京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

岩国城散策の続き。

2010-10-15 06:15:54 | 中国・四国地方の石垣。
すっかりお預けになっていた
夏休み・山口岩国散策の続きです。

(先日も安土に行ってきましたので、レポートがたまっています
 ざざっと済ませます



錦帯橋で有名な錦川と
岩国城のある横山。

復興天守は
錦帯橋とセットで眺められるよう設計されています。
(昔の天守閣は、もっと奥にありました、あくまで実用的)

横山の麓にあるロープウエーで登城~

頂上駅からお城までは、しばらく山道を歩きました。
真夏の暑い日でしたが
山頂は爽やかな涼気が漂ってました。

森林浴が楽しめます。


(二の丸の南端の石垣が上の方に見えてきました)


(粗雑な感じの石垣が並んでいます)



私たちは、案内板の左下から歩いてきました。

「現在地」の手前(左)・・・
ロープウエー駅から来たら最初に出くわしたのが
出丸!


(出丸の正面左端)

なかなか立派な高石垣です


(出丸の正面右端)

背後にある、二の丸や本丸を擁護し
それに、出丸のすぐ後ろの大手門への道を包み込む形になっています。


(出丸の奥、二の丸の石垣)


(出丸の右端を横から見た)


(先ほどの出丸正面・右端の裏側)


(出丸の全体を、二の丸入口・大手門から見渡した)


(先ほどの出丸の横から・・・二の丸の正面・石垣)
(木の向こうの出っ張ったとこからが、本丸の石垣)


(ここからが、本丸の石垣・左端)

なかなか立派な構えの城です。

結局、一度も戦いをすることなく
江戸幕府成立後の破却命令の後は
山から下りて藩政を行ったのですが

建造中の広家公の心意気
関ヶ原の戦い後とはいえ
時代は、まだまだ戦国の名残を帯びていたことが分かります。

正直
いろんな意味で戦意を温存していたのではないかと
憶測を走らせてしまいます。
(その辺は、どの大名も同じでしょうが


(大手門の手前の石段・二の丸の石垣・敷地)

たぶん、観光地岩国にそんなことを考えながら来る人は
あまり居ない・・・(たぶん)

つい、天守閣ばかりに目が行ってしまうのですが
石垣にも注目してほしい妻!です


(二の丸から見た天守閣)

復興天守
南蛮造りとやらで、なかなか変わった形のお城です。


(天守閣展望台から見下ろした北の丸方面)


(二の丸方面・横山の全体が見渡せます)
(右に見えているのが、新幹線新岩国駅方面)

岩国城の醍醐味は
なんといっても、この景観です。

こういう点では、
景観に気を配った復興天守に、軍配が上がるでしょう

遠く、周防大島の連なりまで見渡せます


(天守閣展望台から岩国市街地をのぞむ)

中央が岩国城下町
下の、山麓部分が、藩政を送っていた場所です。

ついで言うと
岩国は、米軍基地でも有名やし
ここまで来ると、瀬戸内工業地帯?の雰囲気も出てきます
(広島市内は、意外と少ないんです)

新旧入り混じる風景です。


(昔の天守台)


(昔の天守台方面から現在の天守閣をのぞむ)

さて
お城の見学の後は
一番奥(ロープウエー駅から見て)の北の丸に行きました。

今回初めてです。

今回の一番の目当ては、昔の天守台の撮影だったのですが
実際の大収穫は
北の丸でありました。


(天守閣の北側には、昔の石垣の?石がごろごろしてました)

すでに、この辺で大収穫の予感がしています。

もったいぶるようですが
続きは、次回のお楽しみ~~

といっても
マニア必見のコーナーかと思いますので
あんまり期待はしないでくださいね



~~~ つ づ く ~~~