川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

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背中で語る(背中と美)、子供は背中を見て育つ?

2012-09-09 09:00:00 | 「美」発見
背中を見て育つ
(背中と美とは相関関係?)


死語になりつつあるのかこの言葉
子供は親の背中を見て育つ
親は子供に背中で語る
こんなことはもはや絵空事か

さて、背中とは正面や表と対比し
て考えること。
人間背中を飾ることは難しい。
だが、目や表情、顔や胸などは、
現在装飾方に陥っていまいか。

目も顔も化粧の進化でかなり昔
とは趣がことなる。
胸周りも顔同様、整形から装飾品
で飾られて本人を大きく、時に
魅力的に引き立てる。
(自然に背き、化粧を拒否し、技
巧に疑義をはさむ:顔と胸に白粉
を塗りたくった娼婦を揶揄する。
:ヴェチェッリオ)

それだけではない。
眼力ならぬ口八丁という言葉もあ
るように、雄弁詭弁となり現代人
は、心の中さえも、人には見せず
装飾されているようだ。
本心を語る人物は少なくなり、
打算と懐疑が目線・表情・しぐさ
からあふれ出ている。

こうなると、子供は親の背中どこ
ろか前面の華美な装飾に目線が惑
わされるのは当然である。
人生経験(修羅場経験?)の少な
い子供にとり、親の本心を想像す
るのは、難しくなりつつある。

実は子供だけではない。
大人同士もに多様な状況である。

装飾ができない、その人の歴史を
そのまま表現する「背中」が今こ
そ重要視されるときではないだろ
うか。

背中で語る。
何故か、私には「高倉健」を連想
する。
彼が背中で語るというよりも、父
を知らぬ(早々に失くした身)私
には、父像に見える。
高倉健主演の映画が話題になって
いるようだ。

この映画、背中をテーマに見てみ
ても、面白いのかもしれない。
無言で語る背中が雄弁に語る人間
の心。

背中が絵になる年齢とはどのくら
いの人生経験を踏むと出来るので
あろうか。

少なくとも、しゃべりすぎの私に
は「非常に痛い」「苦手」な理想
形でもある。

これも無いものねだりであろうか


ところで、「美と背中」は相反す
るのであろうか

もし相反するのであれば、「美」
とは何んなのであろうか。

人の心を迷わせるもの。
それが美であろうか。

いやいや、美は神のしぐざである
とすれば、背中も美しくなくては
面白みが無い。

美しい背中とはなにか。
ご一緒に考えてみましょう。

そういえば、バラクーダに包まれ
た高倉健の後姿は絵になる。
絵というものが「美」であれば、
それは「美しい」とも言える。


平成24年9月8日 川越芋太郎


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