川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

川越芋太郎の世界へようこそ!
一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

美の壺:横浜スペシャル 第二弾

2010-11-30 22:10:23 | 美の番組紹介
美の壺:横浜スペシャル 第二弾


横浜は開港と供に始まる。
故に、開港、即ち外国貿易との接点として、政治経済文化の側面で
日本と世界の接点となる。
押し寄せる西洋文化を取り入れ、大いなる成長を遂げるか。


<美の壺4:カンナが生む極上の曲面>


横浜が誇る1つ目の文化的生産物として、家具を挙げている。
横浜家具はあの横浜名物のホテルにも現在も配置されている。
どっしりとした風格ある出来栄えである。
17世紀西洋文化的な趣を独自の木工技術で受け継ぎ、
さらに、日本的のものを加味して完成させた。


外国では、曲面が多様されるが、日本では平面を主体としている。
それは家具も服も同じであった。
しかし、同じ曲面を生み出すにも、外国のヤスリ方式では、
すべてが丸みを帯びてしまい、切れがなくなる。
日本の職人たちは、道具の工夫と技術の向上をもって、
独自の曲面を創造した。
それが、100を超える種類のカンナにより可能性とした。

まさに、職人技である。
素晴らしい、日本の家具は外国人に大いに評判となる。



<美の壺5:捺染に込めた横浜ドリーム>


世界でもトップレベルの職人技は家具だけではなかった。


浮世絵作りの版画の技術を応用した
それが、捺染という多色刷りの技である。
幾重にも重ねた染色による色鮮やかなシルクが第二の横浜工芸である。


シルクのハンカチとして、日本的なものを前面に押し出した色柄や図柄。
それは、大いに外国人の評価を得た。


実は、明治の世になり、諸国の各藩お抱えの絵師や工芸師が溢れ出し
横浜の地を目指して上京した。
そんな彼等が、日本の誇りを持って製作した。
このシルクもその一つであろう。


<美の壺:横浜焼きで伝えた和の誇り>


宮川香山に代表される工芸家たちのほとばしる情熱。
それは、「西欧文化、なにするものぞ!」という側面があったのだろう。
各地の陶芸技術を一体化し、それを結合させて、新たな日本を紹介した。
薩摩焼きに京焼きを加味し、日本的なものを際立たせた。


それは、ジャパネスクとして、パリの万国博覧会で花開く。
欧米人は、日本の美に驚愕した。
日本固有の文化を西洋文化に加味した。
ティーカップの側面360°すべてに山水画を焼き付け、
蒔絵の技法をも惜しみなく注いだ。
出来上がったティーカップ(陶器)は一級の出来栄えだったはずだ。


そこのあったのは日本の美への飽くなき探求と日本の誇りであろう。
それは、いまの日本の高度技術や美術品に受け継がれている。
そう考えたい。
日本の製品は一級の出来栄えを誇る。
それを失ったとき、日本製品である必要性が失われる。
昨今の海外の現地生産には疑問を呈したい。


それは、もはや日本製品ではなく、単なるコンピューターが生み出す
商品ではなかろうか。


あなたの街も必ずや「横浜」に勝るとも劣ると言えない「何か」が
あるかも知れません。
調べてみてはいかがでしょうか。


大日本明治の美―横浜焼、東京焼
田邊 哲人
叢文社

11月度推薦図書

2010-11-29 21:12:58 | 本を読む
11月度推薦図書


今月は尖閣や韓国哨戒艇沈没やら延坪島砲撃事件やら
アジアのきな臭い話が立て続けでした。
と言い訳で、戦争に関する本を紹介します。


1、ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる
著者:ゴードンウッド  出版社:慶応義塾大学出版会

建国の父であり、発明家である彼の人生を独立戦争を通し
描き出す。
印刷工は地位と名誉を求めて精進し、労働と苦痛からの
開放を夢見る。一応の出世をしたからは、安泰としての
紳士の道を選択する。
しかし、本家の大英帝国からは植民地の成り上がりものと
してしか観られず、一方で、植民地の人々からは同胞として
信用されなかったらしい。
栄光と挫折、喝采と疑惑、幸運と不幸、嫉妬と虚栄、高慢と
怨念とあらゆる人間の煩悩に悩まされながら、人生を送る。
なぜか、建国の父が身近に思えた本書である。


2、戦争とアメリカ
著者:ドルー・ギルピン・ファウスト 出版社:彩流社

南北戦争を舞台とした恋愛小説とくれば、そう、「風と
供にさりぬ」であろうか。
恋愛小説のモデルとなる南北戦争は、戦死者の数からは
  対外戦争にも匹敵する62万人が犠牲となった。
著者は、奴隷制度と比肩できるほど、大きな意味があると
いう。近代国家による戦争でこれだけ大量の国民の命が
犠牲となった。
徹底的な記録主義や大霊園もこの戦争に根底があるという。
近代戦争の引き起こした戦争と鎮魂の歴史を垣間見てみよう。


3、日本の独立 
著者:植草 一秀  出版社:飛鳥新社

著者はかつて、天国と地獄をみた。
御承知の地獄とは、車中の破廉恥行為で検挙、マスコミから
集中砲火を浴びた。
あの行為の是非はここでは解説しない。
本書は、独りの国民として、独りの知識人として、彼の
心底からのメーッセージが隠されている。
戦後の米国による支配体制。
(明治維新からの西欧による支配体制の一環と主張する人々
 もいる。)
日本の政治経済を取り巻く怪しい陰の存在を扱う書。
やはり国民として一読はしておきたい。
戦争とはなにも弾が飛び交うだけのものではない。


ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる
ゴードン S.ウッド
慶應義塾大学出版会


日本の独立
植草一秀
飛鳥新社


美の巨人たち:小松 均

2010-11-28 19:42:00 | 美の番組紹介
美の巨人たち:小松 均 
 
京都国立近代美術館収納 「雪の最上川」


92cm×4m52cmの大画面
4枚の大画面をさらに上下左右に積み重ねた迫力ある10mの
大画面の最上川。
色彩取り去った白と黒の山形の冬景色。


観るものに日々海老江とした換気
とうとうと流れる最上川
人も獣もいない真冬の最上川
全てを拒絶するかのような凛とした冬の大自然が横たわる。


小松均は何を見、何を描きだそうとしたのか。


小松は、住職の家に生まれるも、そうそうに父を無くし、
一家で親戚の家に実を寄せる肩身の狭い貧乏生活を余儀なくされた。
13歳で近隣の寺のご本尊紛失事件に際し、木から削りだした
仏さまをつくる。
これが、芸術への目覚めであろうか。


18歳で上京し、土田麦僊に師事する。
麦僊はかれの描く日本画に抜群のデザイン力と土の生命力を感じ
彼を認めることとなる。


彼の第二の故郷となる京都大原。
小松の自宅兼アトリエは、とても粗末な掘建て小屋であった。
畑作業のかたわら、描く色彩の日本画。
大原女少女はかれのこの時期の代表作。
見事な色彩が目を引く。


大原での30年間は、徐々に色彩から墨へ彼の日本画を変えてゆく。
変わらないのは自然を見つづけたことであろうか。


66歳で山形(故郷)へ錦を飾る度に出る。
50年ぶりの故郷の自然との再会。
言葉では尽くせない望郷の念にかられたのか、
最上川との葛藤が始まる。


最上川難所にみられる世界は光と激流
栗の花咲く最上川では、なだらかな丘陵と木岐の美しさ
そして、集大成がこの「冬の最上川」であろうか。


観るものに、最上川の流れを感じさせる。
いや、画中の最上川は凛とした空気とともに流れている。
宮本武蔵五輪の書に学ぶ刀と筆の違い和有るものの、
あるがままに、自然に、まばたきもなく、
連続的に描き出す。
点は線に、線は世界に、呼吸さえ感じされる自然の息吹。
ほとばしる生命の躍動がある。
最上川の動と山形の山並みに代表される靜の世界。


小松は真冬に行火と毛布にくるまり、現場主義にのっとり、
最上川の大自然の中で、命を賭けて描き出した。
そこには、剣豪の滝に打たれる姿にも似た、漲る気迫と
大自然を身体で感じ精神を磨き、自らの技を磨く姿が
迫ってくる。


雨・風・吹雪に負けず、
すさまじい気迫
精神世界の墨の世界こそが相応しいのかもしれない。

五月雨を集めて早し最上川

われわれは、この詩を読んでも山形の大自然を理解できない。
しかし、小松均の冬の最上川を観ると、
東北の冬の厳しさと凛とした自然の強大さ、
そして、人の心が現れる厳しく・激しい世界を
目の当たりに出来る。

この絵は、まさに躍動している。
生きている。


画人・小松均の生涯―やさしき地主神の姿
田中 日佐夫
東方出版


ぼくの むら (至光社国際版絵本)
小松 均,武市 八十雄
至光社


美の壺:横浜スペシャル(前編)を視聴して

2010-11-21 21:55:55 | 美の番組紹介
美の壺:横浜スペシャル
前編 を視聴して


横浜といえば、学生時代の遊び場の一つ。
ニューグランドホテルで止まる身ではないので、
見学だけした記憶がある。お茶も飲んだかな(笑)
港の見える丘公園やフェリス女学院、数々の洋館を
左右に見渡しながら走る山手の通りを走り、
歌にまでなったドルフィンで食事した思い出。
また、子供の頃よく、家族で出かけた中華街。
食事も饅頭も買い物も楽しんだ。


さて、話は「美の壺」に戻ります。


<美の壺1:塔は元祖横浜の顔>


う~む。
私の「横浜」観は見事にはずれのようです。(笑)
横浜の顔は、幕末開港から始まる。
西洋の玄関口として近代日本の象徴となる。
建築の美としは、古くは山手の街並みを挙げる。
赤レンガの倉庫群も素敵であるが、番組では3つの建物を
紹介する。

1、 ジャック
横浜開港記念館
開港50周年記念の建物
立野金吾による明示の代表的建築である。

2、 キング
神奈川県庁本庁舎
帝冠様式(日本古来の風貌を象徴した西洋風建築)

3、 クイーン
イスラム建築を模した建物
帽子をかぶった女性のイメージをダブらせた


このそれぞれの塔が様式を自己主張し、横浜の顔として鎮座する。
3つの建築物は無論、近くで見上げても美しいのであるが、
実は、海側から眺めることでその特徴と美しさが際立つ。
横浜は、外の海から来た船乗りたちが、
最初に眺める日本の建物である。
まさに、「横浜の顔」であった。


今でこそ、他の建物に埋もれてしまい、目立たなくなっているが、
当時の海からの眺望は素敵であったようだ。


<美の壺2:馬の背が作り出す洋館の美>


横浜といえば、洋館と言われように西洋建築が多い。
特に、山手の小高い丘陵が有名である。
開港当初は、居留地に限定された外国人の居住区も
手狭になり、拡大された。
外国人が求めたのが、港を見渡す小高い丘。
山手の丘は細長く、馬の背と呼ばれる。
背中の中心に道が走り、左右は斜面となっている。


瀟洒な洋館は傾斜地を利用した特長的な建物である。
道側から眺めてもその様相は見えない。
斜面を利用した庭との一体感が見事であるという。
イギルス式庭園もあれば、イタリア敷き庭園もある。
丘越しに見える洋館の美は異国風景以上に
西洋文明への憧れを生み出したのではなかろうか。


<港全体が奏でる調和の美>


実は横浜という都市は、自然発生的に出来上がった街ではない。
それは、都市計画に基づく、確固たるポリシーに基づくと言う。


その一つが「色彩の調和」である。
ベイブリッジを中心とした海側を計画的に「白」で統一している。
海への一体感を醸し出す演出です。
丘側はオリーブグリーンで統一化しているという。
ビルをはじめとした近代的な建物は、すべて白とガラスの
コンセプトで統一している。
未来と過去の調和を目指す。


さらに、昔の3つの建物目線と同じく、
海側から眺める視点を重視し、
海に向かって建物の高さを低くしている。
海から見え易くするためである。
歴史と未来の共存を目指す姿勢が貫かれている。


なるほど。
感心しませんか。
貴方の街では、どのような街づくりが去れていますか。
確かめてみましょう。(笑)
よいコンセプトが発見できるといいですね。


横浜今昔散歩 (中経の文庫)
原島 広至
中経出版


横浜タイムトリップ・ガイド
横浜タイムトリップ・ガイド制作委員会 (著・編)
講談社


喫煙道宣言  著者:馬場 啓一 を読んで

2010-11-20 21:30:13 | 知恵庫先生の講座
喫煙道宣言  著者:馬場 啓一  出版社:山愛書院


煙草吸いの、煙草吸いによる、煙草吸いのための自己美化運動である。
痛烈な批判ではない。
ここまで来ると、見守りたくなるくらい大らかな心境である。(笑)


さて、煙草を吸うか吸わないかはこの際問題ではない。
一つの文化として、本書を読んでみてください。
世の中には両面があります。
その両面を知ることで、自分自身の中に、新たな世界が生まれます。
喫煙という世界も同じです。


川越芋太郎は禁煙派です。(馬場さん、すいません。)
しかし、生涯禁煙かというと「嘘」です。
昔、一時期、喫煙していました。
その頃を紹介しましょう。
多分、本書より一掃、読者に身近でありましょう。


私の喫煙は自然の成り行きでした。
祖母、祖父ともに喫煙派でした。
父も母も本数は少ないのですが、喫煙していました。
しかし、子供の面前や室内での喫煙はしていなかったようです。
(ようですとは、記憶がないからです。)
喫煙派の家系であり、武士の家(寄居兜刀に囲まれた)であった
家系としては、道具に凝っていました。
子供心にそのような喫煙道具が記憶に残っています。


私が始めたのは、我が家の経済が復旧した頃、即ち、大学3年から
でした。
葉巻から始まりました。
今考えてみると、「なんとも凄い話です。」
葉巻⇒パイプ⇒紙巻の順番です。
大学時代は、誰しも通る道で、友人の進めもあり、喫煙道の
入り口でぶらぶらしました。(笑)
深入りしなかったことが、現在の健康を確保しております。

そして、大学卒業と供に終了しました。


もう、30年禁煙しております。(笑)
実は、高校時代から趣味で武道をはじめ、
健康には気をつけていました。
大学の2年間のみ、興味と健康の比率が逆転した訳ですね。
正直に言うと、経済的余裕が原因かもしれません。
経済の余裕が生まれ、やってみたかったことをしただけ
かもしれない。


では、話を「喫煙」に戻します。
本書で著者が嘆くように、禁煙権が巾を利かせる時代になり、
禁煙圏が拡大しております。
これは、ヒステリー症状かもしれませんが、
原因は喫煙者にあると言うのは言いすぎでしょうか。


紳士道と喫煙道を結びつけるような気概のある方々であれば、
(本著者や映画の中での主人公など)
このようなまねはしないのでしょうが、現実は以下の通りです。


歩き煙草で火がついた方を外側に向けて悠然と歩く
吸殻やフィルター部分を街路かまわず捨てる
女性や禁煙者の前でも、断りなく喫煙する
臭い域を吐きかけ、一向に気にしない
喫煙を注意されても逆切れする
レストランや飲食店でも平気で喫煙する
(場所をわきまえない、料理の味などかまわないのであろうか)
車の中で吸いながら、吸殻を路上に捨てる
初も出の中でも煙草をふかす(危険・神前も意識しない)


公衆への迷惑より自分の欲望優先の姿勢が目に余る。


あなたの捨てた吸殻をだれが掃除するのでしょうか。
あなたの持つ煙草の火で子供の顔が危険にさらされている
あなたの煙で周囲が「けむたい」状況下にあることを考えましたか
満員電車でヤニ臭い息や服装・髪のにおいを我慢する人を考えましたか


一度も考えたことはないでしょう。


度が過ぎたのです。
日本人は我慢強い民族です。
それもで、禁煙権を主張するには限界を超えたからです。
(流行ではない本物です)
喫煙者はもう一度、喫煙権を主張したいなら、己の身のこなしを
冷静に考え、改めるべきところは改めて欲しい。


それが、本当の喫煙道であろう。
単にイメージやカッコよさでない、本当の喫煙道が身についたとき
周囲も変わるでしょう。


違いますか、馬場さん。


喫煙道宣言 (TASC双書)
馬場 啓一
山愛書院


美の壺:自転車 を視聴して

2010-11-14 17:51:53 | 美の番組紹介
美の壺:自転車


100年以上まで、自転車が西洋文化のにおいと供に、
日本にも紹介された。
志賀直哉は、少年時代、学校・買い物・友達との行き来に、
自転車を日々厚用していた。
自分だけの西洋の香をまとう自転車に夢中であった。



<美の壺1:三角形に機能美あり>


フレームと呼ばれる、ハンドル・サドル・ペダルの3点を結ぶ
三角形が自転車の構造に大いなる特徴を生む。
マウンティンバイクは、重心を低くして安定感を作るために
三角形をサドル部分を低く置く。
ロードバイクは、事前と水平にハンドルとサドルを置く三角形を
形づくり、スピードを追求した。


もともと自転車は構造物自体が透けて見える。
それゆえに、シンプルで機能的な美しさが求められる。



<美の壺2:曲線に込められた遊び心>


衝撃と乗り心地を両立させる構造として三角形が理想的であった。
しかし、自転車が人々に受け入れられ始めると、
それぞれの思いが自転車の美を追求することとんる。

クラシック自転車
前輪が巨大な、後輪はそれる程度の、あの形。
オーディナリーと呼ばれ、より速を求めた完成された造形美。
(以外と乗るには難しいとのこと。)
あの自転車は、実はスピードの追求から生まれた訳だ。

自転車は本来馬の代用として生まれ、
当初はペダルさえなかつた。
馬に変わる乗り物は、今では日常の足からファッション性
を帯びるまでになっている。

多少乗り心地が悪くても、ファッション性を重視する形も
生まれた。
アールヌーボーも取り込んだ自転車も生まれた。


私の子供時代は、重い・大きな荷台・丈夫の3拍子が揃った
自転車が全盛期であった。
そう、牛乳配達や新聞配達の人々が利用していた。
懐かしい光景である。
そして、いまでは、これらの自転車は主流から外れた。



<美の壺3:色と形で自分流に乗りこなせ>


技術の進歩もあり、街中で見かける自転車は様々なものがある。
特に、最近流行ではピストと呼ばれる無駄を殺ぎ落とした形が
一番人気であるという。


さらに、パーツを組み合わせて世界に一台しかない、自分自身の
自転車も出来ることとなった。
「乗っているのが楽しい」、
これが、自転車を楽しむ人が増えた理由である。
自転車に乗ること自体がファッションとなった時代でもある。


各人のライフスタイルに合わせた自転車を
それぞれが楽しむ。
さらに、環境志向の今、さらなる自転車の世界が待ち受けている?


<追伸>
私の自転車
三輪車から自転車に乗り換えたのが小学校入学時。
それから、子供自転車を手放したのが中学生。
生活に余裕がない我が家では自分の専用車は購入できず、
中学時代はママチャリでした。
ママチャリでサイクリングに行った記憶さえあります。(笑)
その後、
高校を経て、大学。
大学では、自動車と原付バイクを手に入れました。
我が家も高度成長期でしたね。

そして結婚。
子供の成長と供に、15年前に今のマウンティンバイク型の自転車
を購入しました。
あれから、長い付き合いです。
埼玉⇒広島⇒東京と転勤の度に私たちと移動しました。
いまは、多少あちらこちらに錆びがあります。
私自身と同じでしょうか。(笑)
しかし、いまだ現役で私の相棒をしてくれています。

ありがとう、私のバイク!


大人のための自転車入門
丹羽 隆志,中村 博司
日本経済新聞社

ある作家の言葉:数十年前の「生きた言葉」

2010-11-13 14:16:56 | 「美」発見
ある作家の言葉を送ります。

ざっと数十年前の「生きた言葉」です。


「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、
富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に
残るであろう。」


さて、この言葉を聞いて、貴方はどのように考えますか。
ある経済的大国とはどこの国のことでしょうか。
察しの良い方は、どこの国のことかわかるでしょう。


21世紀の現在、まさに彼の言及した国家が目の前に
存在すると思いませんか。


「誰でもよいから人を殺したい」と叫ぶ者が出、
電車の中でもトイレでも風呂でも携帯を話さない人々、
家族もバラバラで妻は外でパート仕事と浮気、
夫は元気なく、家庭での居場所もない、
高齢者からお金を騙し取る老若男女達、
テレビをつければバカ番組かやらせ番組、
報道は恣意的で大衆受けのスキャンダル放送ばかり、
外国からは舐められ、脅され、馬鹿にされ、
それでいて利益になることなら何でもやる。
公務員は無気力で、責任感もなく、
税金を湯水のように我田引水し、
昨日までただの親父が政治家になるしまつ。
指導者は責任を取らないで逆切れするだけ。


彼でなくても、どうにかしたいと憤るだろう。
憤りは時として、過激な行動を生む。


その前に、この国の民は、何らかの行動を起こさなければ
ならないことに気が付くのだろうか。
いまなら、まだ間に合うのだろうか。
とにもかくにも、やるしかない。


まず、自分自身を変革しなければならない。
自ら変わらずして、他人に求めることなかれ。


国民が変われば、国は変わる。
指導者も変わる。
この国の国民は歴史的にも大いに賢いのだから。


三島由紀夫が愛し、嘆いた国、日本よ。
生きるということをもう一度考えてみようではないか。
国という塊を、もう一度考えてみようではないか。




不道徳教育講座 (角川文庫)
三島 由紀夫
角川書店


花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社


若きサムライのために (文春文庫)
三島 由紀夫
文藝春秋


メルマガ更新情報:ロシア大統領の北方領土訪問について!ようこそ、日本へ!メドベージェフ大統領!

2010-11-06 17:44:34 | 知恵庫先生の講座
無料メルマガを更新しました。
時事の題目にしました。

はじめを掲載します。
続きは、まぐまぐ無料メルマガに登録して、読んでください。
バックデータから読めます。
二週間に一度の割合で、内容を更新しています。
政治・経済から日常のことまで無課題です。(笑)

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ネット用

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ロシア大統領の北方領土訪問について


メドベージェフ大統領の北方領土訪問については、皆さんは
どのように考えておられますか。
歯がゆい思いをしている方が多いと推測します。
これも、遠因は先の尖閣列島漁船事件にあります。


川越芋太郎ブログで申し上げたとおりの経過です。
中国に妥協すれば、ロシアや韓国が増徴し、この時ばかりと
強引な外交を取ると想定していました。
まさに、その通りの経過です。
今後は、竹島問題で韓国がどうでるのかが興味津々です。
(韓国は実質支配しているから、何もしないかもしれませんが。)


日本人の性癖は我慢し我慢し、最後に切れる。
その時、周辺国は事の是非の間違いを悟ります。
同時に、それは日本という国にとっても最良の選択肢では
ありません。
切れた理由を問うよりも、切れた事実を国際社会は問うでしょう。
またまた、日本異質論の展開です。


そうさせないためには、臥薪嘗胆を日本人はすべきではありません。
短期的には外交手段で対抗し、包囲網を構築すべきである。
同時に、経済政策優先主義を取り止め、政治と経済の二人三脚を
始めるべきです。


日本が「なめられた理由」は、
1、尖閣問題での中国の対応への失敗です。
  不法行為を断固認めない姿勢の堅持
  不当な人員拘束は国際社会に強くアピールし
  中国の人権無視の対応を声高に主張すべきでした。

2、国際社会では不当占拠されても、主張をしなければ、
  主張しない国の対応を不作為としえ非難します。
  結果的には、占有事実が優先されることとなります。
  ちなみに、竹島は韓国が現在実行支配しており、
  竹島を取り戻すのは尖閣列島以上に困難でしょう。


3、日本の領海や領土を侵しても、なんら主張や実行行為を
  なさなければ、なし崩し的に実行支配されるのは明らかです。
  戦後の日本(人)では、大きな勘違いをしております。
  世界は弱肉強食の世界であるという事実に目を伏せて来た。
  米国という傘のおかげで、経済に専念することを許された。
  しかし、これからは許されないであろう。

  米国も認めないし、周辺国も米国の傘が後退しつつある現在
  あの手この手で揺さぶりを掛けるでしょう。


4、なぜ、日本を狙うのでしょうか。
  「豊か」だからです。
  金満で太った家畜に見えるはずです。
  「狙うな」と言う方が無理です。
  従来は米国の専従であった日本を各国が「俺にもよこせ」と
  主張し出したともいえます。


これから日本はどうしたらよいのでしょうか。


続く・・・

11月度推薦図書(1)

2010-11-01 21:04:23 | 本を読む
11月度推薦図書(1)


最近の国際情勢は不安定要素ばかりが目に付く。
わが日本の周囲も尖閣列島やガス田開発・竹島問題など、
隣国との摩擦が耐えない。
どうしたらいいのであろうか。
いや、どうして係争がなくならないのであろうか。
こんな疑問を持つ人々もいることでしょう。
戦争や闘争に関する疑問。
回答の1つとして、次の書籍を紹介します。
内容の是非とともに、自らの頭で考えたいものです。


1、戦争文化論  著者:マーチン・ファン・クレフェルト
出版社:原書房
  戦争文化とは?
  本書の目的は戦争文化の紹介ではない。
  むしろ、戦争と人間との関係を論じたものである。
  一言で言えば「戦争、そのものが人間の文化である。」
と言及しているようだ。
こう表現すると必ずや反論する人々で溢れる。
しかし、本書の例示を考えると、著者の主張は正しいと
感じるのは私だけであろうか。
巷に溢れるスポーツや戦争ゲームは模擬戦争を体感し、
喜ぶ人々。
半面、困難に立ち向かう勇猛果敢さを美化する世界。
闘争は1対1もあれば、集団対集団もある。
こんな人間の世界に真の平和があるのだろうか。
過去の歴史でも、理性的な外交など存在したのだろうか。
強引に行われた戦争のなんと多いことか。


今、先の太平洋戦争を軍部独裁と独走に責任をなすりつける
人々が多い。
果たして、それで全てが表現できるのだろうか。
トルーマンの原爆投下が正当性を伴うだろうか。


しかし、本書はもう一つの主題を用意していた。
それは、「大切な文化:戦争文化」を損なう現状の問題である。
個人主義の台頭(集団的統率を嫌う)、闘争心を悪と断じる
世界観、暴力を否定するフェミニズム。
著者の警告がなる。
さて、貴方ならどう考えますか。

戦争文化論 上
マーチン・ファン・クレフェルト
原書房


戦争文化論 下
マーチン・ファン・クレフェルト
原書房



2、新徴組  著者:佐藤賢一 出版社:新潮社 
歴史小説である。あの新撰組沖田総司の兄の物語りです。
庄内藩と明治政府との激動の戦。
領地領民を守るために、家族を大切に背負うが故に、
戦に赴く侍たち。
侍たちは、身なりは質素で、外見を飾らず、言葉少なく、
表情も抑え目でありながら、熱さを内に秘める。
武士としての誇りを持ち、清潔で誇り高く、
時に臆することなく、行動する。


さて、この戦を貴方は否定できるであろうか。
戦争(戦)をすべて否定できるのであろうか。
後世の人々は、後世の価値判断で断じる。
しかし、時代の真中で、人々は生きていた。


もう一度、人間と戦争について、自分自身の頭で
考えてみたい。
世にいる評論家の是是非論ではない心の底から、
どう思うか。

  その中から、新しい自分が生まれると感じた。

新徴組
佐藤 賢一
新潮社