日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

釜山のおじさん

2008年05月23日 | Weblog
釜山のおじさん

 おばはんは太っちょで体格は大柄。かつぎ屋であろうことは推測できた。
そのおばはんがおじさんとやって来て、私に話しかけて来た。

日本語ではないので、何をいったのか、分からなかったけれども、辺りの雰囲気から察すると、席が取ってあるから、このマスで寝なさい、ということらしい。毛布が2枚重ねてあって、そこだけが空席になっていた。
 まあ、親切な人もいるものだ、と思いながら、おばはんの親切な好意に甘えようとした。

しばらくしたら、おばはんはビールを買って来て、酒盛りを始めた。
そして私にも、のまないかと身振りで誘いをかけて来た。

元々不調法なので、ありがたく断った。ところが、しばらくすると、先程のおばはんは韓国人のおじさんを連れてやって来た。彼は日本語が話せるので通訳として連れて来たのである。
 
彼はこの船がプサンについたときに、酒2本位なら持ち込んでも、税関はフリーパスだから、私のこの分、2本をもって通関してほしいと、あの太ったおばはんがいっている、と流暢な日本語で言った。
 
生まれて初めて行く韓国。それも、言葉も状況も何も分からないことばかりで、不安1杯の私に頼むというのだ。私は悪いが、期待に添えない、と断った。

通訳氏はおばはんにそう通訳してから、私に向かって、彼女は商売人だ。あんなことを見も知らずの日本人に頼んでいやらしい。と理非の分別のついた話しをした。

 やっと分かってもらえたかと安心したのもつかの間、おばはんはまた、何か通訳しと話している。通訳氏は私の所へやって来て、もう1度頼むが、何とか電気釜か酒2本持って税関を通ってくれないかとあの人が言っている、と言った。
私は自分が公務員だからそれは出来ないと、再度きっぱり断った。
 
訳氏は前と同じように、それは正しいことだと言った。
「韓国人はこんなことをして品を落としている。
韓国人の中にもいろんな人がいるから、これも仕方がない。」と付け加えた。

この人はなかなかのインテリだと私は思った。話していることを聞いてると、バランス感覚があってまともである。そこで思い切ってこちらから話しかけてみた。

 彼は60歳。国民学校出身で最終は韓国の大学を卒業したとのこと。日朝関係史にも詳しい。話が合いそうだから、私は突っ込んで話がしたくなった。

通訳氏は先程のことがいまだに気になっているらしく、どこの国にも、またどんな時代にも悪い人はいるし、良い人も大勢いる。1部を見て判断すると過ちを犯すことになる。
と一気にしゃべった後で、我々韓国人も60歳以上の人は、国民学校や小学校で教育を受けているので、必ず日本語は話せる。

ただ、子供の頃学校で習ってから50年もたつし、韓国では使わないから、忘れている人も多いが、それでも日本語は分かる。と説明を加えた。 

続いて彼はまるで日本語がしゃべりたくてしようがないかのように仁伸乱-文禄、慶長の役-の事も、
1910年の朝鮮併合のことも、歴史的事実に自分流の解釈を添えて解説した。

私は恐る恐る日本の侵略問題について、彼がどういう意見ないし見解をもっているのか、つっこで聞いてみた。約1時間程彼はしゃべりまくったが、要旨をまとめると次のようになる。

1、あの当時の歴史的状況-世界が帝国主義時代に突入して、領土分割や植民地争奪が激しくなった状況-で併合はやむを得なかった。

弱小国家の我が国では、中国に飲み込まれるか、さもなければロシヤの支配下に入るか、いずれにせよ、

独立を許される状況ではないのが当時の世界情勢であった。

心の中では抵抗がない訳ではないが、仕方がない。

2、原爆を2発もくらって、焼け野が原になったのに、日本は敗戦を克服して、世界でも有数の経済大国になった。
東南アジアで西洋に対抗できるのは日本を除いて外にあるか。
やっぱり日本はアジアでは長男だよ。日本が世界一になったのは、東洋の誇りではないかね。

3、日本はたいしたものだ。日本人はここぞという所では必ず団結する。
これが恐ろしい。韓国は日本の半分位しかないくせに、どんな大切な時にもバラバラで団結ができない。1対1なら負けないのだがバラバラで団結しないもんだから、日本には歯が立たない。
ここが日本と韓国の違いである。そしてこの差が国力の差となって現れるのだろう。

4、今問題になっている従軍慰安婦の問題は、被害者には本当にお気の毒だが、仕方のないことだ。同国人として同情に堪えないが、運が悪いとしか言いようがない。
 
国家と国家が欲望を剥き出しにして、戦争が起こっているわけだから、悲劇が起きるのは当然のこと。
それが歴史の現実というものだ。時代とか、時勢とか言うのは、このことを指すのだ。

国どうしが殺し合いをしているのだから、もっと悲劇的なことがあちこちで起こっていた筈。
歴史をひもといて見るとこのことがよく分かる。時代のせいでどうしようもないことだ。

 下関から釜山へわたる連絡船の2等船室で、私は年配の見知らぬ韓国人の男性と、こんな会話を交わした。この人の歴史の正しい認識の仕方や解釈に、私は心から敬意を表したくなった。

時計の針は深夜2時を指している。
先程のかつぎやの太っちょおばはんは、昼間の疲れがでているのだろう、フカのようになって寝ている。
そろそろ寝ましょうかということになって、2人の会話はお開きになった。

残念なことに、私は彼の住所も名前も聞くのを忘れた。だから彼とは行きずりの人で、終わってしまった。
 
生まれて初めての海外旅行、韓国への旅はこの話だけでも、お釣りがくるくらい十分なお土産があった。