今日多治見と熊谷では41度近くになった。観測史上最高の気温らしい。僕が住む関西も気温は上がって暑かったが、37度止まり。残念ながら体感することはできなかった。
日本では40度という気温は、体験できなかったが、バンコクやインドのナーランダでは直接体感した。ナーランダでは、水をのむと、数分のうちに汗となって皮膚から噴出し、直射日光に当たると、皮膚がひりひりした。だが木の陰は涼しく、影は濃い。
遺跡の上に登って、大学跡を見渡せば、所々に大きな井戸があり、建物はこの暑さをどのようにしてしのぐか、太陽光線のさし具合が計算されて、設計されているように見受けられた。
三蔵法師がここで、この暑さをしのぎながら、膨大な量の仏典を勉強、研究したのを思うとき、今日のように文明の恩恵に浴すことが出来なかった環境の下で、よくあれだけのことが出来たものだと驚嘆した。人間の力には驚くべきものがある。
それは将来の人類の可能性を暗示するものだと思った。
人類の未来は悲観するものではないとは思いつつも、ただしそれには条件がつく。
環境破壊がなくなって、元の自然環境を取り戻すことが前提である。この地球を人類中心にして回してはいけない。あらゆる生物の命の共生が、確実に守られなくてはならない。なぜならば、人類もまた地球環境の一部に過ぎないからである。
20世紀から21世紀にかけて、人類はすべての命は共生によって成り立っていることを忘れて、人類の都合ばかりを考えてつっぱしってきた。
こんにち、その弊害が異常気象として、現れているのだろう。
人類のための地球ではない。人類は地球を構成する一部に過ぎないことを、肝に銘じておくべきだ。
日本の中部、関東地方で、気温が40度を超えたというニュースを知って、僕は以上のようなことを考えた。
日本では40度という気温は、体験できなかったが、バンコクやインドのナーランダでは直接体感した。ナーランダでは、水をのむと、数分のうちに汗となって皮膚から噴出し、直射日光に当たると、皮膚がひりひりした。だが木の陰は涼しく、影は濃い。
遺跡の上に登って、大学跡を見渡せば、所々に大きな井戸があり、建物はこの暑さをどのようにしてしのぐか、太陽光線のさし具合が計算されて、設計されているように見受けられた。
三蔵法師がここで、この暑さをしのぎながら、膨大な量の仏典を勉強、研究したのを思うとき、今日のように文明の恩恵に浴すことが出来なかった環境の下で、よくあれだけのことが出来たものだと驚嘆した。人間の力には驚くべきものがある。
それは将来の人類の可能性を暗示するものだと思った。
人類の未来は悲観するものではないとは思いつつも、ただしそれには条件がつく。
環境破壊がなくなって、元の自然環境を取り戻すことが前提である。この地球を人類中心にして回してはいけない。あらゆる生物の命の共生が、確実に守られなくてはならない。なぜならば、人類もまた地球環境の一部に過ぎないからである。
20世紀から21世紀にかけて、人類はすべての命は共生によって成り立っていることを忘れて、人類の都合ばかりを考えてつっぱしってきた。
こんにち、その弊害が異常気象として、現れているのだろう。
人類のための地球ではない。人類は地球を構成する一部に過ぎないことを、肝に銘じておくべきだ。
日本の中部、関東地方で、気温が40度を超えたというニュースを知って、僕は以上のようなことを考えた。