スポーツのすべてが好きになれないのは自分だけなのか、長年持ち続けているが、はっきりしたことが分からないまま、今の年齢になってしまった。正々堂々としたフェアなプレイを称賛する気持ちはある。しかしながら、一種の博打(ばくち)に利用され、裏で金銭が飛び交う。プロ野球においても、八百長事件は頻繁にあるし、国技と称される大相撲においても八百長事件はつきものである。八百長事件が明るみに出て、世間を騒がした後、関係者は処分され、相撲協会もそれなりの処分があるが、一時すると同様なことがまた起きる。
仲間内のゴルフでも、ニギリと称して、スコアの差を1打いくらかという具合に賭けが行われている。スポーツとはいえないが、競馬や競輪、オートレースなどは、もっとも、公営ギャンブルであり、公に賭けを許していて、その収益は、公共事業等に還元されている。マージンに至っては、金銭を賭けないゲームはないとまで言われていて、犯罪の温床にもなっている。
国民性だけではなく、経済原理からしても、人類に共通しているのが、このギャンブル性であろう。我が国には、公営ギャンブルや宝くじ以外のギャンブルは禁止されている。パチンコもグレーゾーンであろう。カードゲームや、ルーレット、スロットルマシーンを国営として行っている米国や、モナコ等と同様なカジノ場を新たに作ろうとする動きがある。多分、東京五輪を見物に来日すると見込まれる外国人をターゲットとしているのであろう。米国にはすでに、職業訓練の一職種として、カジノで働く労働者に対して、様々なテクニックを教えているのも事実である。雇用拡大に結び付くといえば、もっともな理由にもなり得る。
さて、通常のスポーツ競技は、個人と団体戦であり、リーグ戦とトーナメント方式で、高校野球などでみる競技の仕方である。トーナメント方式は、組み合わせの勝ち抜き試合である。リーグ戦は、参加者が総当たりで行う戦いである。トーナメントは、対にするために最初はくじ引き等で対戦相手を決め、勝ち抜いた勝者が次々に対戦する。どちらも恣意的な要素を含まないため、時間が許す範囲でどちらかの方式を採用しているようである。リーグ戦は、オリンピック競技のように、すべての国で対戦させるため、ブロックを分けて、地域代表を決めてからそこでの勝者の対決となるが、地域や国においても選考基準なるものは若干異なっている。