大学教育における問題を考える(私見)
平成 25 年1 月 6日読売新聞紙上にて、下記の内容の記事掲載がありました。
ご紹介を兼ねて、私、川越芋太郎の意見も掲載いたします。
1、読売新聞「 NIPPON 蘇れ」から
日本の大学が薄まっている。
頭脳を集め、育成するべき場所なのに、学生も教授陣も、学びの質も、<希薄化>した。
大学も大学生も粗製濫造されている。
希望者は学費さえ出せば、どこかの大学に入学できる大学生全入学時代だ。
卒業審査も甘い。
大学はもはや「学問の府」と呼べない。
一部の大学で試験的試みがなされている。
だが、多数は安泰を保証された幹部や教授程、変化を敬遠しがちである。
改革の必要性は理解されている。
ずっと、同じ議論をしている。
問題点はわかっているのに。
2、国際教養大学長 中嶋嶺雄氏
1で紹介された数少ない試験的試みを実施している大学であるという。
大学改革が進まない要因の一つに、意思決定システムの機能不全がある。
大きく変化している世界にあり、明確・迅速な判断はとても重要である。
しかし、教授それぞれの立場や利害が絡み、合意が難しい。
同大学では、トップである学長の権限を強化し、強権と迅速な意思決定を可能とする体制を構築した。
さらに、同氏は語る。
日本の大学の問題点は、幅広く深い知識を身に付ける教養教育が失われたことにある。
専門を超えた総合力としての発信できる力を身に付ける。
学生はもっと勉強しなくてはならない。
他者(外国人を含めた)の共同生活を通し、習得するものを重視する。
卒業要件も厳しくする。
無論、教員の質の向上や変革も必要である。
年功序列の甘えがまだまだある。
3、国立情報学研究所教授 新井紀子氏
不足しているのは大学生の論理的考慮力である。
問題の内容自体を理科し説明できない学生がいる。
細切れの知識はあっても、問題解決能力(ジェネリック・スキル)に結びついていない。
受験用の例題を数多くこなし、パターンを覚えて説く、安っぽい間に合せ教育のつけが出ている。
教える側も研究を重視し、教育を軽視する世界観がある。
研究一流、教育二流と言われる。
この考え方が大学教育の空洞化をもたらした一因でもある。
対話型授業を中心に、学生数を限定した問題解決ゼミナール形式を多くしたい。
いかがでしょうか。
三氏(コラムニスト + 二氏)とも大学教育にかける熱意を感じます。
方法論に決定打はありません。
模索し、進める意外に方法はありません。
とはいえ、川越芋太郎としても、僭越ながら、提案をさせていただきたい。
では、歴史のタイムマシーンに乗りましょう。
日本がなぜ幕末に成功したのか。
多くは志士の活躍で終わらせています。
しかし、重要なことは、「降って湧いた志士」ではないという事実です。
志士を育て上げた土壌が幕末からあったという事実です。
それは、藩校と寺子屋です。
今一度、この精神を振り返りましょう。(ざっと、足早に。)
===================
幕末江戸時代の教育の特徴は2つの組織にある。
寺子屋に代表される庶民階級までの教育組織。
全国数万とも数十万とも言われた数の寺子屋が庶民階級への貢献は大きい。
識字率ひとつにしても世界を凌駕する。
浅くではあったが、広く教育の意識付けがなされ、識字力や自己認識力を高める貢献をした。
さらに、当時の支配階級であった武士を中心とした藩校の役割も見落としてはなるまい。藩校での授業は次の方法論であったと聞く。
素読(いわゆる諳んじる)、講釈(講義形式)、会読(討論形式)である。
素読で下地を作り、講釈で専門家の教えを活用し、最後に自由討論形式で議論を行った。
当時の武士階級は武士の中にも公然とした階級があり、自由な意見を述べるどころか、顔を上げることすら困難な階層もあった。
身分制社会の中で、唯一、個人の力量で自らの意見を開示できる機会が「会読」であった。
遠く欧米のディスカッションが東洋でもすでに行われていた訳である。
明治の時代の息吹は、この藩校や寺小屋で醸成され、加速し、自由民権運動へ開花し、しぼんだ。
そして、昭和の大戦後、導入された教育には、自由の乱立と階層の崩壊があった。
その中で、だれもが自由に進学し、教育を受ける権利を謳歌できたことは評価したい。
だが、一方で、自由は放任と無責任を生み出した。
受ける側は、暗記主義に陥り、受け入れる側は本来の教育の必要性を見失った。
国にとっての教育とはなにかという根源的な問題を避けた。(軍事教育の反動)
個人も教育を単なる就職(高給や結婚への手段と見間違えた。)手段とし、本来の自らを高めるという崇高な意識を放棄した。
藩校での身分を超えた、唯一己を正当に評価する機会である教育の場(会読)の意義を昭和の時代では、敗戦とともに、失った。
人は身勝手なもので、統制の中で、自由を希求し、努力する。
しかし、自由の中で、それを求めることは希であった。
現在の大学教育の問題点は、上記三氏が語る中にも無論見られるが、川越芋太郎こと私は、藩校に内在した意識の欠場が最大の理由と考えます。
つまり、教育とは自らを高めること。教えるということは人を作り、国を作ること。
単なるお金のためではないことを見失ったことです。
それは、旧来から内容の変わらぬ大講義室授業をする教授や、それを是とする学校側も意義を申し立てない学生にも責任がある。
高い授業料は社会へのパスポートと化し、何を身につけたかではなく、どこの大学を卒業したかで評価され、評価する社会が生み出した。
(正直、企業では可能性としてみるだけで、評価してはないのだが・・・。)
記憶力と反射神経・継続性と忍耐力だけ優れたものが勝ち残るシステムである。
3.11で機能しなかったのは当たり前と言えば当然である。
回答のない、前代未聞の出来事への対処は模範解答に存在しないからでさる。
リーダーはそこで、立ち止まり、思考が停止し、感情に訴えるのが関の山であった。
いま必要なものは、「会読」とう方法論である。
それには、素読という基礎知識が不可欠である点は待たない。
講義も少人数制の顔が見える講義が不可欠である。
そして、最終的には、「会読」による己の意見と他人の意見を一定のルールで討議すること。
それは、他者の意見の尊重と己の意見の確立とう側面だけではない。
己を卑下し、黙り込む事でもない。
ましてや、他人の口を多数決や大声でふさぐことでもない。
日本の知識人に多い、公衆の面前で(TV)大声で相手を罵倒することが議論だと勘違いする輩も珍しい。
本当の討論が根付くようにするのが、大学教育の求められる最終目標であろう。
英語で語る以前に、日本の人々は、己の意見を構築できない。
己の意見を構築できないことは、相手の意見を大声や暴力で止めようとする。
悲しい教育レベルの違いが世界と日本の間にできてしまった。
これは戦後の教育の方向性の誤りだけではない。
世界でもっとも発達した日本社会の自由化が安易な方向を是としたことによる。
今一度、古来の方法論を紐解き、世界を相手に議論できた幕末から明治初期の心意気を取り戻したいものだ。
規制と自由は紙一重の壁である。
自由の中に規制をうまく取り込む努力が必要でもある。
会読中は、身分や地位で評価しないルール。(誰がいったかではなく何を言ったかである。)
会読後は、議論を引きずらない。(勝ち負けを引きずらない)
恨みは残さない。(負けは自己の意見の構築が不十分であったから。)
教育とは、学習(自己による鍛錬・努力)と修学(学び方を身に付ける)双方が不可欠である。
教える側は無論である。
企業内の長年の研修講師を務めて、そう考えています。
研修の内容には講師は責任を持つべきです。
卒業生の知識にも当然責任を持つべきです。
不足内容はフォローすべきですし、その機会を設けるべきです。
なぜなら、教育とは、講義だけではなく、受講生の生涯における育成の一貫ですから。
これは傲慢ではありません。
講師自体が時に生徒であり続けるのですから。
平成 25 年1 月 6日 川越芋太郎
平成 25 年1 月 6日読売新聞紙上にて、下記の内容の記事掲載がありました。
ご紹介を兼ねて、私、川越芋太郎の意見も掲載いたします。
1、読売新聞「 NIPPON 蘇れ」から
日本の大学が薄まっている。
頭脳を集め、育成するべき場所なのに、学生も教授陣も、学びの質も、<希薄化>した。
大学も大学生も粗製濫造されている。
希望者は学費さえ出せば、どこかの大学に入学できる大学生全入学時代だ。
卒業審査も甘い。
大学はもはや「学問の府」と呼べない。
一部の大学で試験的試みがなされている。
だが、多数は安泰を保証された幹部や教授程、変化を敬遠しがちである。
改革の必要性は理解されている。
ずっと、同じ議論をしている。
問題点はわかっているのに。
2、国際教養大学長 中嶋嶺雄氏
1で紹介された数少ない試験的試みを実施している大学であるという。
大学改革が進まない要因の一つに、意思決定システムの機能不全がある。
大きく変化している世界にあり、明確・迅速な判断はとても重要である。
しかし、教授それぞれの立場や利害が絡み、合意が難しい。
同大学では、トップである学長の権限を強化し、強権と迅速な意思決定を可能とする体制を構築した。
さらに、同氏は語る。
日本の大学の問題点は、幅広く深い知識を身に付ける教養教育が失われたことにある。
専門を超えた総合力としての発信できる力を身に付ける。
学生はもっと勉強しなくてはならない。
他者(外国人を含めた)の共同生活を通し、習得するものを重視する。
卒業要件も厳しくする。
無論、教員の質の向上や変革も必要である。
年功序列の甘えがまだまだある。
3、国立情報学研究所教授 新井紀子氏
不足しているのは大学生の論理的考慮力である。
問題の内容自体を理科し説明できない学生がいる。
細切れの知識はあっても、問題解決能力(ジェネリック・スキル)に結びついていない。
受験用の例題を数多くこなし、パターンを覚えて説く、安っぽい間に合せ教育のつけが出ている。
教える側も研究を重視し、教育を軽視する世界観がある。
研究一流、教育二流と言われる。
この考え方が大学教育の空洞化をもたらした一因でもある。
対話型授業を中心に、学生数を限定した問題解決ゼミナール形式を多くしたい。
いかがでしょうか。
三氏(コラムニスト + 二氏)とも大学教育にかける熱意を感じます。
方法論に決定打はありません。
模索し、進める意外に方法はありません。
とはいえ、川越芋太郎としても、僭越ながら、提案をさせていただきたい。
では、歴史のタイムマシーンに乗りましょう。
日本がなぜ幕末に成功したのか。
多くは志士の活躍で終わらせています。
しかし、重要なことは、「降って湧いた志士」ではないという事実です。
志士を育て上げた土壌が幕末からあったという事実です。
それは、藩校と寺子屋です。
今一度、この精神を振り返りましょう。(ざっと、足早に。)
===================
幕末江戸時代の教育の特徴は2つの組織にある。
寺子屋に代表される庶民階級までの教育組織。
全国数万とも数十万とも言われた数の寺子屋が庶民階級への貢献は大きい。
識字率ひとつにしても世界を凌駕する。
浅くではあったが、広く教育の意識付けがなされ、識字力や自己認識力を高める貢献をした。
さらに、当時の支配階級であった武士を中心とした藩校の役割も見落としてはなるまい。藩校での授業は次の方法論であったと聞く。
素読(いわゆる諳んじる)、講釈(講義形式)、会読(討論形式)である。
素読で下地を作り、講釈で専門家の教えを活用し、最後に自由討論形式で議論を行った。
当時の武士階級は武士の中にも公然とした階級があり、自由な意見を述べるどころか、顔を上げることすら困難な階層もあった。
身分制社会の中で、唯一、個人の力量で自らの意見を開示できる機会が「会読」であった。
遠く欧米のディスカッションが東洋でもすでに行われていた訳である。
明治の時代の息吹は、この藩校や寺小屋で醸成され、加速し、自由民権運動へ開花し、しぼんだ。
そして、昭和の大戦後、導入された教育には、自由の乱立と階層の崩壊があった。
その中で、だれもが自由に進学し、教育を受ける権利を謳歌できたことは評価したい。
だが、一方で、自由は放任と無責任を生み出した。
受ける側は、暗記主義に陥り、受け入れる側は本来の教育の必要性を見失った。
国にとっての教育とはなにかという根源的な問題を避けた。(軍事教育の反動)
個人も教育を単なる就職(高給や結婚への手段と見間違えた。)手段とし、本来の自らを高めるという崇高な意識を放棄した。
藩校での身分を超えた、唯一己を正当に評価する機会である教育の場(会読)の意義を昭和の時代では、敗戦とともに、失った。
人は身勝手なもので、統制の中で、自由を希求し、努力する。
しかし、自由の中で、それを求めることは希であった。
現在の大学教育の問題点は、上記三氏が語る中にも無論見られるが、川越芋太郎こと私は、藩校に内在した意識の欠場が最大の理由と考えます。
つまり、教育とは自らを高めること。教えるということは人を作り、国を作ること。
単なるお金のためではないことを見失ったことです。
それは、旧来から内容の変わらぬ大講義室授業をする教授や、それを是とする学校側も意義を申し立てない学生にも責任がある。
高い授業料は社会へのパスポートと化し、何を身につけたかではなく、どこの大学を卒業したかで評価され、評価する社会が生み出した。
(正直、企業では可能性としてみるだけで、評価してはないのだが・・・。)
記憶力と反射神経・継続性と忍耐力だけ優れたものが勝ち残るシステムである。
3.11で機能しなかったのは当たり前と言えば当然である。
回答のない、前代未聞の出来事への対処は模範解答に存在しないからでさる。
リーダーはそこで、立ち止まり、思考が停止し、感情に訴えるのが関の山であった。
いま必要なものは、「会読」とう方法論である。
それには、素読という基礎知識が不可欠である点は待たない。
講義も少人数制の顔が見える講義が不可欠である。
そして、最終的には、「会読」による己の意見と他人の意見を一定のルールで討議すること。
それは、他者の意見の尊重と己の意見の確立とう側面だけではない。
己を卑下し、黙り込む事でもない。
ましてや、他人の口を多数決や大声でふさぐことでもない。
日本の知識人に多い、公衆の面前で(TV)大声で相手を罵倒することが議論だと勘違いする輩も珍しい。
本当の討論が根付くようにするのが、大学教育の求められる最終目標であろう。
英語で語る以前に、日本の人々は、己の意見を構築できない。
己の意見を構築できないことは、相手の意見を大声や暴力で止めようとする。
悲しい教育レベルの違いが世界と日本の間にできてしまった。
これは戦後の教育の方向性の誤りだけではない。
世界でもっとも発達した日本社会の自由化が安易な方向を是としたことによる。
今一度、古来の方法論を紐解き、世界を相手に議論できた幕末から明治初期の心意気を取り戻したいものだ。
規制と自由は紙一重の壁である。
自由の中に規制をうまく取り込む努力が必要でもある。
会読中は、身分や地位で評価しないルール。(誰がいったかではなく何を言ったかである。)
会読後は、議論を引きずらない。(勝ち負けを引きずらない)
恨みは残さない。(負けは自己の意見の構築が不十分であったから。)
教育とは、学習(自己による鍛錬・努力)と修学(学び方を身に付ける)双方が不可欠である。
教える側は無論である。
企業内の長年の研修講師を務めて、そう考えています。
研修の内容には講師は責任を持つべきです。
卒業生の知識にも当然責任を持つべきです。
不足内容はフォローすべきですし、その機会を設けるべきです。
なぜなら、教育とは、講義だけではなく、受講生の生涯における育成の一貫ですから。
これは傲慢ではありません。
講師自体が時に生徒であり続けるのですから。
平成 25 年1 月 6日 川越芋太郎