紹介
NHK日曜美術館 クリムト


まず、クリムトの基礎知識はウィキペディアから学んでください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%88

画像はこちらを参考にしてください。
http://www2.plala.or.jp/Donna/klimt.htm
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/K/Klimt/Klimt.htm



日曜美術館という番組の中で「クリムト」をすべて語ることはできない。
ついては、まったく知らない方、を対象に本ブログは「クリムト」を
ご紹介します。


まず、生きた時代を理解しましょう。
人は、経験から学ぶ。そこから、飛躍する。
時代は、オーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルク帝国の最後の時代だった。
フランツ・ヨーゼフ皇帝は1848年、18歳で即位。革命の激動期であった。
きらびやかな、爛熟した文明の朽ちる瞬間に立ち会ったのが彼自身である。
それは、未来への不安であり、信じるものを失った時代でもあった。


幼い頃は省略し、いきなり、彼の先鋭的な話からいたしましょう。

1894年にウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼される。
『学部の絵』と名づけられた天井画は『哲学』、『医学』[1]、『法学』の3部
からなる。
テーマは、人間の知性の勝利を高らかに歌いあげるという意図。
しかし、彼が描いたのは理性の優越性を否定する先鋭的な絵画であった。
その是非をめぐり大論争を引き起こし、契約の破棄、事前に受け取った報酬を
返却にまでいたる。


美術館および個人に売却された3枚の絵は後にナチスによって没収され、
1945年にインメンドルフ城において焼失。
非常に残念な結末である。


なぜ、当時の支配層に受け入れられなかったのか。
題材のタブーである裸体、妊婦、性描写を前面に押し出していた。
・・・エロティックであるが非常に印象的な絵画。


形而上学的な難しい話はここまでとして、日曜美術館から、3つのポイント
をご紹介する。

1、なぜ、金を多様したのか。
  番組では、日本の影響を指摘する。

  琳派に関する所蔵品が多く残されていた。
  当時、ジャポニズムがウィーン万博を景気に欧州を席捲していた。
  日本の俵屋・緒方の黄金の屏風に代表される美。
  金の絵画への応用を日本の屏風絵から学ぶ

2、琳派からの影響は彼自身が金を扱う工芸職人の家に生まれて、
  金粉などの取り扱いに長けていたこと。
  琳派の画法を再現できる能力を備えていたことである。
  
  同時に、かれは、構図の取り方も学んでいる。
  アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ 
  ダナエ
  の構図と緒形光琳の紅白梅図屏風の構図の取り方と類似する。
  まさに屏風絵から構図を学ぶ。
  参照: http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin.html


3、琳派の屏風絵からだけでなく、その所蔵品にもあった浮世絵からも
  学んでいる。
  浮世絵にある日本独自の文様である。
  日本の浮世絵や着物に描かれた文様の面白さを彼は自分の絵画に
  取り入れている。


最後に、なぜ、彼はエロスを追及したのか。
黄金は神に使う色として、古くから用いてきた。
それを、ふんだんに、男と女の情交の場面に、女のエロスに用いている。

番組の出演者は、生と死を意識していたようだ。
そう、すべてを脱ぎすてれば、人間みな生と死。
それは、「エロスの表裏」でもある。
とでもいいたげに。

皆さんは、彼の絵画から何を感じますか。
評論家の論評などどうでも良いでしょう。
ご覧いただいたあなたがどう感じたかです。
それこそが、彼ことクリムトが望んだことではないでしょうか。


上記の写真は私が好きな一枚です。(一部描写ですが・・・)
理由は書きません。
あなた自身が感じてください。(笑)

ご照会:日本人が書いたクリムト書籍
外国人の著者は多いのですが。・・・
クリムト 金色の交響曲 (Shotor Museum)
宮下 誠
小学館

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奥の創作エプロン

2009-07-12 14:40:55 | 「美」発見

川越芋太郎の「奥」が作る世界に一つの素敵な創作エプロン!お料理教室でも、新婚家庭でも、セレブの奥様にも、お似合いです。色・柄などあなたのご希望で、心を込めて一点づつ、お作りします。芋太郎までメールでご連絡をください。
2、000円(送料別)~

芋太郎:kawagoe_imotaro@mail.goo.ne.jp

美の壺:ランプ

2009-07-11 10:10:34 | 美の番組紹介
「美の壺:ランプ」   NHK


19世紀(江戸末から明治始め)、欧州から紹介された
「闇を照らすランプ」
ランプ(灯り)は人々の生活を一変させた。


灯りの工夫はより綺麗な光と自然光を目指し今日も進化している。
ランプの光源としてのより明るい光を求めて、
ガラスの傘が考案された。
やがて、ランプには、個性が灯る。


電気が発明されて、ガラスランプはさらに、進化する。
暗い光源をカバーするために、
より自然光に近づける為に、
ガラスの傘に工夫が宿る。
(日本には明治の終りに輸入)



<美の壺1:玉(白玉)が生むやはらかな光>

骨灰を混ぜた白玉の輝き。
乳白色のガラスが生む、やわらかい光。
「白」が生活空間に安らぎを生む。
日本ならではの工夫と美意識が織り成す美しさ。


実は、白い外の傘にも、この白玉が生かされている。
例えば、赤いガラスの内側に白玉のガラスを重ね、
明るさの増加とやわらかさを演出している。
繊細な空間の創造創造です。



<美の壺2:ガラスに眼る色の深み>

ステンドグラス
一枚一枚の花や葉の色が複雑に混ざる。
ガラス一枚一枚の魅力を引き出すことがら作成が始まる。

板ガラスに色を混ぜる、微妙な不均等性が、美を演出する。
予期せぬ色と深みを浮かび上がらせる。
代表作家として、ルイス・C・ティファニーの作品を番組では紹介する。


ステンドグラスの製作には、デザイン⇒下絵⇒ガラスの切り出し⇒接合
どのガラス部位を利用するかで、印象が変わる。
作品の面白さである。
一つとして同じものはない。



<美の壺3:和と調和するたたずまい>

ランプで重要なことは、目線・角度や光がもたらす効果がある。


座敷ランプは、90cmの目線での鑑賞が美しい。
座した目線を重視している。


そこには、客をもてなす日本人の心がある。
優美な光源と美術的な燭台。
竹などの日本独自の素材を活かした燭台。
部屋の壁一面に薄し出される投影の世界。
日本人は生活に合わせて美しく変えていった。


上の写真は、我が家のステンドグラスの一つです。
薔薇が好きな奥へのプレゼントに芋太郎が購入した机上ランプ。
その周りにあるのが、奥購入の天使のランプたちです。
光源を入れると別世界が誕生する。


やわらかい光、いいな。

緑を増やそう!ベランダに庭を!」

2009-07-11 10:10:19 | 「美」発見
「緑を増やそう!ベランダに庭を!」


海や川の水を見るとほっとする。
緑の日陰の下の時間でやすらぐ。
坪庭や盆栽を愛でる創造と心の満足感。
部屋に飾る観葉植物たち。


私達は、どうやらDNAの中に、自然を愛し求める心が宿っている
ような気がする。


最近の首都圏、特に駅前住宅地の緑は少ない。
郊外の大規模開発には、多少の緑や水が残されている。
東京の都心は以外と緑がある。
マンション業者さん、どうにかならない?


環境問題やエネルギー問題と合わせても、緑を必要と
していることは明らかです。
私達は経済合理性だけで生活している訳ではない。


さて、自分でも・・・。
できる事というよりも、欲しくて、マンションのベランダに
緑を取り戻しました。


といっても、泥を敷き詰めることはできませんので、それなりですが。
ベランダで、2畳スペースの縦長簡易庭園の完成です。
写真の一角は、我が家の奥の手作りコーナーです。
みなさんも、手軽に、鉢植え1つから始めてみませんか。


実は、これがなかなか男性にもいいのです。
芋太郎は、よしづがつくる木陰と緑たちが生む清涼感を感じながら
読書やパソコン、そして夜は一盃と楽しんでいます。
緑はいいな。
あと水辺が欲しいな・・・。(笑)

美の巨人たち:藤田喬平のガラス箱シリーズ

2009-07-09 21:56:22 | 美の番組紹介
「美の巨人たち:藤田喬平のガラス箱シリーズ」


まず、最初に画像を眺めてください。下記のアドレスから
:http://www.ichinobo.com/museum/kazaribako.html


藤田喬平は、ガラス工芸を現代アートへ導き、芸術にまで昇華させた。
世界を驚愕させたガラスをご覧いただきたい。


代表作として、
「菖蒲」・・・蓋には銀箔の装飾を施した花、側面には葉を描く。
「しだれ桜」・・・金とプラチナ箔を用いて色ガラスを散りばめた
さくらの花びら。
「紅白梅」・・・伝統図案のみやびと繊細を表現する。
まさに、ガラスという新しい素材で伝統に挑戦した。


残念ながら評価されたのは、はやり海外から。
コペンハーゲンで東洋の美・神秘の美として驚愕をもって絶賛された。
「何をいれる箱か」と問われて、「夢」を入れよと答えたという。
まさに、所有者の「夢」の大きさを測られる箱でもある。


藤田喬平の足取りをたどれば、一朝で完成したわけではない事が判る。
試行錯誤の連続である。
芸大の彫金部を卒業するも、日々、工芸ガラスの職人でしかなかった。

画家や彫刻家のレベルまでガラス工芸を高めたい。
その思いが独立を促し、明日の力となる。
現実は、生活の糧を得る為の作品作りに追われた。


そして、開花したのがコペンハーゲンでの展覧会であった。
一人の東洋人が持ち込んだ「美の箱」!


藤田は長年、琳派にあこがれていた。
ガラスをアートとして見せられる方法を琳派の中に見た。
実用品を感動による意匠で芸術に昇華させた琳派!
琳派をガラスの中に閉じ込めた。
いや、日本の伝統をガラスの中に閉じ込めのかも知れない。


現在、宮城県の松島の美術館でその作品を鑑賞することができる。


ここで忘れてはならないことは、ガラスアートの宿命である。
作家が直接手を下せない世界=製作工程がある。
職人の腕が作家の思いを形にする。
生かすも殺すも彼等の腕による。


藤田が行ったのは、製作現場に居ながら絶え間ない創造を行った事である。
ひらめきを職人の技を信じ、自分の美を託し、追求した。
そこから、独自の色と世界が開けた。


それは、日本やイタリアの職人との合作でもある。
そして、感動をガラスに吸い取った。
ここに、藤田喬平の琳派が花開いた。
それは、男の夢でもあった。


さて、貴方ならこの「夢の箱」に何を入れる?

番組を見られなかった方は下記からネットで眺めてみてください。

藤田喬平ガラス美術館
:http://www.ichinobo.com/museum/kazaribako.html

美の壺:絨毯

2009-07-08 08:39:10 | 美の番組紹介
「美の壺:絨毯」  NHK


絨毯には不思議な魅力がある。
部屋を華やかにし、洗練する。
西アジア生まれの工芸品は、何十世紀も経て昇華を続ける。


その複雑な文様はどのように生まれたのだろうか。
まず、複雑な文様に注目しよう。



<美の壺1:結びがつくる”点描画”>

一枚の絵画といわれるイラン絨毯!(ペルシャ絨毯)
まずは、その裏面をご覧あれ。
結びのノットを数える事で、その緻密な技法を見よ。
1平方cmの中に9×9のノットがあることはざらであり。
無論、ノットが細かいほど、複雑な文様となる。

さらに色糸を使い分けることで、複雑な文様色を作り出す。
途方もない手間と時間が作り出す壮大な点描画である。
私達がその上に座る事ができる「絵画」である。



<美の壺2:文様が特別な空間を作り出す>

文様というか、デザインにはパターンがある。
四角の枠で囲むボーダーという構成は、中の図柄を引き立たせる。
その内部がフィールドとして、色々なものを描く。

フィールドに描かれるものは、美しい世界・理想の世界が多い。
サバクの民は、その文様に特別な意味合いを込めている。
いわば、絨毯一枚でつくる特別な空間である。

例えば、

ミフラーブというアーチ型のくぼみがあるものは、モスクで祈りに
利用される絨毯である。
アカバ神殿の方向を示し、絨毯をその方向に敷くことにより、
祈りの場所に変えることができる。

メダイオンとは、太陽や宇宙の中心を描く。
数々の自然を周囲に配置し、生ある空間を演出する。

では、この絨毯が日本文化へどのように浸透したのであろうか。



<美の壺3:段通に和の工夫>

江戸中期元禄時代に最初に鍋島藩で絨毯がつくられた。
色糸は、日本特有の木綿を使用し、落ち着いた色や大柄文様が特徴
である。
木綿は高温多湿の日本に適合していた。

日本文化の影響を受け、
敷き詰めの絨毯から畳の上に敷く事ができる臨時使用の絨毯が考案
された。

代表的なものは、披露宴や茶会での利用を念頭にしたものがある。
耳の片方のふさをとり、上座を意識させるなど、
畳一条の大きさにつくられた絨毯など、
まさに日本風である。

日本の生活空間に溶け込んで、さらなる魅力を引き出した。
イランでも、日本でも、絨毯は特別な空間を演出する格好の生活品
であり、同時に高度な芸術品である。
これは、私の考えですが・・・。



さて、上記の我が家の絨毯ですが。
一枚目はシンガポールへ旅した時に購入。
二枚目は川越の近くの店。

三枚目が本日のもの。
ペルシャのクム、濃い紫にピンクのバラ、
奥の「お・気・に・入・り」です。
その後、増えております。・・・!

美の巨人たち:濤川 惣助 迎賓館 七宝花鳥図三十額

2009-07-05 22:16:35 | 美の番組紹介
「美の巨人たち:濤川 惣助 迎賓館 七宝花鳥図三十額」


東宮御所 赤坂離宮は明治42年完成。
2階大食堂の100坪あまりの国賓の間として、花鳥の間が設けられた。
アンリ2世様式の迎賓館に対し、明治における匠たちの技術の粋を極めた
作品が飾られた。


その中にある、七宝焼きの花鳥図30枚を紹介する。
唐草文様額の中にガラス質の皮膜に神業が閉じ込められている。


従来の世界常識からかけ離れた無線の方式。
それは、有線方式という伝統からの離脱と新しい概念の確立を目指した
濤川 惣助の執念と情熱の結晶が見られる。


七宝の世界標準は、有線方式であり、京都の濤川 靖之を代表とする極限の美
がそこにあった。
七宝の伝統の極を求めて、極限の美を求める一人の濤川。


相対する惣助は、丁稚あがりの努力の人。
無線という技術的な多難の道を狂人という別名を貰いながら
一筋に極めた男。


にじみ、ぼかしに代表される技法の開発と困難な作業は、一工芸品ではなく、
絵画の七宝を生み出した。


江戸時代に“美術”という言葉がなかった。
“美術”は、ウィーン万国博覧会に参加の準備をする際にヨーロッパから
輸入された言葉で、“工芸は美術に非ず”という考えもこの時日本に
初めて入ってきたのです。


そして、七宝が濤川惣助を得て、美術として人々は鑑賞することとなった。
濤川惣助の代表作として、有名な「七宝富嶽図額」。
雲海に浮かぶ富士は、にじみとぼかしを生かした、まるで筆で描いたような
やわらかさを感じさせる。
絵画として鑑賞された一枚である。



惣助は、渡辺省亭の描く下絵と格闘する苦難の日々とおし、ついに明治40年
表題の30枚の七宝花鳥図を完成させた。


荒木・濤川靖之連合の有線七宝を抑えて、採用された。
日本の美を描き出した絵画を越えた七宝の誕生である。
あまりの神業に、「無線七宝魔道の工芸」と呼ばれた。


現在、迎賓館は夏の一時期のみ一般開放される。本年度は応募終了したと聞く。
東京国立博物館(上野)で彼の作品の一部を見る事ができる。


文書で描いても、現実の感動は蘇らない。
ぜひ、一度、見ていただきたい。


素晴らしい。
有線では描けない色と色のかさなり、ばかしとにじみは世界初の技法として
七宝が筆で描いた絵画と比較し得る域に達した作品。


惣助は、この30枚の花鳥図を完成させた後、63歳でこの世を去っている。
まさに、遺品としての芸術作品を残して。
かれは、「誰も見た事が無い、やった事が無い不可能とされた美へ挑戦し、
永遠の命を与えた究極美を生み出した。」


日本人の先達として誇る事ができる芸術家である。
情熱を技術に代えて、描き出した作品である。
燃え尽きるような情熱は、惣助の短い命とはうらはらに、永遠の命を描いた。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/

美の壷:花菖蒲

2009-07-04 18:20:27 | 美の番組紹介
「美の壺:花菖蒲」 NHK


本日の美は、花菖蒲(はなしょうぶ)。
日本の美を代表される襖絵によく出てきますね。
番組の流れで紹介します。

アヤメ科の植物です。われわれ門外漢には、アヤメやカキツバタと
区別できない方が多いのではないかな。
原野に育成しているアヤメと比較し、付け根が黄色く、人工的に
改良されてきた感のある菖蒲です。

品種改良の結果、なんと5000種類あるそうです。
交配ごとに変わるその姿。
創られた美といえば、盆栽に似ているのかもしれない。

番組では、3つの流れ(江戸系・肥後系・伊勢系)を紹介しながら、
菖蒲鑑賞の美の壷を教えてくれる。


<美の壺1:メシベの立ち姿を見よ>

菖蒲の特徴は大きなメシべにある。
花の美しさは、花ビラだけでなく、「天に立つ」メシベが芯となり、
相乗効果をもたらす。

菖蒲は尚武という文字と関連され、武士階級に支持者が多かった。
一年をかけて育成し、たった3日の美しさのために鍛錬を重ねる。
その中心となるのが、「天に立つ」大きなメシベ。
武士階級の人々は己の姿をそこに見たのかもしれない。

同時に梅雨時に咲く菖蒲に日本の美意識が絡まったといえる。
それが第2の壷に引き継がれる。


<美の壺2:微妙な濃淡のつくる紫を味わう>

優雅な姿が愛されてきたが、「天に立つ」メシベを引き立たせる
しなやかな花弁。
長雨の季節は、夏の原色と比較し穏やかな色とグラデーションの
美しさを愛でる日本的美観に合致。

それは、原色の紫の微妙な変化として、品種改良に勤しまれた。
花菖蒲は、武士の座敷だけでの鑑賞から抜け出して、
群生の美しさを生み出してゆく。


<美の壺3:配置がみせる群生の美>

各菖蒲園は、それぞれの美感を求めている。
大きなキャンパスとして人工的であるが故の工夫がされている。
色の濃淡・遠近を生かした一つの絵画として見る事ができる。

そう、貴方も、一年毎の再会を梅雨この時期に果たしませんか。


上記の使用写真は、
あじさいで有名な鎌倉の長谷寺で、奥が撮影したものです。
寺の裏側にあるそうです。
長谷寺参照:http://www.hasedera.jp/index2.html


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