特段変わりはありません。
台風13号崩れの温帯低気圧が河川の氾濫や、集中豪雨で緩んだ傾斜地の法面や、急峻な山間部で被害を起こしている。安定した天気は期待できないが、それでも、雨天の合間に愛犬の散歩に出かけた。徐々にではあるが、河川は澄んできたように見える。水量はまだ多く、えさを求めて飛来したコサギやアオサギは居場所がないようで、狭い場所でも縄張り争うがみられる。ほとんど人の気配はなく、静かな多摩川である。
川面を見ると水面下ではカワウに追われた小魚が盛んに逃げ回っているようで、川面にはね出る。それを見ていて、中国のことわざを思い出した。「水清ければ、大魚なし」。語源は、厳しい態度で臨めば、人々の支持を失う。できるだけ寛容な態度で臨み、小過を許し、大綱だけを抑えるという意味であるが、衛生的といわれる環境はかえって住みづらいとの意味もあるような気がする。または、浮世は決してきれいな場所ではなく、様々な人種が住む坩堝(るつぼ)との意味でその中に大物も存在するのかもしれない。
「清流の清濁はその源(みなもと)にあり」。これは組織論で使われる格言で、組織のトップがまともならば、自ら部下もまっとうとなり、トップがだめならば、部下にも感染するという意味である。自らの組織について考えてみればよくわかる。トップがいい加減であれば、部下にいかにまっとうとなれと気合をかけても部下が清流にはならないのは自明の理である。
もっとも有名な格言に、「呑舟の魚は支流に泳がず」がある。舟を飲み込む魚を呑舟というが、そのような大きな魚は、川の支流にはいないということである。人生の目標は大きくあれ、人の成長には環境が必要であるという意味を含んでおり、こせこせした環境では、大きな魚は住むことができず、別の組織に移っていく。組織を運営するには人物を見抜く力が必要で、トップはいつもそのことを考え、部下を成長させてほしいものである。
川面を見ながらのたわごとかもしれないが、格言が持つ含蓄は、時代を超えても通じるし、人生の教訓にもなりうる。思い出したので紹介することにした。